念糸 1
宮廷魔術師は、宮廷にある魔道具の管理を行っている。
魔道具はありとあらゆるところにあり、当然、皇族の居住区にも使われている。
宮廷魔術師の仕事で、一番必要とされていて、それでいて、どうでも良いと思われている仕事──それは、魔道灯の点灯作業だ。
皇族は魔力を持っていて、それぞれについている侍女たちも最低限の魔術を使えることが多いから、当然、魔道灯の点灯くらいわけもない。
が、宮廷中の明かりをつけるのは、防犯を兼ねることになり、しかも、宮廷のどこにでも入れる身分である宮廷魔術師でなければならないということになっている。
つまり単純作業でありながら、『特別』な仕事なのだ。
──ああ、でも、やっぱり面倒だわ。
サーシャは皇族の居住区の廊下の魔道灯に明かりを灯す。
今日の割り当ては、皇太子の部屋と、その周辺の区画だ。今回は、リズモンドの嫌がらせではなく、正規の仕事量である。むしろ、サーシャの実力なら、その倍はできるから、楽な仕事だと言っていい。
ただ、サーシャはあまり好きではない。
点灯ということは夕刻の作業になり、定時より遅くなる。この仕事が人気のない理由の一つだが、サーシャが嫌いな理由はそこではない。知的興奮が皆無の仕事だからだ。
とはいえ、当番制だから、やらないわけにはいかない。
サーシャは、皇太子の居室の扉をノックした。
この時間に皇太子が部屋にいることは、めったにない。まだ、公務中で、執務室の方にいるはずだ。
使用人たちの出入りもない時間で、人がいる方がおかしい。
ノックの音がないことを確認し、サーシャはドアのノブを回す。
部屋の鍵はかかっていない。
もっとも、鍵がかけられていることの方が少ないのだが。
皇太子のプライバシーなんて、あってないようなものだ。部屋には、毎日使用人が清掃に出入りするし、寝室の隣の部屋に、侍従が寝泊まりすることも当たり前。部屋の外には護衛騎士。
宮廷魔術師も、当然、魔道灯の点灯と消灯に出入りする。
ちなみに、寝室に関しては、魔道灯ではなく、通常のランプを使用し、点灯、消灯は、侍従もしくは皇太子本人がする。寝るタイミングでいちいち宮廷魔術師を呼ばれたら、かなわないし、そもそも呼ぶ方も面倒だろう。
もっとも、マルスも魔術は使えるのだから、自分で灯してしまえば早いのだが。
サーシャはゆっくりと扉を開き、辺りを見回す。
皇太子の部屋は、寝室とリビングに分かれている。
とはいえ、リビングには、ソファ以外には、あまり物がない。
私物はほとんど執務室の方に置いているようだ。日中のほとんどを執務室で過ごすのだから、それも当たり前かもしれない。
ここに置かれている魔道灯は、壁際の間接照明だけ。
他の照明器具もなく、魔道具もない。
ここまで徹底して、遠ざけたのは、ここ数年のことだ。
あまりの徹底ぶりに、魔術による呪詛を恐れているのではないかという話もある。
とはいえ。皇位継承権争いは、そこまで激しくない。
第二位のレオンの関係も良好だ。
レオンが死神皇子という悪名を受け容れているため、彼を担ごうとする者も少ない。
キナ臭いのは、むしろ婚約者争いの方だろう。
帝国を支えてきた、古い家柄のエドン公爵家か、それとも神の名をバックに持つ『聖女』の人気か。
どちらをとるにせよ、禍根が残りそうだ。
──ラビニアさまが好きなら、さっさと選んでしまえばいいのに。
ラビニアが倒れた時の動揺ぶりを見れば、マルスの気持ちがどこに向いているかは明らかだ。
結婚に愛情が必要ならば、感情を優先してもいいようにサーシャには思える。
──政治的には神殿勢力の方が魅力ということなのかしら。
サーシャはそれほど信仰心が高い方ではなく、むしろ神殿内の権力闘争などを知っているせいか、うさん臭ささえ感じている。
そもそも既に決まっていた婚約話をひっくり返そうとするのが、おかしいのだ。
「点灯、確認」
魔道灯を灯すと、サーシャは規則通り、寝室の扉を開けて、部屋を見回した。
──ん?
サーシャは違和感を覚え、眼鏡を外す。
マルスは寝室に魔道具は置いていなかったはずだ。
それなのに、わずかだが魔素がある。
見たことのない術を施した魔素だ。しかもマルスのものではない。
サーシャは魔素を視ることに関しては、絶対の自信がある。
サーシャが知らないのなら、それはおそらく禁忌とされている黒魔術の可能性も高い。
どういうことなのか。
サーシャは魔素を視る。魔素は、どうやら、皇太子のベッドの方から流れてくる。
「どういうことかしら」
黒魔術であるなら、放置するわけにはいかない。
サーシャは天蓋付きのベッド周辺を調べる。
「これだわ」
それは、ベッド脇に置かれていた花瓶敷だった。
レース編みの凝った意匠。
「念糸だわ」
糸をよる時に、魔力を込めて作ることによって作るものだ。
もっとも、込められる術は、おまじない程度のもの。
とはいえ、魔素がこぼれるということは、術が機能しているという証拠だ。
「……今日は残業決定ね」
サーシャは軽く肩をすぼめた。
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