念糸 6
花瓶敷から採取できた魔素の種類はかなりあった。
呪術を施した念糸からによるものが四呪文。花瓶敷の文様によるものが一つの呪文で、しかも念糸に関しては何人かの共同作業と思われる。
「術者は、中級以下だから、魔素ではわからないだろうな」
魔素の固定が終わったリズモンドが肩をすくめる。
「術者の判定は難しいですね。そもそも十名近い人間が絡んでいる気がします」
サーシャはため息をつく。中級以下の魔術師が何人もかかわっているとなると、組織的なものの可能性は高いが、一人一人の術の威力が低いこともあり、術者特定はかなり難しそうだ。
「こまごましているな」
「とりあえず、できるだけ何人いるかは判定してみますが、正直、正確なところは厳しいところです。もっとも、黒魔術をこれだけの人数で練り上げるとなれば、それなりに組織が必要なので、これは、親衛隊の仕事というハダルさまの判断が正しかったと思います」
結局のところ、術解析以上のことは、宮廷魔術師にはできない。高位の魔術師であれば、魔素から割り出すことができるが、中級以下の魔術師の場合は無理だ。
「とりあえず、固定した魔素は、塔に運んで解析してくる。お前は、術者の人数判定を頼む」
「はい」
頷いてから、サーシャは手際よく作業をするリズモンドを見る。ここのところ、リズモンドはサーシャに対するいやがらせをしなくなった。
変わったのは、レオンの下で捜査をしてからだ。
「なんだよ?」
「いえ──要領が良いなあと思っただけです」
サーシャは素直に答える。
「だからオレはお前より器用だって言ったろうが」
リズモンドは肩をすくめる。
「……それは、知っています」
「なら、もう少し、オレをあてにしていい」
リズモンドの頬がほんの少しだけ赤らむ。
「オレは別にサーシャに対抗していたわけじゃない。素直にそう言えなかっただけだ。実力でお前にかなわないからな」
突然の話に、サーシャは面食らう。リズモンドの中で、何か心境の変化があったのだろうか。
「ハダルさまに何か言われたのですか?」
「言われていないわけではないが──どっちかというと、負けが見えているけど、望みがゼロってわけでもない。少しだけ努力するだけさ」
リズモンドが苦笑する。
「魔力はともかく、人心掌握に関しては、あなたの方がはるかに上です。ハダルさまの後継は、私ではありませんよ」
首席宮廷魔術師になるには、宮廷魔術師を束ねなければならない。
ただ、魔術を極めればなれるというものでもないのだ。
「お前と話していると、オレは本当に色々間違えたのだなあって思うよ」
リズモンドは大きく息を吐いた。
「塔に行ってくる。オレもあっちで術解析をするから、夕方の捜査会議には出れないかもしれない。お前も、気を詰めすぎず、少しは休憩しろよ」
「わかりました」
サーシャはリズモンドを見送ると、大きく伸びをした。
リズモンドがハダルに何を言われたのかは知らないが、態度がかなり軟化したのはありがたい。
もともとリズモンドは実力者で、サーシャと得手不得手が違うため、協力できれば、仕事の効率がとても上がる。
──お言葉に甘えて、ちょっと休憩しよう。
外していた眼鏡をかけ、サーシャは朱雀離宮の中庭に出た。
この離宮を作った皇太后が、薬草を育てさせていたため、今なお、たくさんの薬草が育てられている。
宮廷のバラ園などと違い、実に素朴な風景だが、サーシャには、かえって落ち着く光景だ。
葉が風に揺れ、小さな白い花が咲いている。
空は青く、陽は穏やかな光を注いでいた。
「アルカイド君?」
声をかけられて、サーシャは振り返った。
「殿下」
レオンの姿に慌てて頭を下げる。
「すみません。ちょっとだけ、息抜きをさせていただいておりました」
中庭に出ることは特に禁止されていなかったとはいえ、無断で休憩していたのは間違いない。
いちいちマーダンやレオンに報告しろと言われてはいないが、若干、サーシャとしては後ろめたく感じた。
「構わん。むしろアルカイド君は、働きすぎだから」
「いえ、そんなことはないです」
さすがのサーシャも、レオンに言われるほどではない。
「殿下も休憩ですか?」
「いや、私はちょっと薬草を取りに来たのだ」
見れば、小さな籠を手にしている。
「殿下、自らですか?」
普通に考えれば、薬草つみなど、使用人の仕事だ。
「ちょっと君の事件とは別件で、薬草が必要になったんだ。薬師のところに持っていかなければならない」
「何か大きな事件が?」
「デイバー通りの辺りで、人が何人か胸をかきむしって死んでいる。原因は不明だが、フラルの葉で煎じた茶を飲ませると緩和するそうだ。疫病ではなく、毒の可能性が高いとウイル・グランドール医師が訴えでてきた。親衛隊で調査をはじめたのだが、とにかく薬草が不足している」
ウイル・グランドールは例の眠りの魔術薬剤を作ったデイビット・グランドールの息子だ。
確か高級住宅街の片隅の開業医だったはずである。
「デイバー通りは、医院から随分と遠い場所のように思いますが」
デイバー通りというのは、繁華街の裏手で、かなり貧しい市民の住む場所だ。あまり治安もよろしくない。
「当初は疫病と思われたから、国で臨時の診療所を開いた。グランドール医師も診療所に参加した医師の一人だ」
伝染性の高い疫病の場合、広がってからでは遅い。
国が診療所を開設するのは、早期に疫病が何かを突き止める必要からだ。
診療所に参加する医師は、国の診療院の医師だけでなく、町医者も含まれ、国から日当も出る。もっとも、給金は安く、職業的使命感があってこその参加だそうだ。
「フラルの葉は、あまり市場にでまわらないけれど、ここには山ほどある。祖母は呼吸器が弱かったから」
「……それにしても、毒とは穏やかではありませんね」
親衛隊は魔術の絡む事件だけ追っているわけではない。
全然違う、複数の事件を並行して捜査することもざらなのだ。
「親衛隊はもう少し、人を雇われてはいかがですか? 殿下はもっと休まれるべきかと」
少なくとも皇子自ら、薬草摘みをしなければいけないのは、さすがにおかしい。
「この仕事は、誰でもいいというわけにはいかない。アルカイド君ほど優秀な人間が来てくれるなら、話は別だが。それに、薬草摘みは、どちらかと言えば、私の趣味だ」
レオンはそう言って微笑する。
めったにない、柔らかなレオンの表情に、サーシャは思わずどきりとした。
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