念糸 4

 サーシャはさすがに赤面していた。

 それというのも、レオンが、サーシャを抱き上げたまま会議室に入っただけでなく、優しく椅子に座らせたからだ。元が本物の皇子だけに、いちいち紳士的な所作である。

 部屋にいたのは、マルス皇太子と、ハダルにリズモンド。それから皇太子の護衛騎士だ。

 これからの議題は決して浮ついたものではないのに、全員の好奇の目がサーシャとレオンにむけられている。

「サーシャ、いったいどうしたんだい?」

 ハダルが興味深げにサーシャに尋ねる。

「えっと……すみません。馬に乗ったせいで、腰が抜けまして」

「お前、それで、殿下に運んでもらったのかよ」

 リズモンドが呆れた顔をする。皇族に運ばれるなんて、不敬極まりないと思ったのだろう。

 サーシャとしては、自分が頼んだわけではなく、レオンが勝手にやったことで不敬と思われても困る。サーシャに拒否権はないのだから。

「それで──体調はどうなんだい?」

「たぶん、大丈夫です」

 ハダルはレオンの方をちらりと見てから、くつくつと笑いを噛み殺している。何かツボにはいったらしい。

「兄上、状況を説明してください」

 何か聞きたそうなマルスに、レオンは事務的に問いかけた。空気は読まないスタイルなのか、相変らず、顔の表情は全くない。

 こほん、とマルスは咳払いをした。

「そうだな。ルーカス、説明を」

「わかりました」

 ハダルは立ち上がり、サーシャが皇太子の部屋で念糸の花瓶敷を見つけた経緯を説明する。

「まず、マルス殿下が、ご自身で持ち込まれたものではありませんでした。ちなみに、調度品は季節ごとに替えられることになっておりますが、最後に替えられたのはひと月ほど前です」

 ハダルは少しだけ渋い顔になった。

「宮廷魔術師でもサーシャほどエーテルや魔素を見られる術師は少なく、いつからそこにあったのかは判定が難しいところです」

 皇太子の部屋の点灯、消灯作業は、五日ごとに術者が変わる。

 サーシャが前に担当したのは、二か月前の話だ。

「申し訳ないことですが、二十日前に私が確認したとき、見逃していないと断言できません」

 リズモンドが頭を下げる。

「実際に実物を視ました。あると言われてみれば確実にわかります。が、あの部屋には何もないと思い込んでの状態で、視たのならば、私のレベルでの発見は難しいと感じます」

 おや? と、サーシャは思う。

 リズモンドにしては弱気だ。

「つまり、ガナック君クラスの魔術師でも見落とす可能性がある、ということかね?」

 レオンの目が鋭い光を帯びる。

「はい。殿下。ゆえに、逆を言えば、どのような術であったとしても早急な結果を生むようなことはないとは、思われます」

 ハダルが丁寧に頭を下げる。

「花瓶敷が置かれたはっきりとした日付は、わからないということだな」

 ふうっとマルスはため息をつく。

「かく言う私も、全くわからない。そもそも、花瓶敷のデザインがどうだったか覚えてもいない。人の目というのはあてにならないな」

 花瓶に生けた花ならともかく、よほどの変化がない限り、花瓶敷に意識がいかないのも仕方がない。色や大きさが大きく変わらなければ、気づきにくいだろう。

「部屋に入る侍女たちに確認は?」

「まだだ。ここから先は、親衛隊に任せた方がいいと思って」

 マルスの答えに、レオンは頷いた。

「では、すぐにも聞き取り調査の手配をします」

 とはいえ。侍女たちも、担当を一定期間で交代することになっている。そのタイミングですり替えるなどをしていたら、気が付かないこともあるだろう。

「なんにしても、兄上の部屋に出入りする人間はかなり多い。外部の侵入は難しいだろうが。せめて正確な日時がわかれば話は早いのだが」

 レオンがため息をつく。

「それで、呪術の内容についてはいつ頃わかる?」

「それについてなのですが」

 ハダルは慎重に口を開く。

「目下のところ、我々宮廷魔術師が一番疑わしいのではないかと思っております」

「身内に犯人がいるということか?」

 レオンの問いにハダルは首を振った。

「私は疑ってはおりませんが、そう思われても不思議はありません。ですから、解析は親衛隊主導でしていただく方が、公正でしょう」

 皇太子の部屋に入る機会があり、魔術に関するプロである宮廷魔術師ならば、花瓶敷を作り、置いてくることも可能だ。

 犯行が可能だから、犯人ということはないが、宮廷魔術師が主導で調査をすれば、周囲に不信感を持たれる可能性は高い。

「しかし、親衛隊の魔術師にはそこまでの能力は──」

「ですから、人材も道具もお貸しします。あくまで、親衛隊の監督の下、調査をするという形にしていただきたいのです」

 ハダルは頭を下げる。

「人材?」

「はい。発見者のサーシャは今のところ、一番『白』に近いでしょう。サーシャに専属でやらせてやってください。ただ、サーシャの『専門』ではありませんので、サポートとしてリズモンドをつけます」

「ハダルさま?」

 サーシャとリズモンドが異口同音に、驚きの声を上げる。

「待ってください、サーシャはともかく、念糸は、オレ、私の専門というわけでは」

「今回の件を専門にしているものはいない。ゆえに宮廷魔術師は全力を挙げて全員で、わからないことをサポートすることになる。サーシャと塔のつなぎをするには、サーシャの考えること、調べたことを正確に伝えられる魔術師が必要だ」

「ハダルさま?」

「サーシャは優秀だが、他人にかみくだいて説明するのは苦手だ。間に実力者が入れば、話が早い」

 ハダルが苦笑する。

「アーネストでもいいのだが、あいつの奥方は悋気が強いという話だ。サーシャのサポートとなると、嫌がるかもしれないと思ってな。まあ、お前が嫌なら──」

「嫌とは言っておりません」

 リズモンドは首を振る。

「いかがでしょうか、レオン殿下」

「ルーカスがそう言うなら、私は構わない」

 レオンは頷く。

「朱雀離宮に研究できる場所を用意する。アルカイド君、ガナック君、二人ともよろしく頼む」

「承知いたしました」

 サーシャとリズモンドは、丁寧に頭を下げた。


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