誕生会3

「ところで、お前はこんなところにいていいのか?」

 は無表情のままだが、レオンの声は呆れている。

「何のこと?」

「今日は兄上の誕生会だ。事実上の婚約者であるお前は兄上の側にいるべきではないのか?」

「ああ、それね」

 ラビニアは肩をすくめた。

「正直、もう婚約解消してしまってもいい気がしてきたの。だって、マルスさまが誰と結婚しても、エドン公爵家が力を失うって程に打撃を受けるわけではないでしょう? むしろ私と殿下が結婚することで、公爵家の力が強くなりすぎるって懸念があるのだもの」

 何事もないかのように話しているが、本人的には少し辛いのではないだろうか。

 前に見た時より目元に覇気がないように、サーシャには見える。

 対抗馬のアリア・ソグランは光の加護を持つ聖女だ。彼女が皇太子妃になれば、神殿の力が強くなるのは間違いないが、彼女は『民』にも人気がある。

「どうせ、政略結婚なのだし、なんかどうでも良くなってきたわ。あの子と張り合えば張り合うほど、私の評判が落ちるみたいだもの。私は正式に婚約していたわけではないのだし、経歴に傷がつくわけではないわ。たとえついたとしても、持参金と公爵家の後ろ盾欲しさに求婚する男性はいると思うし」

 ひょっとしたらこの前の冤罪事件は、周囲が思うより、ラビニアにはしんどいことだったのかもしれない。事件の渦中にいた時は、虚勢を張っていたが、無実を勝ち取った後はどっと疲れが出たのだろう。

 弱気な態度は彼女には似合わないが、ラビニア・エドンも人間だ。悪意を向けられ続けて平気でいられるわけではないのだろう。

「兄上はそう思っていないと思う。兄上にとって、お前は特別な女性だ」

 レオンはわずかに首を振る。

 同情ではなさそうで、どうやらレオンから見ると、マルス皇太子の心はラビニアにあるように見えるらしい。

──なるほど。それならば、きっとそうなのだろう。

 本人は無表情だが、レオンの観察眼はかなり鋭いものだと、サーシャは思う。

 それならば、親しいながらもどこか一線を引いたレオンとラビニアの関係も納得できる。

「それがもし、私への慰めでないのなら、今の状況にはなっていないと思うわ。ねえ、魔術師さんもそう思うわよね」

 突然、話を振られて、サーシャは面食らった。

 そもそもサーシャは政治にそれほど明るくないし、男女間の感情についても疎い方だ。

 レオンの優秀さは理解しているので、彼が間違っているとは思わない。だが、サーシャ本人は皇太子についてそれほど知っているわけではないのだ。

「私は皇太子殿下との面識はほぼありませんので」

 サーシャは首を振る。もちろん宮廷魔術師だから全く知らないわけではない。

 とはいえ、レオンの見立てが正しいのかどうかはわからないし、そもそも公式の場で皇太子とラビニアが一緒にいるのを遠目で見ていたことはあるが、何を話していたかなど気にしたこともないのだ。

「ただ、エドン公女さまのお立場を考えると、現状はしんどいのではないかとは思います」

 ほぼ決まっていた婚約の間に割り込まれたラビニアの気持ちはわからなくもない。皇太子への不信感も募っているだろうし、冤罪である事無い事言われたのに、世間的に被害者はアリアであって、ラビニアの名誉は傷つけられたままに等しい。

 そしてアリアの人気が上がれば、ラビニアは敵視され邪魔に見られてしまわれがちだ。

「思うに、アリア・ソグラン伯爵令嬢には庶民に愛されるドラマがあります。皇太子殿下があの方を無下にできないのはそのあたりではないでしょうか」

「まあ、彼女に比べて、私が悪役顔なのは認めるわ」

 ラビニアはくすりと笑う。

「権力もお金も持っているけど、それは私の努力ではないし、実力を認められて殿下の前に出てきたあの娘の方が、物語になるでしょうね」

「その地位に相応しくあらんとされている公女さまも努力をされていることに間違いはないと思います」

 サーシャは頭を下げた。

 高位貴族の令嬢として生きていくことは、それなりにしんどい。贅沢を許される立場で、生活に苦しむことはないけれど、それなりに不自由だ。

 貴族子女としての生活になじめなかったサーシャにはよくわかる。

「あら。魔術師さん、案外、あなた『たらし』って言われない?」

「ありません。私はお世辞を言っているわけではありませんので」

 サーシャは首を振る。

「文句を垂れていないで、そろそろ兄上のところに行ったらどうだ?」

「先ほど顔を出したら、彼女が一緒にいたわ。私に彼女を押しのけてこいと言うの?」

 ラビニアは軽く肩をすくめる。

 なんてこともないような訓練された表情だ。が、声は少し寂しそうだ。いっそ、素直に全部顔に出れば、彼女への印象は変わるのだろう。

「私といても良い評判にはならん」

 レオンが首を振る。

 皇太子とうまくいっていないのなら、余計に。世間は面白おかしく、エドン公女を貶める噂を流すに違いない。突き放すような態度の中には、レオンの優しさがあるようにサーシャには感じられた。

「……幼馴染なのに、冷たいわ」

 言いながら、ラビニアは給仕係が差し出したワインを手にして、口にする。

 ひょっとしたら、彼女はレオンに甘えたかったのかもしれない。

「ねえ、魔術師さん、一緒についてきてくださる?」

「申し訳ございません。私はただいま警備中ですので、ここを離れられません。必要でしたら、他の人間を呼びますが?」

 警備担当の人間は自由に動ける人間と、そうでない人間がいる。今日のサーシャは後者だ。よほどの大事が起きれば別だが。

「もう。真面目なのね」

 ラビニアは苦笑いを浮かべる。サーシャがそう答えるとわかってはいたようだ。

 その時、歓声が起こった。

 そちらに目をやると、どうやら皇太子とアリア・ソグランがダンスを始めていた。

 皇太子がラビニア以外の女性とファーストダンスを踊るのは、異例中の異例だ。

「ほらね。ファーストダンスを踊る時点で、私は袖にされているでしょう?」

「珍しいですね」

 ファーストダンスは婚約者や恋人と踊るのが普通とされているが、絶対ではない。

 あくまで慣例であって、決まりではないが。

「ここまで大胆に波風を立てることを望まれるなんて、あまり皇太子殿下らしくないとは思います」

 今、アリアと踊ることがどういう意味を持つかということくらい、わかりそうなものだ。

「心配はいらない。仮に婚約を解消するにせよ、兄上は道理を守るはずだ。大方、神殿のお偉方が強引にすすめたのだろう」

「それで慰めているつもりなの? まあ、でも、レオンさまに迷惑をかけるわけにはいかないわね」

 ラビニアは苦笑して、ワイングラスをサーシャに渡すと、踊りの輪の方へ足を向けようとした、その時だった。

「ラビニア?」

 ぐらりとラビニアが崩れ落ち、レオンが彼女を抱き支える。

 ラビニアは意識を失い、周囲から悲鳴がおこった。

 

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