彼の理想は私の人生

タルト

彼の理想は私の人生

「努力を続けないと。」


彼は毎日のように、こう零していた。




彼は極端だった。


自らの得意とするものには情熱の全てを注ぎ、それをものにしていた。


その反面、苦手とするものは、どれほどの努力を重ねても基礎を会得するのが限界だった。


否、今となってはそれすらも分からない。彼はもうこの世にいないのだから。少なくとも、私にはそれが限界であるように見えた。




彼は、真面目であった。自分の苦手なことでも、それがやらなければならないことならば、自らの持てる時間の全てを使い、挑戦し続けた。


もし誰かが、彼が得意なものだけができる環境を彼に与えられれば、儚いその願いが叶っていれば、きっと彼は大成したのだろう。


だが、現実は非情なのだ。少なくとも、彼にとっては、彼が生きている間は、そうであり続けた。




彼には夢があった。


「教師として、輝く未来を歩む子どもたちを導きたいんだ。」


彼は続けてこう言った。


「僕が教えるのは、勉強だけじゃない。人生の生き方だ。たとえ人と違っても、人に違うと言われても、立派に胸を張って生きることはできるんだって、教えたいんだよ。」


私はそれを聞いたとき、ただ、立派だと思った。


私はそれ以来、彼を心の底から慕っている。

私に彼のような崇高な理想などなかったし、たとえあったとしても、それを成し遂げようなどという気概は持てなかっただろうから。




努力することに関しては、彼は間違いなくクラスで一番だっただろう。


それでも、結果が伴わないのだ。


幾ら努力しても越えられない壁があるのだということは、彼から教わった。否、教わってしまった。


彼は、私には簡単に解けた問題に四苦八苦していた。




私は努力をする方ではなかった。それは単に面倒だったというのもあるが、それ以上に、努力する必要がなかったのだ。


いつしか彼に触発された私は、彼ほどではないが、努力をするようになった。


その結果、得意科目では学年で10本の指に入ることも珍しくなくなった。


だが、私に努力することを教えてくれた彼は、最後まで成績が振るうことはなかった。



「努力すれば、いつかは報われるんだ。」


彼は常々、力強い目でそう言っていた。


だが、皮肉にも、彼は自身の弛まぬ努力によって、それが彼にとっては真実でないことを証明してしまったのだ。


私と比べれば努力の質も、量も、誰もが彼の方が優れていると断言しただろう。しかし、それでも彼が報われることは、終ぞなかった。




彼はよく笑われていた。陰でも、表でも、彼は笑いものだった。


かくいう私も、彼を笑っていたものの1人であることは否定できない。


若かった私の目には、幾ら努力しても結果が伴わない彼は、奇妙であり、憐れであり、なにより、強い興味の対象として映ったのだ。



今思えば、他にも彼には奇妙な点が多くあった。


その中でも、彼が人に勝てる数少ないもの、それは、圧倒的な口数であった。


彼はよく喋るのだ。それこそ、人の話を遮ってでも。


彼は、それが人に迷惑していることが分かっていなかった。それどころか、人の話を遮っていることに気づいてすらいなかった。


彼は真面目であったから、気づいてさえいれば、どうにか自制しようと努めただろうが、そうなることはなかった。



今思えば、多弁は彼の特性なのだろう。口数は他ならぬ彼の個性であり、上手く扱えさえすれば、心強い武器になったということは容易に想像できる。


だが、上手く扱えていなければ、ただどうでもよい話が延々と続くだけなのだ。

それを受け入れられる者は果たして、大衆の中に何人がいるだろう。



いつしか彼の周りからは、人が消えていた。


私は最後まで彼の横に残り続けた。だが、それは彼を尊敬していたからに過ぎない。


もし彼の夢を聞いていなければ、私は早くに彼に見切りをつけ、離れていただろうことは想像に難くない。




彼の理解者は、最後まで現れなかった。


否、彼からすれば、私こそが彼の理解者だったのだろう。実際に、彼にそう言われたこともある。


しかし、私は気づいていた。私は彼の真の理解者にはなれないと。


私は彼の思想に『共感』はできたが、『理解』には至らなかった。


それは、私が醜いが故のものだ。



私は彼を、嘲笑っていた。


彼を尊敬したあの日以来、そんな思いは消えたと思っていた。


だが、そんなものは幻想でしかなかった。私は彼を嘲笑し続けていた。


「実力も伴わないのに、よくもそんな大層なことが言えるな。」と。




彼の理解者となれる者は、彼と同等か、あるいはそれ以上の天才でなくてはならなかったのだろう。


彼は天才だった。自らが得意なものは、なんでもできた。


しかし、残念なことに、彼の『得意』を評価する者はいなかった。今の私でさえ、彼の『得意』を評価することは、難しく思える。



学校は良くも悪くも、学業と運動が軸である。一般に『変人』とされる者でも、勉学か運動で1つでも何かしら飛び抜けたものを持っていれば、それが評価される。


だが、彼が得意とするものは、勉学でも、運動でもなかった。


否、正確には、その当時の私たちからすれば、普通の勉強ではないと断じられるものだった。


故に、彼は誰にも評価されることはなかったのだ。


彼がある種の天才であったと気づいたのは、彼と知り合ったずっと後、もう彼がこの世を去った後のことだった。




彼は、気持ちに敏感であった。善意も悪意も、普通の人には分からないような小さなものでも、感じ取ることができた。


だが、そんな彼の長所は、多弁によってかき消されてしまっていた。彼が喋っている間は、誰も口を挟めない。


だが、彼は話すのに夢中になっている間は、それに気づけないのだ。そして、後で気づいては自らの至らなさに絶望していた。


彼の多弁は、元はそれほど酷くはなかった。人よりよく話すというのは間違いなかったが、それでも、他の者に受け入れられる程度のものであった。


彼はあるとき、自分が話している間、相手がつまらなさそうにしていることに気づいた。


彼は真面目であったが故に、相手を楽しませようと、様々な話題を拾い集めた。


結果はそれらの全てを話そうとし、更に話が長くなってしまうという不幸に終わってしまった。



勿論、彼に多弁を指摘する者がいなかったわけではない。話しすぎを咎められた場面を見たことも、少なくはないし、私もそれとなくではあるが、伝えたことは何度かあった。


しかし、彼の多弁は『感覚の違い』でしかなかったのだ。


恐らくだが、彼の感覚では、普通に話しているだけであったのだ。だが、一般という視点で見たら、ただ自分の話したいことを話す迷惑な人だったのだ。


ただ感覚が違うだけだが、それはしかし、致命傷であった。


根本が違うが故に、絶対に埋まることのない溝となってしまったのだ。




彼に明確な変化が訪れたのはいつだっただろうか。


中学も最後の年、自らの進路を決めなければならない時期のことだったか。


彼は先生に、自らの夢を話したらしい。


だが、それは一笑に付されたという。


「先生は僕の夢を聞き終わるなり笑って、それで、『お前には無理だよ。』って、吐き捨てられた......。」


彼は、悔しそうに、悲しそうに私に告げてきた。


私も、唇を噛む思いであった。だが、同時に、納得もしてしまったのだ。能力が伴っていないのは、間違いないのだから。



私はそんなことを思ってしまったことを申し訳なく思い、暫くの間なるべく顔を合わせないようにした。


今思えば、真に彼のためを思うのであれば、変わらず付き合いを続けるべきだった。


彼はそれ以前とは何も変わっていなかったし、私もずっと心で思っていたことは事実だったのだから。




『後悔先に立たず』という諺は、彼から知った。


私がそれを初めて使ったのは、彼の訃報が届いたときだった。



彼は諺や格言には明るかった。それは両親が厳格な人であり、ことある事になにかしらの諺や格言を用いては彼を叱責していたからだ。


彼の両親とは彼の葬式のときに顔を合わせたのが最初だが、そのときから印象は変わらず『真面目そうな人』だ。


2人とも子ども思いな人であった。子を心配するが故に、せめて人並みには、と、塾や家庭教師など、様々な手段を用いて彼の成績の向上を促していたそうだ。


しかし、何年経っても成果は上がらず、それなのに金ばかりが消える。大黒柱であったお父さんは、それに不満が溜まり、一時は離婚騒ぎにまでなってしまった。


私がそれを知ったのは、葬式の後だ。彼は、少なくとも私には、家が荒れている、などという素振りは、全く見せなかった。



私に心配をかけまいとして隠していたのかは、今となっては確かめる術はない。


ただ、彼のたった1人の友としては、相談してくれても良かったじゃないか、と、そう思っていることは、確かな事実だ。




私には、夢がなかった。彼とは違い、情熱を持って打ち込めるものがなかった。

ただ何もせずとも過ぎ去る毎日を、退屈に過ごしていた。


それでも、結果として、彼が目指していた高校は私の母校となった。


彼が目指していた大学も、私の母校となった。



今、私は、彼がかつて理想として思い描いた人生をなぞっている。



彼が遺した遺書には、自分の理想の人生と、その真逆とも言える彼の歩んだ現実が数多く綴られていた。


遺書の最後、私に葬式に出て欲しいという旨の文言とともに、こんなことを遺書を通して頼むのは大変忍びないが、という前置きのあと、「もし君に夢が見つからなかったら、僕の理想を歩んで欲しい。君ならば、僕の理想を現実にできる気がするんだ。」と書かれていた。


綴られていた彼の理想は、とても細かかった。それこそ、こんなにも考えを巡らせることができるのに、何故あんなにも勉強ができなかったんだ、と思えるほどに。


死を目前にした『覚悟』がその瞬間だけ、彼に手助けをしたのかもしれない。




ともかく、私は自分の人生を彼の理想の体現とすることを決めた。それが、私が生まれて初めて抱いた情熱だったのかもしれない。


『かつて彼が語った夢をそのままに』


それを信念とし、数多くの子どもたちを導いたと自負している。


彼ほどではなくとも、変わり者として扱われている子には、例外なく、覚えている限りの彼の話を聞かせた。




『生き辛い』という言葉を知ったのは、彼が旅立った少し後のことだった。


生前にこの言葉を知り、多少なりとも現状に対して適切な対処ができていれば、彼は少しでも幸運になれたのだろうか。


何度考えても、分からない。


彼は「後悔のない生き方を。」などと言っていたが、彼自身は後悔ばかりだったのかもしれない。




彼は、一生にわたって不幸であり続けたと思う。

私が理想をなぞったことで、あちらで待つ彼が、少しでも報われてくれていることを祈っている。




彼の理想は、彼には実現できないものであった。だが、私には実現できるものだった。


実力の伴わない気高き理想は、恐らくだが、それを抱くものを苦しめるだけなのだろう。だからこそ彼は、私にそれを託してこの世を去ったのだ。


だが、私はそれを悟っても尚、教師を続けている。


いつか彼のもとへ行ったときのために、多くの土産話を用意しながら。


彼の『得意』は、意外にも、私の『趣味』となった。私がこの世を去る頃には、彼の得意を理解できる領域に達することができるのだろうか。


彼は今の私を見て、喜んでくれるだろうか。

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