第四章 エルフの大森林と契約者

第1話 夢世界で見る記憶

(ここはどこだ…?)


 シオン・フォードレインは微睡んだ意識のまま疑問を抱いた。自分はどこにいるのか、そもそも自分は何をしていたのか。自分という存在をボヤけて認識しながら漠然と目を開いていた。


 ここはどこだろうか。暗い場所で所々に光る灯りがある。地面は土と砂利が混ざったものであり、風は感じないが木々の騒めきが聞こえた。


(ああ…そうか…)


 視界に映る景色にシオンは思い出す。現在シオンが漂っている場所は転生する前の世界で、何年も自宅と会社を往復するために横切っていた公園だった。


 勝手に動いている前世の体の中で、シオンは意識だけを保つ。なんだか気持ち悪い気分だった。


「やあ」


 誰かに声をかけられ、前世の体が立ち止まる。そして彼は驚き、怪訝そうな顔をした。暗くて良く見えないが、ローブのようなもので全身を覆っているのだ洋服でも無ければ、スーツでもない、全身を覆うローブだ。


 当たり前のことだが、前世の体は不審者だと思い、無視して再び足を動かす。


「ちょ、ちょっと」


 無視した前世の体に驚いたような声を出して引き留めるその不審者は、彼を追いかける。しかし、彼は止まらない。すべて無視して歩き続ける。


「まったく……少し待ってよ、雨宮紫苑くん」


 ピタリ。

 前世の体は立ち止まった。そして振り返る。


「……あんたは誰だ。どうして俺の名前を知っている」


 前世の体—雨宮紫苑にとって目の前の人物は不審者でしかない。記憶を辿っているシオンには何のことかわかっているが、この時の自分は確かに警戒していた。


「それは事情でちょっと言えないけど……雨宮紫苑二十四歳。幼児期に両親が事故で亡くなり、その後は施設で育つ。高校卒業後、就職し現在社会人六年目」


 つらつらと言い並べる不審者。それを聞いている紫苑は不愉快そうに眉を顰め、警戒心をより強くした。


「今日声をかけたのは、君に用があったからなんだよ」


 フードを被ったまま話始める不審者。

 紫苑は無言のままだ。


「まずは顔を見せろ。それから素性を明かせ」


 一定の距離を保ちながら、紫苑は口を開いた。現時点で目の前の人物は不審者だ。このくらい警戒して当然だろう。


「まあそれもそっか」


 紫苑の言葉に頷いた不審者は、ローブを脱いで姿を現した。丁度、雲から月が顔を出して、月の光によって不審者の姿が鮮明に見える。


「……っ!」


「初めまして。俺の名前はルイズ・アルベルト。君のいうところの異世界人っていうやつだ」


 月光の元に晒されたのは、日本人離れした姿だった。堀の深い顔立ちに、キラキラと光る金髪。街中で歩いていたら、すれ違う人全員振り返るだろう。また、そして理由は分からないが、紫苑は懐かしさを覚えた。


「ちょっと待て……何だ? 異世界人と言うのは」


「そのままの通りだよ。ここ、地球ではない世界の住人っていうことだよ」

「信じられない……」


 目の前の男、ルイズが日本人ではないのは分かる。それにどこか異様な雰囲気があるのも分かる。しかし、ルイズが異世界人と言う話は紫苑にはとてもではないが信じられなかった。


「疑うのも分かるよ。俺が君の立場だったら信じていないだろうし」


「なら……」


「だから証拠を見せるよ」


 ルイズはそう言いながら指を一つ鳴らした。

「なっ……!」


 紫苑は目を見開き、絶句する。彼の目の前には虚空で轟轟と燃える炎があった。炎自体はさほど大きくはない。しかし、ライターやガスバーナーといった道具を使わずに目の前の芸当は不可能だ。


「因みに……こういうこともできる」


 ルイズが手を動かす。すると、手の動きに従って炎が形を変えた。猫、犬、ドラゴン、様々な形に次々と変化していく。暗闇の公園に存在するのはルイズと紫苑だけ。まるで世界に自分たちだけしかいない、漠然と紫苑はそう思った。


「どう? これは異世界で発展している魔術という技術だよ」


 数分後、炎を消したルイズが放心している紫苑に言う。


「……まずは信じる」


 たっぷり十数秒おいて紫苑は答えた。いくら現実離れしているからと言って、眼前での出来事を無視するほど紫苑の頭は固くない。色々言いたいことはあるが、一旦ルイズの話を信じることにした。


「それはよかった。じゃあ時間もないから結論から言おう」


 一度、ルイズは口を閉じる。何とも言えない空気に、紫苑はゴクリと喉を鳴らした。


「雨宮紫苑くん。君には俺の世界に来てもらいたい」


「は……?」


 あまりにも突飛な言葉に、思わず紫苑は呟く。


「……ちょっと待て。意味が分からない。いや、言葉は分かるが理由が分からない」


 困惑の表情を浮かべて、紫苑はルイズに言葉を投げる。そんなシオンに、ルイズはフッと笑って口を開いた。


「まず、俺の世界には〝厄禍〟という敵がいる」


「敵?」


「うん。そいつは世界に蔓延る負の感情を糧に存在している。生物とは到底言えたものではなく、分かりやすく言うと邪神のようなものかな」


 負の感情を糧に存在する邪神のようなもの。

 まるでお伽話や物語の中のような話だ。


「君に願うことはただ一つ。その〝厄禍〟を俺の世界から消し去ってほしい」


 月光で反射された碧目が紫苑の視界に入る。詐欺や質の悪い冗談ではない。本当に目の前の男は自分に頼んでいるのだろう、と紫苑は思った。


 だがしかし、ここで一つ疑問が生じる。


「……あんたが言っているのが嘘ではないのは分かる。だが、何で俺なんだ?」


 正直自分は平凡極まりない男だと紫苑は思っていた。だが、おそらく適当に声を掛けたというわけではないだろう。何かしらの基準があったはずだ。


「俺の世界に行ってもらうということは、転生をしてもらう必要がある」


「転生って……新しく生を受けるということか?」


「うん。だけど誰でも転生できるわけじゃない」


 一度口を閉じ、再度開いた。


「同じ世界での転生とは違って、今回のような場合は世界を渡る必要がある。その時に適性が無いと、世界を渡ることが出来ないんだ」


「ということは俺には適性があるということか?」


「そういうことだよ」


 紫苑はルイズの言葉を一度咀嚼する。

 転生、今回の場合で言うと異世界転生。


 このような知識は持っていないので、嘘か誠か判断することは出来ないが、今のところ話に矛盾点はない。


「……とりあえず詳しく教えてくれ」


「もちろん。ただ時間が足りない―――」


 言いかけた瞬間、ルイズの体にひびが入った。


「……っ。すまない。俺にはもう時間がないみたいだ」


「待て! 俺は何も聞いてないぞ」


 急な事態に紫苑は慌てる。転生して自分がやらねばならないことは聞いた。しかし、その詳細を聞かないと転生しても何もできない可能性があった。


「まずは転生してくれるんだよね?」


「――っああ」


 何をいきなりと紫苑は思ったが、素直に頷く。幼児期に両親が死んだこと以外は、自分の人生は不幸ではない。しかし、どこか虚無感があった。


 生命を維持するためにただ会社に行って帰る日々。別に絶望したことは無いが、ただただ虚無感に体が支配される毎日だった。だからこの世界に未練は特にない。


「それはよかった。じゃあ手短に話すね」


 口早く話を続けるルイズ。彼の体に入っているひびがどんどん広がっていく。


「まず、転生したらもちろん前世の記憶は残る。だけど、俺との会話は消えるかもしれない」


「消える……?」


「いや、消えるんじゃなくて封印されるって言った方が正しいか」


 ひびが更に広がりながらも独り言ちるルイズ。


「一度、俺達は〝厄禍〟の討伐を試みた。けど、失敗した。結局、封印するしかできなかったんだ。そしていずれ封印は解かれる」


 瞳を閉じながらルイズは言う。顔こそひび割れで分からなくなっているが、声色から無念の感情が伝わってきた。


「君を転生させる時、〝厄禍〟に妨害される可能性が高い」


「封印しているんじゃないのか?」


「してるさ。だけど、いくら封印したと言っても完全じゃない。世界に直接干渉できないだけで、世界から少し外れた場所なら干渉可能なんだ」


「ああ……そういうことか」


「そう。世界を渡る時なら妨害は可能っていうことだ」


 世界の中心に近ければ近いほど封印は強くなっている。だが、地球から向こうの世界に入る瞬間なら妨害は可能だとルイズは推測していた。


「それなら俺はどうすればいい? この記憶は消えてしまうんだろう?」


 前世の記憶を持ったまま転生できると言っても、この記憶が消えてしまっては意味がない。


「さっきも言った通り、消えるんじゃなくて封印されるんだ。だから、きっかけがあれば封印が外れる」


「そのきっかけとい言うのは何だ」


「強い感情、つまり激情さ。怒り、憎しみ、悲しみ……。体が支配されるほどの激情を抱けば、高い確率で君の記憶の封印は解ける」


 つまりは行き当たりばったりの力技だ。


「それで―――っ」


 続きを言おうとしたルイズだが、ひび割れが全身に広がり、体が崩壊し始めた。


「――くそ……時間が無いっ! まだまだ言いたいことはあるけど転生を始めるよ……!」


「おい……っ」


 ルイズは手で印を結び、ぶつぶつとわずかに残っている口で呟く。数秒後、紫苑の足元に光の環が出現した。


 光の環は真っ直ぐ上昇して紫苑の体全身を囲む。そして、徐々に徐々に紫苑の意識は薄れ始めていった。


「最後に一つ……記憶が戻ってまだ〝厄禍〟の封印が解けてなかったら、エルフの大森林に行ってほしい。知りたいことが全てあるはずだから」


 薄れゆく意識の中、紫苑は無言で頷く。瞼を僅かに上げると、ルイズの下半身は崩壊し、上半身も頭部以外は半壊している状態だった。


(懐かしいな…)


 夢が覚めてゆくのを実感しながら、シオンは漠然と内心で呟く。そして、結局このルイズという男の言う通りになったなと思った。


 もう二度と見ることのできない前世の世界。


(…………)


 紫苑が意識を失うと同時に、シオンも夢世界から何もない空白世界へと戻っていった。


 





***


第四章が始まりました。

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