神殿 3

 サーシャとレオンは霊安室を出ると、再びブルックス伯爵の病室に戻った。

「それにしても、なぜ魔術薬剤なのでしょう?」

 遠距離攻撃を防ぐ結界を張り終えると、サーシャは首を傾げレオンに尋ねる。

「殺すことまでは考えておらず、しばらく沈黙させておけばよいと考えているのか、それとも、毒を盛るより気づかれにくいと判断したからなのか、判別は出来ないな」

 レオンは肩をすくめた。

「どちらにせよ、親衛隊われわれをなめているとしか思えない。ただ、アルカイド君でなければ、魔術薬剤に気づいたかどうか怪しいが」

 魔術薬剤に気づかなければ、これはただの不慮の事故と扱われるだろう。

 調査はされるにせよ、伯爵より、毒を盛られた御者の方に注目してしまうに違いない。

「しかし、馬車が事故にあわなかった場合、ブルックス伯爵はそのまま屋敷に帰り、下手をしたら翌日になってようやく異変に気付くことになったはずだ。その場合、魔術薬剤による効果だと医者がはっきり診断できる確率は非常に低い。そう考えると、御者が事故を起こしたのは、かえって悪手だったな」

 レオンが苦い顔をする。

「手っ取り早く始末したかったのかもしれませんが、不用心でしたね」

 サーシャは頷いた。

 屋敷で医者を呼んだ場合、親衛隊に連絡が来るかどうか怪しい。

「なんにせよ、守り切って見せます」

「ああ」

 レオンが頷く。

 その時、ノックの音がして、グランドールが客人を連れて部屋に入ってきた。

「ご家族のかたがいらっしゃいました」

 入ってきたのは、ステファニー・ブルックスこと、ブルックス伯爵夫人だった。

 伯爵夫人はベッドの上の夫を見て真っ青になる。思っていた以上にショッキングな状態だったのだろう。

「大丈夫ですか?」

「ええ。なんとか」

 グランドールに尋ねられ、伯爵夫人は頷く。

 それから、レオンがいることに気づき、さらに顔色が悪くなった。

「あの……殿下がおいでになると言うことは、何かあったのでしょうか?」

 ただの事故と事件では、夫人としても受け止め方が変わってくるのだろう。

 むろん、どちらにせよ、傷が軽くなるようなことはないのだが。

「まだ何とも言えない」

 レオンは首を振った。

 サーシャはレオンの態度を不思議に思う。

 魔術薬剤の話はまだしないつもりのようだ。今話したところで、詳細が分かっているわけではないと言うことだろうか。

「ところで、ブルックス夫人、伯爵はどこへ出かけたのかわかるかね?」

「デイバーの方へ行くといっておりましたが」

「デイバー?」

 デイバーと言えば、あまり治安のよくない地域だ。伯爵が好んで出かけるような場所ではない。

 ただ、例のキンブル製糸商会はデイバーの商工会に属していた。

 ハックマン祭司がかかわっていたのだから、伯爵も何らかの関与をしていた可能性は高い。

「はい。主人はデイバーにある小さな孤児院に寄付をしているのです」

 夫人は誇らしげに胸を張る。

 神殿や孤児院に寄付をするのは、ある意味貴族のステータスだ。ブルックス伯爵家は経済的に豊かな新興貴族だ。慈善活動をしていても全く不思議はない。

「……なるほど」

 レオンは頷く。

「いつごろ、屋敷を出た?」

「今朝がた早くにです。デイバーに行くときはいつも一日お出かけなのです。それがまさか、こんなことになるなんて」

 おそらくブルックス夫人の言葉に嘘はない。

「他にどこかに寄るような場所は?」 

「……ないと思います」

「なるほど。またお話を聞くことがあるかもしれないが、今日はこれで失礼する」

 レオンはそれだけ言うと、サーシャの手を取って、病室の外に出た。

 手を取られたことにびっくりしたサーシャだが、サーシャの手を引くレオンの顔はとても険しかった。

 どうやら、事件のことで気になることがあるようだ。

「殿下?」

 診療院の外に出たレオンは外で待っていた隊員に地図を持ってこさせた。

 そして、それを灯の下で広げる。

「やっぱりだ」

 レオンは呟く。

「見てくれ、アルカイド君」

 レオンが指さしたのは、事故のあった場所だ。

「こちらが、ブルックス伯爵家の屋敷で、ここがデイバーだ」

 サーシャは言われた場所を見て、レオンが言わんとすることを理解した。

 事故にあった場所は、デイバーとブルックス伯爵家の道筋とはまったく別のところにある。

「これは……夫人が嘘をついているようには見えませんでしたが、ということは」

「ああ。おそらく、女だ」

 レオンは地図をにらみながら、大きくため息をついた。

 

 

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