誕生会 4
サーシャはラビニアから渡されたグラスを手にしたまま、眼鏡を外した。
この会場で魔術が使われることはないと言っても、目の前の異常事態について、自分の管轄かどうかを確認しなければと、咄嗟に思ったからだ。
エーテルが渦巻く会場は、魔術を禁止しているとはいえ、魔道具から漏れる魔術にあふれている。
サーシャはレオンの腕の中にいるラビニアに目をやった。
──魔素?
ラビニアの口元から僅かな魔素が見えた。本人が唱えたのでなければ、そんなところに魔素があるはずがない。
「殿下、少しお待ちを」
そのまま抱き上げて、運ぼうとしたレオンを制し、サーシャはラビニアの様子を観察する。
呼吸はやや深いものの、それほど顔色が悪いようには見えない。体調を崩したり、毒をあおったとしたりしたというよりは、ただ、眠ってしまったかのようだ。
近寄って僅かに開いた口内を確認すると、キラキラと光る魔素が見えた。
「眠りの魔素?」
その魔素は、ラビニアの魔力とは違うように見える。そばにいたレオン、サーシャのものでもないし、そもそもふつうの状態で魔術がかけられる場所ではない。
ただの眠りの魔術ではあるが、服薬した魔力によって『目覚め』がいつになるのかは全く分からない。目覚めに時間がかかれば、死にはしなくても、衰弱はするし、しかも数年にわたる可能性だってある。
「どういうことだ? アルカイド君」
「おそらくは、魔術薬剤だと思います」
魔術薬剤とは、魔力を固めて作った丸薬のことだ。一般的には兵士が魔物と戦う時に使う。
魔物からの魔術攻撃を避けるため、魔力を弾く魔術を展開すると、味方の補助的魔術が全く効かなくなるので、その際、体内に丸薬の形で魔術を取り込むために開発されたものだ。
あくまでも非常時用で、平時にはあまり使用されないし、作られている薬剤のほとんどは身体能力の向上を目的としたものだ。
サーシャは手にしたグラスを見る。グラスの表面にわずかに張り付いた魔素があった。
「ワインに混ぜてあったようです」
魔素を逃がさぬようにサーシャは、ハンカチを取り出して、グラスにふたをするように巻いた。
「とりあえず魔術師の塔へ運ぶのが良いでしょう。たぶん、普通の治療では効果が見込めません」
「魔術薬剤?」
「ラビニア!」
人をかき分けて走ってきたのは皇太子だった。
「どういうことだ! レオン!」
気が付けば周囲に人垣ができている。皇太子マルスは、蒼白な顔でラビニアを見ていた。
婚約者を放置して、別の女と踊っていたとは思えない狼狽ぶりである。
「皇太子殿下、ラビニアさまはどうやら魔術薬剤を飲まされたようにございます。魔術塔へ運んだ方がよろしいと思われます」
サーシャはレオンにつかみかかろうとするマルスを制した。
「魔術薬剤?」
マルスは眉根を寄せた。
意味が分からないという顔をしたものの、サーシャが宮廷魔術師だということに気づいたようだ。
心配げにラビニアの頬に手を伸ばす。マルスにとってラビニアは特別だと言ったレオンの言葉は、間違っていないようだった。
「リズモンド」
サーシャは、マルスの後ろに控えている同僚に声をかけた。
「眠りの魔素が口内にありました。あとを頼みます。私は魔術薬剤を入れた人間を探します」
「お前、持ち場を離れるのか? それに俺は皇太子殿下の」
「あとのフォローはお願いします。私は私にしかできない仕事をするのですから」
「待て。アルカイド君」
その場を離れようとしたサーシャをレオンが呼び止めた。
「兄上、エドン公女をよろしくお願いいたします。私は、親衛隊として調査を始めますので」
レオンは自分の腕からマルスの腕にラビニアを引き渡すと、立ち上がる。
「わかった」
マルスは頷くと、ラビニアを抱きあげて、魔術師の塔へと運ぶ指示を始めた。
「アルカイド君、君は私に手を貸してくれ」
「承知いたしました」
一瞬、サーシャはリズモンドの視線を感じたが、無視をする。
これは宮廷魔術師としての仕事の範囲だし、魔素を視ることでサーシャに敵う人間はハダルくらいのものだ。それに何よりレオンに命じられているのだから、後のことは残った人間で何とかしてほしいとサーシャは思う。
「先ほどの給仕の者を探そう」
「やはり、そこが一番怪しいですよね」
サーシャは手にしたグラスを見る。魔素の数は多い方だが、魔術薬剤の場合は、普通に魔術を使うよりも魔素が残りやすいので、おそらくかなり高位の魔術師が作ったものだろう。
もっともこの場合、製作者がイコール犯人とは限らない。
丸薬の形なので誰でも扱える。それこそ、ラビニア本人が服薬した可能性もゼロとは言えない。
「給仕の男は、ラビニアにだけ飲み物を渡すと、歩き去った。普通に考えれば、私にも渡そうとするはずなのだが」
話をしていたタイミングなので、サーシャも意識があまり『彼』に向いていなかった。
レオンも特に喉が渇いていたわけでもなく、手を伸ばそうとはしなかったので、彼がすすめもしなかったことをその時は気にも留めなかったらしい。
ただ、普通に考えれば、その場に『皇子』がいたのにスルーしたことになる。
「ということは、もしその者が犯人であると仮定するならば、
「……そういうことだな」
レオンは人の流れを封鎖して、使用人を集めさせるように指示をする。
できるだけ混乱を避けるため楽団は演奏を続け、ダンスも禁止していないが、人びとは目の前で起きたことに夢中のようで、場は騒然となっていた。
「それにしても、魔術薬剤とは、随分とマイナーなものを使いますね」
「ああ。軍部や一部傭兵なども使用することがあるとはいえ、『眠り』の術など、使い道はあまりないだろうに」
レオンは肩をすくめる。
もちろん、不眠などへの治療効果はあるだろうが、魔法薬剤は通常の薬剤よりも高価だ。作る魔術師の数も限られている。
こと眠りに関する睡眠薬ならば、薬草で作る通常の薬剤の方が安価だし安全だ。
唯一、魔術薬剤を選択する理由があるとすれば、『味』だろう。魔術薬剤は、飲み物に混ぜてもほぼ味がしない。せいぜいプチプチとした気泡を感じるくらいだ。
即効で眠りを催す通常の睡眠薬を使用すれば、味の段階で気づかれる可能性がある。それに飲み残しがあれば、証拠になってしまう。
逆に魔術製剤の場合は、残るのは通常の人間には見えぬ『魔素』だけ。証拠が圧倒的に残らない。
「しかし、なぜラビニアを」
「例の婚約がらみのことでしょうかね」
「……そうだな」
レオンの声は苦い。
「どっちの陣営が仕掛けたとも言えんが、うやむやにはさせない」
「ですね」
サーシャは頷く。
だが、集められた使用人の中に、ラビニアに飲み物を渡した給仕の人間はいなかった。
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