12:仕込みよね?

 一日ぶりのアルテュセール侯爵領の屋敷に帰ってきたのは夕日が傾く頃合だったわ。

 馬車の中では、私への好意をもはや隠すことなく、隙あらば近くへと擦り寄ってくるフェルナン殿下をけん制するのに手一杯で、大変疲れたのよね。




 次は二人で乗らないと言ったはずが、『次回は善処す』」と言われて結局二人きりになってしまった。そしてあの爆弾発言を聞いた公爵閣下も、面白がって屋敷の侍女を貸してくれなかったわ。

 これ以上問答しても、変なフラグが立ってるからまた婚約の話に戻っちゃうのよね。



 だから私は、せめて隣に座られないように、

「帰りは私はこちらの席に座りますね」

 乗り込むや否や、そう宣言して私が馬車の進行方向に背を向ける形で座ったわ。

 しかしすぐにフェルナン殿下が隣へと移ってくる。


「あら殿下はこちら側の席では馬車に酔うのではないのですか?」

 私だって一応は年頃の娘なのだから、ここまで真っ直ぐに好意を向けられた相手と平然と一緒に居られるわけが無い。

 それなのに隣に来られたら意味が無いじゃない?



「大丈夫だ。ジルダを見ていればきっと酔わない」

 根拠の無い自信、そしていつの間にか呼び捨てだったわ。


「私を見るのなら正面の方が楽なのではないでしょうか?」

「な、何を言う! 正面だとその、いい香りがあまりしないじゃないか……」

 最後の方は少しだけ恥ずかしそうに、ぼそぼそっと話すフェルナン殿下。


 いやいやいやいや、それは相当恥ずかしいことですからね!?

 匂いフェチとか、ちょっと恥ずかしがる程度のヘンタイさん行為じゃないですよ!

 なんせ同時に思い出したのが、妹の部屋に入るや恍惚な表情を浮かべて香りを満喫していたお兄様ヘンタイの姿だもん。

 まさかのフェルナン殿下の性癖が残念なお兄様と同じとかっ、真面目に驚いたわよ!



 しかし香りねぇ……

 私ってダメな系統を引き付ける匂いでも出しているのかしら?

 自分の袖をクンクンと嗅いでみたが、いつも通りの香水の匂いしかしなかった。




「……うっ」

 ちなみに偉そうなことを言っておきながら酔ったみたい。

「愛より体質なんですねー」と、言ってやったら青ざめた顔で凄く悔しそうにしてたわ。







 そんな訳で帰ってきた私は、疲れてサロンでぐったりしていたのよ。

 そこへ何故かご機嫌なお父様がやってきて、

「お帰りジルダ。フェルナン殿下と仲良くなったそうだね」

 本日は無視一日目、当然返事を返すつもりは無いので放置です。

 第一声を無視されたお父様は、懲りずにその後もしきりに何かと話しかけて来たのだけど、全て無視して差し上げたわ。

 そして三十分後、散々無視されたお父様は、肩をがっくり落としてサロンを出て行かれましたとさっ。







 翌日、学園に向かうと玄関口にリオネルが待ち構えていたのよ。

 そして彼はどや顔で、

「おいジルダ! 僕はついに父上に許して貰ったぞ。

 もうこれでお前のご機嫌を取る必要も無くなった、悪いけどお前のことは愛せない!」

 もちろんこれは、お兄様経由でベネックス伯爵閣下に連絡を入れて、お小遣いカットを中止するように依頼しておいたのだけどね。


 翻訳すると「小遣いが戻ってきたから、もうお前の機嫌は取らない」って意味よ。


 それにしてもリオネル……

 まさかこれほどまでに馬鹿だったとは、私は自分の元婚約者を過大評価していたみたいね。ごめんなさいフェルナン殿下、貴方が仰ったことの方が正しかったわ。


 彼は一方的にそう告げると、「僕のマエリス、いま行くよ待っててね~」と、叫びながら走り去っていった。

「あ、あは、あはは、ハァ……」

 はしたなくも、ため息交じりの失笑が口から漏れたのは、私が悪いとは思いたくないわね。


 驚くべきことに、リオネルだけでなくマエリスも相当にアレだったようで。その日のうちに取り巻きに復帰したリオネルのことは、やっぱり再び学園中の噂となっていた。

 そして私はくだんのマエリスと廊下ですれ違ったのよ。


 彼女は勝ち誇った表情を見せて、

「あんたの婚約者が、またあたしの所に戻ってきたわよ。悪いわね、モブには出せない魅力を見せちゃって、クスクス。

 そう言えばあなた、この前なんて言ってたかしら?

 えーと、そうそう『あと三人よ』だっかかしら、フフフフ笑っちゃうわね」

 言いたい事を言い終えたマエリスは、一方的にそう捲し立てると満足げに笑いながら去っていったわ。


 ねぇこれ、やらせかドッキリじゃないの?

 じゃ無ければあの二人の頭の中は、万年草の花が咲いたお花畑なのかしら。





◆幕間


 屋敷に帰った私は、すぐに侍女のルイーズと話したの。

「ねぇ私、何か匂うかしら?」

 漠然としたこんな質問もルイーズはいつもの事として驚くことも無く、平静と、そして的確に答えを返してきたわ。

「お嬢様の使われている香水はお屋敷で育てた花から抽出した特別製ですから、その香りの事でしょうか?」


「へぇこの香りってうちの領地の特産なのね」

「いいえ、お嬢様だけの特別製ですわ。この辺りでは咲かない花を昔に頂きまして、温室で栽培したそれを使って作っていますよ」


「へ、私のためだけに?」

「えぇ旦那様からそのように指示されていますので」

 お父様ってば、昔から私を溺愛してたのね。仕方が無いわね、無視の日数を半分にしてあげても良くてよ。


「ちょっと、明日から違う香りにしてみていいかしら?」


「構いませんが、この香りがお嫌いなのですか?」

 十年近くも使ってて嫌いも何も無いのだけど、フェルナン殿下とお兄様がね……



 そして香りを変えて数日。

「ルイーズ、元に戻して頂戴」

 まったく効果なしよ!

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