11:男爵令嬢②
午前中は少々時間が空いたので馬に乗って、いつもの森の方へ散策に行ってきた。ついでにキノコと芋を掘って来たが、ルスランは喜んでくれるだろうか?
家に戻ると玄関先にルスランが座っていた。
おかしいなと首を傾げる。
玄関先にある小さな畑を触っていたなら何もおかしくは無いのだが、彼は軒先に一人でぼぅと座っているだけだった。
働き者のルスランが仕事をサボるとは思えないから、私が何かあったのではないかと勘繰るのは当然だろう。
ルスランは私を見つけると玄関先から立ち上がってこちらに駆けてきた。
「オレーシャさん良かったぁ……」
「ただいまルスラン。血相を変えてどうしました?」
「知らない女の人が家に来て、」
「まさか何かされた?」
「今も家の中に居るんだ」
「分かった私が行こう。ルスランは衛兵を呼びなさい」
「ちょっと待ってオレーシャさん。違うんだ」
「何が違うのですか?」
「家の中に居る女の人はアヴデエフさんの婚約者だって名乗ってるんだよ」
一瞬、私は何を言われたのか判らなかった。
フェリックスに婚約者?
だって未婚だって……、ああそうか、婚約者がいないとは聞いていなかった。そして婚約者がいたとしても結婚していなければまだ未婚だ。
だけどあのフェリックスが、婚約者がいるのに私などを泊めるだろうか?
ここで私は自惚れていたのだと気付いた。
元部下が困っていたから手を差し伸べてくれたのではなくて、フェリックスは私だから手を差し伸べてくれたと。最初はそのようには思っていなかったのに、一体いつからそんな自意識過剰な事を思うようになってしまったのか?
「……さん、オレーシャさん」
「あ。ああルスラン済まないぼぅとしていた様だ」
「ねえ僕はどうしたらいいのかな」
「相手が婚約者だとすると私たちが声を掛けるべきではないよ」
「でもさ、僕。アヴデエフさんに婚約者がいるなんて聞いたことないんだ」
「本当ですか?」
「うん絶対!」
「分かった。私が話してきましょう。ルスランは騎士団本部に行って、フェリックスを呼んで来てください」
「はい!」
馬を裏手の馬屋に入れてから再び玄関に回る。
念のために玄関をノックをして待った。ガチャっとドアが開き、仕着せを着た見知らぬ女性が現れた。
「お客様でしょうか?
失礼ですがアヴデエフ様はご不在ですよ」
「貴女がフェリックスの婚約者ですか?」
女の顔が険しいものに変わった。
「いいえ違います。婚約者はわたしのお嬢様でございます。
それで貴女こそ、どこのどなたかしら?」
「私はいまフェリックスと一緒に住んでいる者です」
後でフェリックスに迷惑を掛ける様な気がしたが、嘘ではないからちゃんと伝えておいた。
「少々お待ちを」
玄関のドアが締められて女性は中に引っ込んだ。
居候とは言え、なぜ家に入るのにここまで苦労しなければならないのか?
五分ほどで再び先ほどの女が顔を出した。
「お嬢様がお会いになるそうです」
他人に家でなんと我が物顔かと、私はそのお嬢様とやらに内心で憤慨した。
女性は私を食堂に案内した。食堂には見知らぬドレス姿の若い女性が座ってお茶を飲んでいた。化粧をしているから判断しづらいが年の頃は私よりも下だろうか?
「お嬢様連れて参りました」
「そう」
素っ気ない返事が一つ。
それっきりお嬢様とやらは何も言わずにカップを口元に運んだ。カップを置き、ふんと私を見て小馬鹿にしたように笑った。
どちらも何も言わず、無言が続いた。
すると仕着せの女が耐えかねて私の耳元で囁いた。
「(お名前をどうぞ)」
なるほどなと合点がいった。ここが他人の家だろうと身分の高いだろう自分が、こちらよりも先に名乗る必要性を感じていないのだろう。
だが残念だな。
「あなたは貴族のご令嬢だとお見受けしますが?」
「下賤な女ね、わたくしに話を聞いて欲しいならまず名乗りなさいな」
「先に名乗るのはあなたの方です。貴族の令嬢であるなら騎士爵を持つ私の方が位は高いですよ」
「貴女が騎士ですって!?」
騎士爵は貴族の中では最低位の男爵よりも下に位置する。しかし相手が爵位を持たない令嬢ならば、騎士爵を持つ私の方が上に位置する。
普段、騎士がその様な態度を取らずに令嬢よりも先に名乗るのは、その後ろにいる貴族の心証を悪くしないためか、その令嬢の気を惹きたいからだ。
しかし私にはそのどちらも必要がないのだからこのような態度をとることも可能だ。
令嬢は悔しそうに顔を歪めて、
「ベススメルトヌイフ男爵家のアンジェリカですわ」と名乗った。
「私は騎士のオレーシャ=ボロディンです。それでアンジェリカ、あなたは本当にフェリックスの婚約者なのだろうか?」
「悪いけどこれ以上、赤の他人の貴女に話すことは無いわ」
「残念だがそう言う訳には行かない。私は不法侵入であなたを衛兵に引き渡すことも出来るんですよ?」
「あはははっわたくしの伯父様は大団長なのよ。衛兵なんて呼んでも無駄よ」
「では本当に無駄か、実際に呼んでみましょうか」
「わたくしを脅すおつもり!?」
「さてどうでしょう。あなたが素直に話せばそんな必要はないでしょうね」
突然、表の方がバタバタと騒がしくなり、馬の鐙の音や嘶きが聞こえた。玄関がバンッと勢いよく開き、足音がこちらにやって来る。
「オレーシャ無事か!?」
「あらアヴデエフ様、お帰りなさい」
「アンジェリカ嬢、どうしてここに?」
「彼女はフェリックスの婚約者だそうですね」
「違うわ!」
しかしフェリックスが口を開く前にアンジェリカが否定の声を上げた。
「ああ違うな。
アンジェリカ嬢、申し訳ございません。俺はこのように、家に別の女性を囲っています。ですからあなたには相応しくないでしょう」
「ええその様ね。
あなたの好意は嬉しかったけれど、他の女を家に囲う様な方はわたくしの方からお断りです。
どうやらあなたとは縁が無かったようね。もう会うこともないでしょう。さようなら」
一方的にそう言うとアンジェリカはフェリックスを避け玄関から出て行った。慌てて仕着せの女性がそれを追いかけ、彼女はこちらにペコペコ頭を下げて去っていった。
その間フェリックスは何も言わずに頭を下げ続けていた……
アンジェリカが去りたっぷり時間が経過した頃、彼は顔を上げて、「ハァァ……疲れた」と盛大なため息を吐いた。
「お疲れ様です。しかしあれで良かったのですか?」
「何がだ」
「何がって相手に一方的に言われ続けてましたよ。それに彼女は大団長の姪だというじゃないですか?」
後半部分は出世するチャンスを~と言う下世話な話だ。
「令嬢が男に振られると何かと面倒でなぁ。それよりも俺の不貞ってことでこっちが振られる方が結局角が立たないんだよ。
それにな俺は二十台で団長と呼ばれる身分になったのだからもう十分だよ。どうせ尻に敷かれるのなら、あんなのよりはお前の方が良い」
「へっ!?」
「あ、いや。他意はないぞ。
今この場に二人しか居なかったからたまたま比較しただけの事だ」
「あ、ああなるほど。そう言う理由でしたか。納得しました」
まるで告白の様な事を言われて焦った。上手く誤魔化せていると良いのだけど~とチラリとフェリックスを盗み見た。
なんだか平然としているような……
イラッ。やられっぱなしでは私も面白くない。
「ところでフェリックス?
いつから私はあなたに囲われたのでしょうか」
「それは言葉のあやだ」
「あやですか……、私はあなたになら」
「ん、何か言ったか」
「いえ何も」
聞こえなくて良かったと私は胸を撫で下ろした。
さっきの告白紛いのせいで危うく口を滑らせる所だった。危ない危ない。
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