神殿 5
翌日。
サーシャは塔に顔を出した。
ハックマン祭司の様子が知りたかったのと、ブルックス伯爵の件の報告を兼ねてだ。
「つまり、ブルックス伯爵は魔術薬剤を使用されたということか?」
ルーカス・ハダルが眉間にしわを寄せる。
「はい。ディビット・グランドール氏の眠りの魔術薬剤です。一度見ていますから間違いありません」
サーシャは確信を持っている。
あれほどの効果をもたらす魔術薬剤は、おそらく他にはないはずだ。
「しかし、あれは回収したはずじゃないのか?」
ハダルの脇で聞いていたリズモンド・ガナックが口をはさむ。
「回収したのはあくまで、東雲にあったものだけです。既に販売されたものもあると思われます」
東雲を経営していたムクドは、『カササギ商会』と深い関係にあったが、それ以外の相手とも商売をしていた。もと軍の研究員だったこともあり、顔も広い。
「魔獣がみつかったこと、エドランが噛んでいることなどから、捜査は『カササギ商会』絡みのことを優先しているようですから」
魔術薬剤は違法ではない。
使用量を守れば、健やかな睡眠を約束するものだ。
調査が後手に回ってしまったのもある意味では仕方がないだろう。
「診療院に結界は張ってきましたし、親衛隊が常に護衛をしているので、遠隔魔術による攻撃はないと思われます。もっとも危篤な状態には違いありませんし、眠りの魔術薬剤をどの程度服用したのか、判断できません」
「……つまり、塔の治療が必要ということか」
「はい」
ハダルの言葉に、サーシャは頷く。
「ハックマン祭司はどうしていますか?」
サーシャの問いにハダルは苦笑いを浮かべた。
「やっこさん、家に帰りたいだの待遇が悪いだの不平が多いな。自分が狙われていることはわかっているだろうに」
「どうです? まだ攻撃はきますか?」
「いや。今は何もない。たぶんしばらくはこないだろう。殿下があれほどはっきり身柄を確保したと断言なさったのだ。下手に攻撃をすれば墓穴を掘るからな」
「つまり、ハダルさまは、神殿に主犯がいるとお考えですか?」
「おい、サーシャ!」
サーシャの問いに、リズモンドが慌てる。
「まだ断言することはできないよ、サーシャ。証拠はないのだから」
ハダルはにやりと笑う。
「しかし、殿下が断言したことで攻撃がやんだのであれば、あの場にいた人間の誰かが遠隔攻撃をしていた者に通じているということになります。あの場にいたのは、私たちと、皇太子殿下とレオン殿下を始め親衛隊の隊員。あとは、神官です」
「サーシャの結界に恐れをなした可能性もある」
「ハダルさま?」
珍しく茶化すようなハダルの言葉に、サーシャは驚く。
「結論を急ぐな、サーシャ。それを調べるのは親衛隊の仕事だ。レオン殿下から、お前を親衛隊によこすように依頼が来ているが、そのような決めつけをするのなら、行かない方がいい」
ハダルの目がいつになく厳しい光を帯びている。
「お前は宮廷魔術師の仕事は学んでいるが、親衛隊の仕事については学んでいない。もちろんお前の能力が非常に親衛隊の仕事に向いているのは確かだが、思い込みで動けば必ず何かを見落とす」
「……はい」
ハダルの言いたいことを理解して、サーシャは神妙に頷く。
事件の概要がまだわからない段階で、決めてかかってはだめなのだ。
「リズモンド、サーシャと一緒に親衛隊に行きなさい」
「ハダルさま?」
「サーシャは優秀だが、一人だと危うい。殿下と一緒なら大丈夫だとは思うが、応援に行くのに殿下の足を引っ張ってはだめだ」
「しかし、殿下はサーシャ一人を指名しているのでは?」
リズモンドが首を傾げる。
リズモンドが、ハダルの意見に異を唱えるのは非常に珍しい。
そもそもサーシャ一人抜けても、残される人間は大変なのだ。宮廷魔術師はそれほど余剰人員が多い仕事ではない。
「正直に言うと、リズモンド。今回は国家の存亡にかかわる事件だと私は考えている」
「それは、そうですが」
念糸を使った皇太子への洗脳。それほど大きな効果はなかったものの、皇太子を意のままに動かそうとした意図が見える。
そして、垣間見えるエドランの影。
カササギ商会が国を分断しようとしたこともある。
ハダルは、それらがすべてつながっている可能性に恐れている。
「なんにせよ一連の事件の陰には、黒魔術のスペシャリストがいる。それこそハックマン祭司など問題にならぬ相手だ。それに対抗するには、こちらもスペシャリストが必要だ」
確かにハックマン祭司をおそった遠隔攻撃は、並みの使い手ではなかった。それは、サーシャが一番よく知っている。
「本当は私が行きたいところだが、宮廷の守りと塔の統括の業務を放置するわけにはいかない。だからお前たちを行かせよう。場合によっては殿下が狙われるかもしれない」
「殿下が?」
サーシャとリズモンドが顔を見合わせた。
「親衛隊を束ねているのは殿下だ。殿下がいなくなれば、追及の手は当然弱まる」
追及の手を鬱陶しいと感じた『敵』が、レオンを害することで、逃れようとする可能性はある。親衛隊が上級貴族に対してにらみが利くのは、レオンが皇子だからだ。レオン以外の人間がたつことになったとしても、レオンほど強く出られないだろう。
「殿下はそのことに気づいておられましょうか?」
サーシャの問いにハダルは首を振る。
たとえ気付いたとしても、捜査の手をやめるレオンではない。
「わかりました。俺とサーシャで、レオン殿下を守り、事件の捜査をいたしましょう」
リズモンドが丁寧に頭を下げる。
「サーシャ。細かいことは俺がやる。お前は殿下から離れるな」
リズモンドに言われて、サーシャは頷いた。
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