26:激化
私にとって平穏に月日は流れて、二月に入っていた。
アントナン殿下はこの月に入ってから、ますます焦りを見せ始めている。もちろんそれは年末以来、一向に婚約者候補が減らないからだろう。
国王陛下に決められた期限はあと一ヶ月と少しなのだ、その焦りも仕方が無いだろう。
そんな焦った殿下が私に接触する頻度は、双子の護衛のメレーヌとイレーヌのお陰で増える事は無く、まさに平穏だったわ。
しかし学園の休みが明けての週始めの日、私は他の生徒らから良からぬ噂を聞く事になった。それは休日の日に、己の領地へと向かっていたリオネルの馬車が横転したという話だった。
幸いにもリオネルは通りかかった商人に発見されて、一命を取り留めていたが、かなりの大怪我でしばらく学園を休み入院する事になったそうだ。
胸などを打ちつけて肋骨が折れていたのと、足の骨をポッキリとやったらしい。
「完治には三~四ヶ月は掛かるそうですよ」
情報を集めてきたイレーヌがそっと教えてくれたわ。
事故の原因は、何かに馬が驚き暴れたと言う話だったが。
この時期に事故って……
無いわー
残った二人のどちらかが焦ってやったとしか思えないわよね?
だって一人は国王陛下に期限を決められているアントナン殿下でしょ。そしてもう一人は春に学園を卒業するジェレミー先輩だ。
時間だけはたっぷりあるリオネルがここで脱落ってありえないでしょ?
私がそう思ったくらいだ。
もちろんそれは当事者たる二人も同様に考えただろう。
そんな訳で、本日。
アントナン殿下のクラスには季節はずれの転校生が三人も入ったらしいわ。
食堂でチラッと見たのだけど、変わらずマエリスの取り巻きを続けている二人に転校生の三人が混じるようになっていた。
あらっ人数だけを見れば当初通りの五人じゃない?
ちなみにその集団を見て、
「護衛にしても、もう少しマシな人は居なかったのかしら?」
と、すっかり溶け込んだ双子の護衛にボヤいた私はきっと悪くないと思うわ。
だって筋骨隆々で髭の生えた、とても学生には見えない二十台後半の男性が混じっているんだもん……
それを見て苦笑する双子だったが、メレーヌが、
「親衛隊になるには、かなり実績が必要ですからね。
元々の人数が多い男性の場合、競争率は相当高いのだと思います」
と、騎士団事情を教えてくれたわ。
そんな訳で、以前もかなり雰囲気が悪かったマエリス軍団だったが、ここに来てさらに輪をかけて悪化したのは言うまでもない。
だってね、護衛の人の威圧感と言うか眼力が凄いんだもの……
※
あのリオネルの事故から十日ほど、最後の月が見えてきた頃。
週末のお休み初日に、領地で隠居していたお爺様が病気になったと聞いて、さっそくお見舞いに行ってきたわ。
なんのことは無い、ただの食べすぎだったみたいで大事は無し。
本当は領地でゆっくり休めれば良かったのだけど、翌日はフェルにデートに誘われていたので、私は急ぎ王都へと引き返していた。
双子と私が馬車でおしゃべりをしていると、『ヒヒィィン』と馬の甲高い声が聞こえて馬車がぐらぁと揺れた。
次の瞬間に、私は上下が分からなくなっていたわ。
ものすごい衝撃が走り体をいろんなところに打ち付けた。
やっと音が途絶えた所で、ああこれは馬車が横転したのねとぼんやりと思ったわ。
しかし馬車が揺れ始めると、すぐにイレーヌが私を抱き抱えてくれたお陰で、私には怪我はなかった。でも抱き抱えてくれたイレーヌの方は、体中を強かに打ち付けたようで意識がなかったわ。
「イ、イレーヌ!? 大丈夫!!?」
腕の中から抜け出してイレーヌを見ると、額から血が流れているのが見えた。
頭を打ったのね!
隣に座っていたメレーヌは?
「うぅ」と痛そうな声を上げているけど意識はあるようだった。
「メレーヌ、貴女は大丈夫!?」
「うぅっ、体中痛いですけど何とか……、少し待って頂ければ動けるかと」
そんな彼女のむき出しの腕や足には擦り傷が見えていた。
その時、外からこちらに近づいてくる足跡が聞こえてきた。
リオネルの件に続き、馬車がそんなに頻繁に横転するわけが無い。
私はすぐにメレーヌに近づき、耳元で囁いた。
「気絶した振りをお願い。その後は助けを呼んで頂戴ね」
何者かにより横転した馬車の、今は天井にあたる側にあるドアが開けられた。
そこから覗き込んで来たのは、顔を布で覆った男だったわ。
「へぇ優秀な護衛だな、主人を護って気絶か」
そして男は下卑た笑いを見せながら、
「護衛の命が大事なら素直に出てこいよ」と、言ったのよ。
そう言われて素直に出ようとしたのだが、高い位置にあるドアには手が届くものの自分の体を持ち上げる事は出来なかった。
令嬢に懸垂なんて出来るとおもって!?
男はしばらく見ていたが、埒が明かないとばかりに私の手を掴むと、力一杯引き上げて私を馬車から引きずりだしたのよ。
「痛いわ! 私に触らないでよ!」
月並みな台詞だったと自分でも思う。
しかしこの後のことを思えば、私は恐怖から他の台詞は浮かんでこなかった。
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