神殿 4

 護衛を残し、レオンとサーシャは馬車に乗り込んだ。

 席に座ると、サーシャはレオンの前だと言うのに、眠気を感じた。

 一日に二回も結界を張ったせいだろうか。

 もっとも、既に深夜のせいかもしれない。

「疲れたのか?」

「えっと。はい」

 あくびをかみ殺したのに気付かれ、サーシャは素直に頷く。

「さすがに遅いな。君は寮住まいだったか?」

「ええと、はい」

 サーシャの返事を聞くと、レオンは窓の外に馬車と並走して走っている護衛に声をかけた。

「なんでしょうか、殿下」

 寄ってきた護衛に、レオンは朱雀離宮に戻る前に、宮廷づとめの者が住まう寮へ寄って行くように伝える。

「あの、殿下、私は別に」

 サーシャは慌てて断ろうとする。

 朱雀離宮に帰って、今日のことを話し合うつもりでいたのだ。

「私も今日は戻ったら休む。さすがにいろいろなことがありすぎた」

 レオンは大きく息を吐く。

「確かに、そうですね」

 そもそも、今日、サーシャは朱雀離宮から荷物を引き上げたところだ。

 マーベリックに会い、ハックマン祭司を助け、会議に出た。さらには、ブルックス伯爵を守るために結界を張った。濃密すぎる一日だったといえる。

「ですが、一応、塔には報告に行かないと」

 ブルックス伯爵に魔術薬剤が使われていた以上、近いうちに塔に収容する必要もある。

「この時間に戻ったところで職員はほぼいないだろう?」

「それはそうですが」

 もちろん、まだ塔に残っている職員はいるだろうが、それは当直の者だけだろう。

 仕事人間であるルーカス・ハダルも、さすがに帰宅しているはずだ。

「それに君はまだ若い女性だ。こんな深夜に朱雀離宮を出入りしてはいろいろ外聞も悪い」

「外聞?」

 サーシャは首をひねる。

 親衛隊が夜遅くまで宮廷魔術師を引き回しているとなると、親衛隊の評判が堕ちると言うことだろうか。

 一応、サーシャは客分扱いだから、こき使ってはまずい、そういうことかもしれない。

「このくらいの時間なら、研究室にこもっていることなんて、ざらですけれど」

「勤務時間の話ではない」

 こほんと、レオンが咳払いをする。

「親衛隊は男所帯だ。朱雀離宮に女性の使用人は数人しかいない。そんなところに若い女性の君が深夜に出入りすれば、悪い噂が立ちかねない」

「……考えすぎではないでしょうか?」

 サーシャは苦笑する。

「私は宮廷魔術師です。誰もそんな艶やかな誤解はしませんよ」

 そもそも噂が立ったところで、縁談に興味のないサーシャは痛くもかゆくもない。

 それに、サーシャの実家、アルカイド家は、やっとサーシャに春が来たとほっとする可能性すらある。

 と、そこまで考えたサーシャは、悪評は、自分ではなくレオンの方にたつ可能性に気づく。

 まだマルスの婚約者がはっきりしていない今、レオンは政治的な立場を非常に気にしている。

 そもそも浮名一つ流したことがない。

 そんなレオンだ。

 サーシャはルーカス・ハダルに次ぐ実力者であることから、宮廷魔術師を味方に付け、謀反を企んでいると騒ぎ立てられかねないと気にしているのだろう。

──もっとも、私と殿下ではつり合いが取れないわ。

 レオンは死神皇子などと言われているけれど、表情筋が死滅しているだけで、造作は整っている。

 そして中身は無自覚な人たらしの優秀な皇子だ。その気になりさえすれば、かなりモテるだろう。

 対して、サーシャは子爵家の娘だ。それなりに整った顔立ちをしている方だが、それだけだ。アルカイド家は持ち直したといっても、あくまで子爵家としてのレベルだ。

 実際の話、噂になったところで、サーシャが一方的に熱を上げているような話になるに違いない。

「なんにせよ、君は早く休むべきだ。魔術師は寝るのも仕事だろう?」

「それは……そうですが」

 確かに寝不足では、魔力が最大限に使えない。

 注意力も落ちるから、魔素を見るのにも影響がある。

 それを言われるとサーシャとしても、休むしかない。

「殿下もしっかりお休みになられるのですよね?」

 自分だけ仲間外れにしないでくださいよと、サーシャは念を押す。

「当たり前だ。寝ぼけて犯人を捕らえそこなっては、笑えないからな。大丈夫。今回の事件はアルカイド君がいないと始まらないから」

 レオンはそう言って微笑した。

 強面のレオンの顔が、柔らかな優しい春の日差しのように変わる。

 不意打ちをくらって、サーシャの胸の鼓動が速くなった。顔が熱くなるのを感じて、サーシャは思わず俯く。

「どうかしたのか?」

「……なんでもありません。その、疲れているのかも」

「そうか。ゆっくり休んでくれ」

 レオンは、サーシャの苦しい言い訳を気にした様子もない。

──本当に疲れているのかも。

 そうでなければ、微笑み一つでこんなに動悸が続くはずがない。

 サーシャはそう自分に言い聞かせ、外を見る。

 けれども。

 深夜の街は暗く、御者の照らしている灯の他は、何も見えなかった。

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