10:男爵令嬢①
夕食を食べ終わって、ルスランと食器の片づけを終えた。いつものフェリックスならば風呂に行く時間なのだが、彼はまだ食卓に座ったままだった。
「オレーシャ、少し話を出来るか?」
真剣な表情でフェリックスがそう告げてきた。私は彼の向かいの席に座って言葉を待った。
「実はなここらの街道を荒らす賊のアジトが知れた」
「ベロワ団長のご報告でしょうか?」
「ああそうだ」
赤の騎士団は町から離れて国境付近に建てられた砦で暮らしている。そんな赤の騎士団の主な任務は隣国の動向調査で、砦から隣国を監視することに加えて国境の巡回も行っていた。
この森や、この山までと言う大雑把な取り決めなので、互いのグレーゾーンは賊の棲みかになりやすい。
それを今回見つけたと報告があったというのだ。
「つまり近々に大規模な戦いがあるのですね」
「いや相手は五〇ほどの集団だからそうでもない」
隊長の私が率いていた白騎士団の人数が二〇人だと考えれば五〇人など大した数ではない。報告に五~一〇人ほどの誤差があったとしてもまだ中規模に収まるだろう。
「でしたら何が問題でしょう?」
「実はな今回の掃討戦に大団長が参加されるそうだ」
「それは……
ベロワ団長は大層お怒りでしょうね」
「ああまったくだ。頭が痛いよ」
赤の騎士団が発見したアジトなので、普通ならば功績は赤の騎士団が多くなる。しかし大団長が出張ってくるのならば、功績は大団長に有りとして上に報告されることだろう。
あの老獪がいきり立つのは、部下の功績を盗られることと、実戦経験のない阿呆が戦場に混じるときと相場が決まっている。
今回はその二つともだ。
いまごろ彼の副官は必死に宥めている事だろうと容易に想像できる。
「大団長が出るからな、エドゥアルドの方も出ない訳には行かないらしくてな。
まあそう言う訳だ」
赤の騎士団が発見したアジトの掃討は、発見者の赤の騎士団と街道警備担当の白の騎士団の合同で行われる習わしになっている。
赤白合同で行ったから、発見者の赤の騎士団の方が功績が多いという具合なのだが、今回はこれに加えてさらに青騎士団まで投入すると聞けば、何と過剰な事かと呆れるしかない。
「フェリックスは何日ほど留守にされますか?」
「すまんな、話が早くて助かるよ。大団長はきっと馬車だろうから往復で十日は掛かると踏んでいる」
「判りました。その間、家とルスランの事は私にお任せください」
「頼んだ」
こうしてフェリックスは家を長期間留守にすることとなった。
※
多勢に無勢を作戦と呼んで良いかは置いておいて、賊の討伐は無事に終わった。
今日はその作戦の祝賀会だ。
何度も起きる乾杯の合図はすべて大団長の取り巻き、つまり腰ぎんちゃくのアピールだ。数えるのも嫌になった「大団長万歳!」の乾杯がまた聞こえてきた。
俺が名もなき一兵士なら無視でも構わないだろうが、団長ともなれば無視するわけにも行かず、手を上げて誰かと杯を打ち鳴らした。
「お疲れだな」
「ああエドゥアルドか、お前こそ」
「ベロワ団長が羨ましいよ」
赤の騎士団のベロワ団長は作戦終了と共に砦に戻ると言って町に帰って来なかった。
だからこの席にはいない。きっとそれを言っているのだろうとは思うが、
「例え羨ましくてもベロワ団長の副官にはなりたくないな」
「あははは、違いないな。あそこまで不機嫌なベロワ団長と砦に戻るなら、ここで乾杯してる方が随分とマシだ」
エドゥアルドと笑い合っていると、その噂の大団長が取り巻きを連れてこちらに向かって歩いてきた。
「おおそこに居るのは両団長ではないか、随分と楽しそうだな」
「ええもちろんですとも、賊は無事に討伐され街道が平和になりました。
これも大団長のお陰です」
エドゥアルドは続けて「乾杯」と言って杯を大団長に向けた。
「我ら白騎士団の役目に、大団長自らご協力頂いてとても助かりました。
団員を代表してお礼を申し上げます」
思ってもいない歯の浮くような台詞を並べて、俺もエドゥアルドを見習い「乾杯」と言いながら杯を大団長に向ける。
見え透いたお世辞なのだが、すっかり
「ふっふっふ。そうであろうそうであろう」
しばらく相手をしていると大団長の取り巻きが「大団長殿、あちらに」と割って入り、大団長を連れて去って行った。
それを見送りながら、
「言うなぁ~」
「お前こそ」
エドゥアルドを二人でくっくと嗤いあった。
大団長とも直接話したから、これで最低限のお勤めは終わっただろう。
「どうする?」
「ああそうだな。そろそろ良いだろう」
「あら何がそろそろ良いのかしら?」
突然二人の会話に女の声が混じって来た。
声の聞こえた方に振り返ると、薄い緑のドレス姿の令嬢が立っていた。明るい茶色い髪は丁寧に結い上げられている。身なりも良いから貴族であろう。
「こんばんは美しい
女性の扱いが得意なエドゥアルドは動揺することなく自然に挨拶を終えた。すると令嬢は扇で口を隠しながら俺の方にチロッと視線を向けてくる。
あなたは? だろうか。
「失礼しました。白の騎士団団長アヴデエフ=フェリックスです」
「わたくしはベススメルトヌイフ男爵家のアンジェリカよ。それで何がそろそろ良いのかしら?」
予想通り貴族の令嬢だった。
「ハハハッ男同士でいるのも悪くなかったのですがね。そろそろ女性を誘わないかと、この不精な同僚を誘っていたのですよ」
「あらそうなのね。ではどちらがわたくしを誘って頂けるのかしら?」
アンジェリカはスッと手袋を付けた手を差し出してくる。
俺とエドゥアルドの間にどっちが、なんて打ち合わせはいらない。エドゥアルドは自分がと言ってアンジェリカの手を取った。
エドゥアルドを見送りながら、さて厄介なことになったぞとひとりごちる。
今はエドゥアルドが踊っているが、ダンスが終われば今度は俺が誘わない訳には行かないだろう。それが振られるか受けられるかは別としてもだ。
そしてアンジェリカは結局、俺とも踊った。
この日、俺の運が悪かったとすれば、先に踊らなかった事だろうか?
ダンスを終えてエドゥアルドのところに戻ると、彼は大団長となにやら話をしていた。エドゥアルドの隣の大団長を見たアンジェリカは、「伯父様」と笑みを浮かべた。
なるほどこの令嬢は大団長の姪だったのか。
「アヴデエフ団長、アンジェリカと随分仲良くなったようだね」
「とんでもございません。お優しいご令嬢のご厚意で、記念に一曲だけお付き合い頂いたにすぎません」
「そうか? よく似合いだと思ったがな」
「ふふっ伯父様ったら気が早いわよ」
そう言いながらアンジェリカは俺の腕に手を回して体を寄せてきた。大団長の前で邪険に払う訳にもいかず、「お戯れは困ります」と当たり障りのない台詞を言った。
「ふむアヴデエフ団長は独身で、たしか男爵の家の次男であったな?」
「え、ええそうですが……」
「騎士爵もあり若くして団長と言う身分も悪くない。どうだアンジェリカと正式に付き合ってみないか?」
「まぁ!」
アンジェリカが嬉しそうに声を上げた。
貴族である大団長からのお誘い、これに乗れば出世コースは約束されるだろう。しかし俺の脳裏に過ったのはそんな事ではなく家で待つオレーシャ顔だった。
どう返答するか……
「大団長、アンジェリカ嬢とフェリックスは今日出会ったばかりです。もう少しお互い良く知ってからでも遅くは無いと思いませんか?」
「ああ確かにな、儂としたことがヤコヴレワ団長の言う通りだった。
アンジェリカよアヴデエフ団長は逃げはせん。もう少し知ってからでも良かろう」
「ええ分かったわ伯父様」
じゃあねとアンジェリカは
それをエドゥアルドを二人並んで見送りながら、
「悪い助かった」と呟いた。
「お礼はオレーシャちゃんの手作りの夕飯でいいぞ」
「分かった今度呼んでやる」
エドゥアルドは俺の肩をポンと叩き、後ろ手を振りながら去って行った。
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