誕生会25

 ダン・バルック子爵は四十代半ばで、未婚。

 領地はそれほど広くはなく爵位も子爵だが、金銭的にはかなり裕福で政治的影響力も大きい。

 現在は、エドン公爵家をはじめとする名門貴族派と、神殿をバックとした新興貴族の間でひそかな対立が起きつつあるが、バルック子爵はどちらにも属さぬ『中立派』だった。

 もっとも子爵自身が中立な理由は、おそらくはどちらに属しても『得』が見えぬからだろう。

 サーシャはレオンと同じ馬車に乗り込み、港へと向かうことになった。

 エドランから大きな商船が来ている。

 レオンはその船を怪しんでいるようだ。

「エドランへ逃げるようなことがあるのでしょうか?」

「可能性はゼロではない」

 さすがに子爵位を持つ貴族である。念書という言い逃れしがたい証拠があるとはいえ、それだけで逃亡をはかるだろうかという想いがサーシャにはある。

 この国を離れれば、当然、領地経営などできない。

「カササギ商会はエドランでもかなりの影響力を持ち、子爵はあちらでもコネクションを持っている。こちらに残るメリットは『爵位』だけだ」

「つまり、金を持って逃げると?」

「ああ。数年逃げている間に、情勢が変わるの可能性がある」

 レオンは大きくため息をついた。

「子爵が『暁』を束ねていたとなれば、この国の裏事情に詳しい。自分は安全なところに逃げて、裏から手を回し、ほとぼりが冷めたら帰国という筋書きも書けるだろう」

「証拠が残っているのに、ほとぼりは冷めるものなのでしょうか?」

「帝国の情勢が変わらない保証はない」

 レオンの表情は険しい。

「はっきりした証拠はないが、ラビニアを狙った理由は、おそらく帝国の分断だ。政治が割れれば、国は弱体化する。そうでなくても、司法が今のままとは限らない」

「……それは」

 さすがに飛躍しすぎなのではないかと言いかけ、サーシャは言いよどむ。

 たとえばラビニアかアリアのどちらかに何ごとがあり、その真犯人にたどりつけなかったとすれば、レオンが親衛隊の責任者から外される可能性は高い。

 次の責任者が誰になるにせよ、レオンほど優秀とは限らないし、そもそも暁の息のかかった人間が就任しないという保証はないのだ。

「なんにせよ、子爵を逃がしてはならない」

 レオンの目が、いつもに増して厳しい光を宿していた。



 ザレの港は貿易港だ。

 交通の要所であり、軍事的にも重要拠点であるため、入港はもちろん、荷揚げや船員の上陸に関しては、港湾管理局の厳しい審査が必要だ。

 カササギ商会の船の船籍は、帝国ではなくエドランのため、入港審査はそれなりに厳しい。

 現在、船はまだ沖合にある。

 入港はともかく、荷揚げや船員の上陸は通常、明日の朝にならないと許可はされない。

「沖に向かう舟がないか気をつけろ。乗船されて逃げられるとまずい」

 一般的に異国船は、港に係留している間だけ、帝国の法で裁ける決まりだ。

 無論、それを無視することも可能だが、国際的に揉める要因になりかねない。

 逆に言えば、港沖にある船に勝手に乗船されてそのまま港に入らなくなると、捜査できなくなる。

すでに夜のとばりはおりていて、港の明かりはわずかだ。海と空の境目は闇に溶けている。

「おそらく、あれですね」

 マーダンの指を指した暗い海にぽつんと明かりが見えた。

 港からかなり離れた位置で駐留し、入港の許可が下りるまで待っているのは普通のことだ。

「入港手続きはどうなっている?」

「現在、港湾管理局で申請書類の審査をしているそうです。手続きには、あと数時間かかるかと」

「係留させてしまっている方が、良かったかもしれんな」

「しかし、入港せずに出向することはありえましょうか?」

 マーダンは首を傾げる。

 エドランから来たとなれば、それなりに補給も必要なはずだ。

「商売にこだわらなければ、別の港に入ることも可能だろう。近隣の漁港ならば役人が常駐しているわけではない。金さえ出せばある程度の補給は出来る」

 レオンは海を見据えている。波が波止場を僅かに叩いているが、とても静かだ。

「とりあえず、暗くていけませんね」

 探査の魔術は陸上で使えても、海に向けては使いにくい。

「要はひそかに、あの船に向かいにくくすればよいのですよね?」

「出来るか?」

「距離として、少し遠いですが、なんとかなるでしょう」

 サーシャは光までの距離を測る。魔術の有効射程の倍はあるが、魔力を増幅すればなんとかなりそうだ。

「光よ」

 言葉とともに、海上はるか上空に、巨大な光玉が現れ、空と海が一瞬で分かれる。沖にいる船影が突然色を持つ。

「殿下、あそこに」

 ちょうど港を出た当たりの海原に小さな船影が見えた。

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