念糸 21
神殿につくと、レオンはハックマン祭司に会わせるように要求した。
「それが、ハックマン祭司は現在、不在でして」
慌てて出てきた神官が、平身低頭で答える。
初めてレオンと二人で来た時に比べ、ずいぶんと違うとサーシャは思う。
今回は護衛こそいるものの、隊を率いてきたわけではない。
もっとも、影狼の首魁がいたり、マーベリック祭司がつかまったりなど、神殿としては不祥事が続いたこともあり、親衛隊にこれ以上睨まれたくはないはずだ。
それに。レオンの推測が正しければ。
神殿側としては、ハックマン祭司は、おそらく、親衛隊においつめられて『自決』という結末に持っていきたいのではないかと、サーシャは思っている。
神殿の内部調査の段階で、黒と認定するわけではなく、あくまで親衛隊に花を持たせる形で、ハックマンを切り捨てる。そうすることで、ハックマン一人の責任をおしつけられるだけでなく、親衛隊に黒星をつけることが可能だ。
下手に内部調査の段階で、ハックマンを死に追いやれば、トカゲのしっぽ切りと疑われ、さらに親衛隊の手が入る可能性が高い。
「どこに出かけている?」
「それが、おそらくは、その、ダルヴァだと」
神官は、ためらいながら答える。
ダルヴァというのは、貴族相手の歓楽街だ。高級娼婦、賭博、そんな店が多く集まる場所である。
「懇意にしている店があるのか?」
「ええと」
神官は、話すべきか迷っているようだった。
祭司が歓楽街に入り浸っているというような話を、外部の人間にすべきかどうか迷っているのかもしれない。
「
神官は仕方ないという顔をする。
「本当にそちらで、間違いないのか?」
レオンは念を押す。言外に、嘘は許さないという圧をかけている。
「少なくとも、そう伺っております」
ハックマンが嘘を言っていたら知らない、とでも言いたげだ。
「では、そういうことだな。今、ここでのやりとりについては記録に残しておく」
「承知いたしました」
レオンの言葉に神官は頷く。
──これで、居留守を使っていた場合、神殿に責任を問うことができるというわけね。
サーシャは内心で苦笑する。
レオンは、この後、神殿に見張りを残していき、出入りを監視させるつもりだ。
皇子を門前払いをしておいて、
さすがに、まだ、ハックマン祭司が犯人だという証拠は何もない。本当に外出している可能性もある。
これは、万が一の保険、ということだろう。
レオンは神殿を出るとマーダンに耳打ちしてから、馬車に乗り込んだ。
「ダルヴァに行かれますか?」
「ああ」
サーシャの問いにレオンは頷く。
「月影邸というのは、有名な貴族相手の高級娼館だ。前から、エドランの関係者が出入りしているという噂がある」
「エドランですか」
エドランはとにかく魔術に対して寛大と言えば聞こえはいいが、黒魔術の研究の無法地帯だ。
取り締まりが緩ければ、当然、人材も集まり、さらに研究が進む。
いまや、黒魔術の最先端がエドランにあると言っても過言ではない。
「つまりハックマン祭司は、そこでエドラン関係者に会い、黒魔術の研究をしていたということですか?」
「そうだな」
レオンは頷く。
「娼館というのは、人目をしのぶ作りになっている。密談するにはもってこいの場所だ」
「それなら、急いでハックマン祭司を保護しないといけませんね」
サーシャは顎に手を当てる。
神殿にいるなら、親衛隊が囲むまで、ハックマンは『生かされて』いただろう。
だが、場所が娼館だとしたら。
「そうか。
「はい。その場合、不幸な娼婦が相対死にする可能性があります」
もし、首魁が別にいて、ハックマン祭司を『主犯』に仕立て上げるなら、彼に生きていてもらっては困るはずだ。
とはいえ、影狼のローザ・ケルトスの時と違って、魔術で遠隔に殺されることはまずないだろう。
魔術を使えば、必ず、他殺の『証拠』が残る。
「ただ、神殿は私を嫌っているからな。たぶん、それはないだろう。どちらかといえば、私の『手落ち』にしたいはずだ」
証拠を積み上げ、おぜん立てされた状態で、犯人が目の前で死ぬ。
神殿側の醜聞と、親衛隊の失態で、相殺という形に収めたいということか。
「そこまで、そんなことにこだわりますか?」
「こだわる。神殿としては、私の評判はできるだけ落としておきたいところだろうから」
レオンは少しだけ肩をすくめた。
「しかし、親衛隊や殿下の評判を落としたところで、神殿派に有利になるわけでもありませんが」
レオンは親衛隊の責任者としての業務の性格上のこともあり、政治には常に中立だ。自身はあまり神殿に良い感情を持っていないにせよ、貴族派に与しているようなこともない。
それだけでなく、権力闘争の旗印にならぬように、慎重に、一歩も二歩も下がっている。
そこまで、神殿がレオンを警戒する意味が、サーシャにはわからない。
「神罰を恐れぬ私を煙たく思っているのだ。陛下ですら、大祭司には忖度するのが当たり前と、奴らは思っている」
レオンはわずかに口の端を上げる。どうやら苦笑したようだった。
「私は『光の神フレイシア』の神託によれば、『神を粛正する者』らしいから」
「神託ですか?」
皇族は、十歳の時に、『神託』を授かることになっている。
神託と言っても、神が現れて語るわけではなく、大祭司が占っているのだが。
正直、サーシャは、神殿が皇族にそれこそ忖度して、耳に心地よい言葉を選んでいるとばかり思っていた。
神を粛正とは、かなり衝撃的だ。
「その神託を恐れて、殿下を蔑ろにしているのですか?」
「そういうことだ。ただ、そのおかげと言っては何だが、私の信仰心は地を這う程度になって、神殿に捜査の手を入れることに、何のためらいもなくなったのは皮肉な話だ」
「自業自得ですね」
サーシャは苦笑する。
日が沈み始め、外が暗くなってきた。
そろそろ会議の時間が始まる。
「ダルヴァについた」
馬車がゆっくりと、大きな建物の前で止まる。
「ハックマン祭司を必ず確保する。手を貸してくれ」
「承知いたしました」
サーシャは丁寧に頭をさげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます