優秀な伯爵令嬢は、婚約者を喜ばせたい。

タルト

ライム

 清廉潔白・才色兼備で知られる伯爵令嬢ローネには婚約者がいる。彼女の1つ歳上の公爵家嫡男、ライムである。

 かつてローネは公爵にその優秀さを買われ、ライムの婚約者として迎え入れられた。


 それから4年が経ち16歳となった現在も、ローネは変わらずライムへの思いを募らせていた。

 それはライムも同様で、歳を経るごとに美しさに磨きがかかる婚約者を愛しく思っていた。



 現在二人は、王都にある学園の中でも特に多くの貴族が通う、王立テルトール学園に身を置いていた。学園には二人の他にも多くの貴族の令息・令嬢がいるほか、才能を見出され入学が認められた平民も少なくない。その殆どが12~18歳であり、勉強や将来貴族社会で生きていくための人脈作りが主な入学理由だ。


 入学後、生徒の殆どは寮生活をすることになる。それは二人も例外ではなく、ローネはそれを利用することで入学前とは比べ物にならない頻度でライムとの逢瀬を重ねていた。寮は性別によって分けられているうえ、校舎も棟の左右に置かれているのだがローネからすれば瑣末なことであった。

 毎日のようにライムに会いに行っては、一緒に過ごしているのだ。特にお昼時に中庭で並んで弁当を食べている二人の姿は、学園に通う者であれば誰もが知っているほどに有名になっていた。



「ライム様、今日のお味はいかがですか?」

「うん、いつも通り、とっても美味しいよ。」

「良かったです。」

 二人は学園の中庭、半ば定位置となった場所でローネの手作り弁当を食べていた。

 いつもと異なるのは、ローネの隣に少女が座っていることだ。

「ローネ様は本当に、ライム様の前では人が変わったように可愛らしくなりますわね。」

 そう言いながらローネのことを見つめているのは、子爵令嬢のローゼである。


 ローネとは名前が似ているのが切っ掛けで親しくなったローゼだが、今やローネの友人の中でも最も仲が良い者に数えられていた。だが、そんなローゼでも、普段完璧なローネの素の姿を見ることは殆どない。だからこそ、初めてライムの前のローネを見たとき、その変わりように驚きを隠せなかった。その出来事は、3年ほど経った今でもローゼの中で最も驚いたこととして、忘れられぬ思い出となっている。


「ねぇローネ、明日は休みだけど、何か予定はある?」

「予定ですか?いえ、特には。」

「良かった。明日、デートに行こうよ。君に是非渡したいものがあるんだ。」

 そう言って微笑むライムを見たローネは

「楽しみにしています。」

 そう言って、微笑み返すのだった。


 二人のやり取りを眺めていたローゼは、思わず顔を赤くした。

 未だ恋仲となる相手が見つかっていない彼女は、二人の仲睦まじい姿を羨ましく見つめるのだった。


 暫くの後、3人の楽しげな談笑は終わりを迎えた。

「じゃあ、また明日、いつもの時間に。」

 ライムはローネにそう告げ、小さく手を振る。ローネは手を振り返しながら、校舎に消えていくライムを見送った。



「また会議をしたいと思います。仔細は放課後に。」

 授業が始まる直前に、ローネはローゼにそう告げた。

 そしてローゼが頷いたのを確認すると、どこか満足気に席に着くのだった。



 放課後になり、教室内の生徒の数もまばらになった頃、その会議は開始された。

「では、今回の目標を聞かせてくださいませ。」

 ローゼにそう促されたローネは頷き、口を開いた。

「今回の目標ですが、普段と変わりません。ライム様を喜ばせるために何をすべきか、ともに考えてください。」


 ローネとローゼは、どうすればライムを喜ばせることができるかを常に模索していた。元々はローネのみが計画を練っていたのだが、いつからかローゼも加わり、二人でライムを喜ばせるための計画を立てていた。


「そうですわね。ここは1つ、ライム様に全てを任せてみてはどうかしら?」

「何故ですか?」

「ローネ様はこれまでに何度もライム様とお出かけをしていますが、そのほぼ全てでローネ様が主導しています。そのため、今回は、初めてのライム様からのお誘いということになりますわ。ライム様はお優しい方ですから、普段はローネ様に合わせていると思うのです。しかし、今回は初めてとなるライム様からのお誘いですわ。何か考えがあってのものでしょうし、ここは全てお任せしたほうがライム様もお喜びになるのではないかしら。」

「......確かにそうですが、しかし......。......いえ、分かりました。明日は、ライム様にお任せしてみることにします。」

 ローネはローゼの提案に、熟考の末に同意する。

 ローゼはそんなローネを微笑ましく見つめるのだった。



 その後二人は、雑談をしながら寮に戻り、一日を終えた。

 ローネは翌日に着ていく服を用意すると、眠りにつくのだった。



 翌朝、ローネはライムと中庭で落ち合った。

「おはようローネ!......今日の服、とてもよく似合っているね。」

「......!?ありがとうございます。」

 ローネは、ライムの突然の言葉に意表を突かれ赤面する。


 ライムは普段あまり服に言及しない。だが、この日ローネが着ていた服は、白を基調としながらもところどころに青の意匠が施された、ローゼが如何にローネの魅力を引き出すか、を考え抜いた末に選ばれた気合いの入った服だった。

 ローゼの思惑通りそれはローネの魅力が十二分に引き出されており、ライムが見惚れたのは偶然ではない。ライムから口をつくように褒め言葉が出てきたのも、半ば必然であった。


 ライムは気恥ずかしさから少し目を逸らしつつ、ローネに予定を話し始める。

「......今日は演劇を見ようと思うんだ。この前サラさんにおすすめのものを聞いてきたから、退屈はしないと思うよ。」

「それは楽しみです。......それは良いのですが、その、私に渡したい物というのは......?」

「ああ、それは後でのお楽しみ。今は秘密だよ。」

 ライムはそう言うと、悪戯っぽく笑う。ライムの珍しい笑い方を見たローネは不思議に思いながらも追求はせず、歩き出した彼の後ろを着いていくのだった。



 暫くの間二人は談笑しながら並び歩いた。そして話が一段落した頃、予定していた劇場に到着した。二人が訪れたのは、王都の中でも恋愛劇に定評のある劇場だ。ライムはサラからローネが恋物語を多く読んでいることを聞き、恋愛劇を選んだのだった。


「よし、じゃあ座ろうか。」

 ライムはそう言うと、ローネの手を握り席へと誘導する。

(まさかライム様から手を繋いでくれるなんて......!)

 ローネは、いつにも増して積極的なライムに歓喜するのだった。


「そういえば、何を観るのですか?」

 ローネは努めて冷静に訊いた。内心では嬉しさが爆発しそうになっているのだが、それを必死に抑えている状態だった。

「ああ、言ってなかったね。恋愛劇だよ。この前サラさんから、ローネがよく恋物語を読んでるって教えて貰ってね。僕も興味があったから、一緒に観ようと思ったんだ。」

「そ、そうでしたか......!その、とても嬉しいです......。」

 ローネは控えめに笑みを作りながらそう言うと、少しライムから視線を外し、深呼吸をした。


 ローネは以前から、ライムとともに恋愛劇を観たいと思っていた。しかし、ライムが退屈することを恐れたため、中々言い出せなかったのだ。今回ライムが自身の好みを知ったことにより、図らずも願いが叶うこととなった。


 ライムが選んだ劇は、命を落としたヒロインにもう一度会いたいと神に祈った主人公が神に祈り、それを聞き届けた神は試練を課す。そして、主人公が見事それを突破したためにヒロインは再び生を与えられる、というものだ。

「ああ、エリーゼ!神よ、ありがとうございます!」


 涙を流して喜びに打ち震える主人公を見たローネは、無意識のうちにライムの手を強く握る。ライムは少し驚きながらも、両手でそっとローネの手を包み込むのだった。



「......とても良いお話でしたね。」

 ローネは目の縁に涙を浮かべつつライムの方を向き、自身の手がライムに包まれていることに気づく。

「え、え......?」

「ああ、ごめん。その、ローネが辛そうだったから。」


 ライムがローネの手を両手で包み込んだのは、横を向いたときにローネが辛そうに見えたからだ。事実、ローネは無意識のうちではあるものの、ライムとの仲が死によって引き裂かれたら、と考え、恐怖を感じていた。ライムの手を握ったのも、ライムを離すまいとしての行動だった。ライムは、なんとなくだがそれを察知し、安心させるために両手で包み込んだのだ。


「そ、そうでしたか。......その、もう少しだけ、握っていてもいいですか?」

 ローネは強ばった顔で、おずおずとライムに問う。ライムは笑顔で頷くと、安心させるように少しだけ力を込めた。ローネは安堵し、笑みを浮かべるのだった。



 その後二人は、劇場近くの店で昼食を摂った。

 店を出て少し歩いた頃、ライムはローネに話しかける。

「こういうお店で食べるご飯も美味しいね。......でもやっぱり、ローネのご飯が1番美味しいかな。」

「......ライム様......!」

 ローネはライムの言葉を聞き、口元に手を当て微笑む。

「今日は、嬉しいことがとても多いです。」

「それは良かったよ。僕としては、この後のお楽しみでも喜んで欲しいかな。」

 ローネはその言葉を聞き、ライムを喜ばせることができていないことに気づく。だが、ライムに任せるべきというローゼの言葉を思い出し、その後もライムに委ねることにしたのだった。



「よし、じゃあ次はちょっと買い物に行こうか。この前ローネに似合いそうな髪飾りを見つけたんだ。」

 ライムはそう言うと、そっとローネの手を引く。ローネはライムに導かれるままに、その店に向かった。


 二人が訪れた店は、髪飾りや首飾りといった小物を取り扱う店だ。王族までもが贔屓にしているほどで、上流階級においてその人気は凄まじい。商品の質は極めてよく、数十年もの間身につけ続ける貴族がいるほどだ。ライムもそのような話を耳に入れ、ローネが長く使えるようにと品を見繕ったのだった。


 店に入ったライムは、貴族担当の店員に話しかける。店員は頷くと、予め用意していた髪飾りをライムに取り渡す。


 ライムが選んだ髪飾り花を模したものだ。淡い水色をしており、中央には白い宝石があしらわれている。一目見ただけでも、職人の意匠が凝らされたものだとわかるものになっている。

 特筆すべきは、ライムはこれを考え抜いた末に選んだのではなく、手に取ったとき直感的にローネの笑顔が思い浮かんだことだろう。ローネの喜ぶ顔が見たいライムには、選ばない理由はなかった。


 ローネはライムから髪飾りを受け取ると、鏡を見つつ位置を整える。

 少しの後、ローネはライムの方を向き、おずおずと問いかける。

「......どうでしょうか?」

 ライムが無言で固まっていたため、ローネの不安が膨らむ。

 そしてライムの名前を呼びかけようとしたそのとき

「......ローネ!すっごく似合ってるよ!あまりにも綺麗で、思わず見惚れちゃったよ!」

 ライムはそう言うや否や、ローネの両手を包むように握る。

「ライム様......!」

 ローネはライムに褒められた嬉しさと手を握られた恥ずかしさがないまぜになりながらも、にこやかに笑ったのだった。



 その後二人は店員にお礼を言うと、店を去った。

「ライム様!本当にありがとうございます!」

 ローネはライムに何度も礼を述べる。嬉しさのあまり抱きつきそうになるが、寸前で踏みとどまることを繰り返していた。

(今日は間違いなく、人生で一番いい日だわ!今までこんなにも嬉しいことはなかったもの。)


 ライムは、今にも小躍りしそうなほどに舞い上がっているローネの横で一人覚悟を決めていた。それはライムの一世一代の告白の決意だった。



 かつてライムは己の立場を呪ったことがあった。公爵の嫡男は、彼にとって重荷であった。

 彼がまだ幼い頃は毎日のように家庭教師がつき、一日中勉強することを強いられていたのだ。それでも彼の能力は優秀と言えるものではなかった。


 そんな日々を送っているライムだったが、月に一度だけ街への外出が許されていた。それは彼にとって唯一の娯楽だった。彼はその日だけは辛い勉強を忘れ、遊び呆けることができたのだ。

 それから暫くの月日が流れたある日、ライムは街の子供が毎日のように遊んでいることに気づき、この事実に愕然とした。そして、もっと遊べる日を増やすよう父親に猛烈に抗議したのだ。


 公爵はこの抗議を跳ね除けた。だが、あまりにも騒ぎ立てるライムに辟易し、彼に試練を課すことにした。それは公爵が毎年主催している剣術大会に出場し、入賞することだった。

「......鍛錬の期間は3ヶ月だ。勉強が駄目なら、剣でその優秀さを示せ。」

 ライムは父の強い言葉に臆することなく頷いた。それからは、勉強をそこそこに剣術の鍛錬をする日々が始まった。


 そして3ヶ月後、ライムは大会に出場した。彼を含めて12人の同年代の参加者がいた中で、彼は第4位に輝いた。それは大健闘と言ってよいものだった。

 しかしその大会で入賞とされるのは3位以上であり、ライムは公爵の出した条件を満たすことはできなかった。ライムの努力は実を結ばなかったのだ。

 ライムはそれ以来、物事に挑戦することを止めた。もう努力の全てが無駄になることを嫌ったのだ。



 それから少し月日が流れた頃、ライムを取り巻く環境が変わった。それは父親が見つけてきた婚約者の登場によるものであった。



 彼が初めてローネの家に招かれたとき、彼女の手料理が振る舞われた。

 ライムは普段、独りで食事を摂っていた。周囲に使用人がいることこそあれど、食卓を囲んだことは殆どなかったのだ。

 だが、その日は違った。目の前にその料理を作ってくれた婚約者が座っているのだ。

 不思議と笑顔が溢れた。料理の味はこれ以上なく美味であった。ローネとの食事は何よりも心が満たされた、とても幸せなひとときとなったのだった。



 その日の夜、ライムの心には明確な変化があった。ローネが料理に挑戦したように、自分も料理に挑戦しようと決意したのだ。彼女のように美味しくできるかは分からなかった。それでも、彼に諦める気など起こらなかった。彼女が自分を満たしてくれたように、自分も彼女のことを満たしたいと強く思ったのだ。

 そして彼は、数年ぶりとなる大きな挑戦をした。それは見事、成功に終わった。



 婚約以来、ライムは幾度となくローネに救われた。

 ライムは、自分を思い慕ってくれる愛しい少女を喜ばせたいと思った。そして彼は、これまでの感謝を伝えることにした。同時に、これから先も絶対にローネを幸せにするという決意をした。

(ローネが僕を変えてくれた。僕を奮い立たせてくれた。僕は、やらなければならない。ライム・ルークスの一世一代の告白を。)


 ライムは一度、深く深呼吸をした。そして

「ローネ!君と一緒に行きたいところがあるんだ。」

 そう告げると、ローネを大きな公園に連れていくのだった。



 暫くの後、空が夕焼けに染まった頃、二人は景色がよく見える高台に立っていた。背後には噴水があり、夕日を受けて煌びやかに輝いていた。

 周囲には人はおらず、二人だけの景色が広がっていた。


「......夕焼け、綺麗ですね。ライム様。今日は、今までの人生で一番嬉しいことが多かった日です。」

 ローネはうっとりとしながらそう言うと、ライムに微笑みかける。

「それは、良かったよ。本当に......。」

「ライム様......?」

 ローネはどこか歯切れの悪い返事をするライムを心配そうに見上げる。

 ライムはそれに気づかないまま後ろに下がると噴水の前に立ち、ローネに手招きをして誘導する。

 ローネは不思議に思いながらも、誘われるがままにライムに近づいた。


 ライムは、ゆっくりと歩いてくるローネを見ながら、ポケットから小さな箱を取り出した。

「ローネ。今日君を誘ったのは、これを渡したかったからなんだ。」

 ライムはそう言いうと、箱を開けた。

「......ライム様、これは......!」

 ローネは声を震わせながら、恐る恐る箱の中の指輪を受け取る。


 その指輪はシンプルながらも洗練された意匠が施されており、中央には永遠の絆を意味するダイヤモンドが輝いている。かつて自信を持てず、挑戦する気概を失っていた自分を変えてくれたローネへの感謝の印であり、絶対にローネを幸せにするというライムの決意を体現したものだ。

 ライムは、覚悟を胸に、口を開いた。

「ローネ。いつも、本当にありがとう。君は僕を救ってくれた。君が僕を変えてくれた。......僕は絶対に、君を幸せにしてみせるよ。一生、君を愛し続ける。だから、これからもよろしくお願いします。」


 ローネはライムの言葉に肩を震わせながら、ゆっくりと指輪を薬指にはめる。

 その瞬間、感動が、嬉しさが、幸福が、ローネに感情の波として押し寄せる。涙が溢れる。ローネは衝動のままにライムに抱きついた。


 抱きつくことだけは、ずっと堪えていたのだ。かつてライムに思いを告げたときとは違い、身も心も成長している。年頃の令嬢として、たとえ婚約者であろうと抱きつくことはいけない。そう自分に言い聞かせ続けていた。だが、もう止まらない。止まることなどできない。


「ライム様!ライムさまぁ!私も愛しています!私は、ローネ・アルノーは、いつまでも、ライム様を愛し続けます!」


 ライムは力強く、自分に縋り泣く腕の中の少女を抱き締めた。



 それから暫くの間も、二人は互いを離すまいと抱き合っていた。

 離れた頃にはローネの顔は涙でくしゃくしゃになっていた。それを見たライムは、安心したように笑顔になる。ローネもつられるように笑った。


 そしてひとしきり笑った後、ライムはローネとともにベンチに座ると、空を見上げた。

「ねぇ、ローネ。月が綺麗だね。」

 それを聞いたローネは、くすくすと笑う。

「ライム様と見る月はいつも、より一層美しく輝いていますよ。」

 ローネはそう言うとライムに抱きつき、そっとライムの唇に自らの唇を重ねた。ライムは驚きながらも、ローネをそっと抱きしめる。


 空に浮かぶ月は二人を祝福するかのように、いつまでも輝き続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

優秀な伯爵令嬢は、婚約者を喜ばせたい。 タルト @stval01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ