念糸 7
結局、塔に帰ったリズモンドは、会議の時間になっても戻ってこなかった。
ハダルはリズモンドを連絡係にすると言っていたが、宮廷魔術師はそれほど人員が足りているわけではない。各個人の研究をやめ、総動員体制にするとしても、日々の業務はなくならない。
塔に戻れば、リズモンドの能力は当てにされて当然だ。
──それにしても、私は最近、親衛隊になじみすぎてきた気がするわ。
塔にこもって、研究するのが一番性に合うと思っていたサーシャだったが、親衛隊は意外と肌に合う。
もっとも、今の待遇はあくまで客員としてのもので、実際に親衛隊の中で働くとなれば、表面で見ているより、過酷なはずだ。
サーシャの能力は鑑識向きだが、鑑識だけやっていればよいというものでもないだろう。
会議室に入ったサーシャは、自分にあてがわれた席につく。
会議に参加するのは、レオンと、マーダン。それからカリド。
あとひとり、サーシャの知らない人物がいた。
親衛隊の中でも際立って体格が良い。どちらかというと戦闘要員なのかもしれない。
ミック・バローズという名と聞いて、サーシャは納得した。バローズ家は、武家として有名な家門だ。
強面でもあるので、それだけで威圧効果がありそうである。
「それでは、始めようか」
全員が席に着いたところで、レオンが口を開いた。
「アルカイド君、ガナック君は?」
「リズモンドは、塔の方で術の解析をするので、こちらの会議に間に合わないかもしれないと申しておりました」
「そうか。わかった」
レオンは頷いて、ぐるりと集まった人間を見回した。
「それで、花瓶敷がいつから置かれていたのかわかるか?」
「まず、ひと月前に替えられた花瓶敷はアニシュ工房のもので、皇后陛下の指示により発注されたものです」
マーダンが静かに書類を読み上げる。
「念のため、原画、および宮廷に納品された品を確認いたしましたが、違うデザインでございました」
花瓶敷は、美しいダリアをモチーフにしたものだったらしい。
色や大きさはほぼ変わらないものだったようだが、編みこまれた模様は違うものだった。
ただ、一番違って見える箇所にはいつも花瓶が置かれている。
「皇太子殿下の部屋に毎日入室するのは、部屋の清掃係、花の手入れ係。医師、神官。それから侍従に宮廷魔術師です。それ以外の者はここ一か月の間は、まず、入っていないと思われます」
皇太子の部屋は、それなりにセキュリティが高く、簡単には入れない。
もちろん出入りした人数は多いが、いずれも身元が確かなものばかりだ。
「出入りする侍女たちに話を聞きましたところ、よくわからないと答えました」
「……しかし、それだけデザインが違うものなら、侍女たちは気づくはずだ。兄上が気付かないのは、花瓶の下だから仕方ないとしても」
レオンはあごに手を当てる。
「花瓶敷の絵柄については聞いたのか?」
「一応、全員が『ダリヤ』だと答えました。ただ、確実に柄をそのたびに確認していたかというと保証はできないそうです」
マーダンはわずかに首を振る。
しっかりと指さし点検をするような箇所ではなく、特に注視はしていなかったのだから、『絶対』はない。侍女たちも、断言はできないということだろう。
「と、いうことは、アルカイド君が発見する日、もしくは前後数日といったあたりか」
「……そうなると、一番怪しいのは、私ですね」
サーシャは肩をすくめた。
宮廷魔術師が一番怪しまれるとハダルが指摘した通りだ。何しろそれだけのことができるだけの魔力がある。
サーシャの売名行為のための狂言と結論付けられても、おかしくない。
「それをご自分でおっしゃられると、こちらとしては疑いにくいです」
マーダンがわずかに口の端を上げた。
目の奥の光は柔らかい。サーシャを信頼してくれているのだろう。
「私は宮廷魔術師の線はないと思っている。宮廷魔術師はエリート中のエリートだ。そんな効率の悪い魔術を使う意味が分からない」
レオンは大きく息を吐いた。
「……それで、アルカイド君自身の現段階の意見を聞きたい」
「まだ、術が何かもわかっておりませんけれど」
サーシャは念のためにそう告げる。
「花瓶敷の魔術は、全部で五種類。しかも何人かの共同作業によって、練られたものでした。いずれも魔力はそれほど高くなく、魔素からの特定は難しいと思われます」
魔力の高さのことを考えれば、この仕事が宮廷魔術師の仕事でないのは間違いない。
何より、宮廷魔術師なら、魔素でわかってしまう。それに一番魔力の低い宮廷魔術師でも、一般的には上級クラスなのだから、もっと高い品質のものになるだろう。
「よって、製作に関して宮廷魔術師がかかわっていることはないでしょう。ただ、現場に置くという点においては、除外対象にはなりません」
「身内にも厳しいな、アルカイド君は」
レオンが苦笑する。
「そのほかについてはどうだ? カリド」
「皇太子殿下の侍従、ロイ・ステファンに話を聞きましたところ、ものの見事に、全く無関心でした。そもそも、花瓶に活けてあった花すら覚えていない状態なので」
レオンの意を受けて、カリドが口を開く。
ロイ・ステファンは、マルスが幼いころから傍に仕えている男性だが、やや身の回りのことに関しては大雑把なところがある。ただ、護衛としては超一流であり、世話係というよりは護衛としての側面が大きい。
「医師については、調度品は見ていないとのこと。彼は侍女か侍従が必ず同席しておりますので、単独で行うのは難しいでしょう。神官につきましては、ひと月で五人ほどの人間が交代で来ております。いずれも祭司の推薦を受けている神官です。こちらは宮廷に入る時に必ず、署名をしますので、だれがいつ来たのかはわかっておりますが、まだ、聞き取りはできておりません」
神殿が絡むと、調査は難航する。
アリア・ソグラン伯爵令嬢の転落事件にからんで、マーベリック祭司の更迭があったものの、相変らず、神殿の風通しはあまりよくない。
いや、どちらかといえば、マーベリック祭司は、神殿の旧態依然とした体制の中、抗っていた人物だ。
神の名において、勢力を拡大しようとしている輩は、神殿の中心にまだ居座っている。
もともと神殿はレオンのことを凶相の持ち主と言い放つなど、第二皇子であるレオンに対し軽視が目立つ。
そんなこともあり、親衛隊に対して、あまり協力的ではないし、親衛隊の方でもあまり神殿に対して良い印象がないようだ。
──でも、普通に、怪しいんだけど。
住み込みの侍女や、侍従と違って、宮廷魔術師と神官、医師は、自由に宮廷の外に出ることが可能だ。
犯罪を犯した後、逃走できるかどうかというのは大きい。
とはいえ、この感情は、サーシャ自身、神殿に対する不信感からの、思い込みの可能性がある。
「失礼します。リズモンド・ガナックです」
サーシャが考えに沈んでいると、どうやら塔からリズモンドが帰ってきたようだった。
「……それで、どうだったのかね?」
リズモンドが部屋に入ってくるなり、レオンは尋ねた。
「端的に申し上げます。確実にわかったのは『暗示』『恭順』です。何に対してのものかはこれからですが」
「先入観は捜査で禁物だが、兄上を恭順させようとするのは、もう神殿しかない気がする」
レオンが憶測でものを言うのは珍しい。
「まだ術の解析は完全ではありません。らしくありませんよ、殿下」
らしくなく、リズモンドがレオンをたしなめた。
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