臨戦ハイテンション

 総体3日前。

 正確には1日前だ。大会自体が始まるのは明日からだけれども、幅跳びは大会3日目、三段跳は4日目。一体どうしたのだろうか、無類の怠け者である私の足は何と、早く跳びたくてうずうずしており、私はそれを宥めるのに必死になっていたのです。

 折角溜まったバネがなくなってしまうから、今日もあまり跳ばない。跳ばねぇぞ! 跳ばねぇからな!! そう自身に言い聞かせながら、近所の公園に向かう。すると、何故か軽く走り出してしまう。本当におかしい。「最後」という言葉の魔力は侮れないみたいだね。


 雨が降っている。私は雨の日の方がテンションが上がる。雨に打たれるのは好きだった。何か、「雨にも負けず頑張ってるわ私」みたいな気分にならない? え、私だけ?

 勿論、身体が冷えるとよくないから服装は長袖長ズボン、しっかりウォーミングアップをして身体を温める。踏みしめるとキュッと鳴る芝生を1周、2周、3周もすればすぐにサウナ状態になる。

 樹の下で体操。流石に濡れた地面には座りたくないので、立ったままストレッチ。この前違和感があったハムは特に念入りに伸ばして解す。肉離れでもされたら敵わないからね。腰も、骨がちゃんとはまったような感覚があって、前より少しよくなっていた。嬉しいことだ。300TTさまさまだな。


 スキップやらホッピングやらで動きの確認をする。くるぶしの下辺りで踏み下ろす感じ。足裏全体でフラットに地面を捉える感じ。鞭のようにしならせてパァンと足を叩きつける感じ。私と先生はどちらも動作を上手く説明できる方じゃなくて、練習のときはそれこそみょーんとかタンとかバッとかものすごく感覚的な擬音語でやり取りしていたけれども、多分、跳躍競技をやっている人にならそれなりに伝わるんじゃないかと思う。少なくとも私には先生の言わんとすることがめちゃくちゃ分かった。お互い感覚派で助かった。

 幅跳びの踏切、三段跳のホップ、ステップ、ジャンプ。そう、三段跳だから3回も続けて跳ばなければならない。右、右、左。ステップの右足に掛かる負担はなかなかのもので、いつもそこで体勢を崩して、最後のジャンプが潰れる。正しく接地すればそうはならない、だから足は身体の真下に。接地時間はなるべく短く――。


 気をつけなければいけないことは山ほどある。ただでさえ器用でない私は、何か一つ意識すれば他が疎かになる。無意識に動くようになるまで、身体に叩き込まなければならないのだ。

 あと3日。少しでも覚えさせる。1センチを争う競技なのだから。


 ――大会前、しかも最後の大会前だという昂揚感からなのか、妙に身体は軽かった。信じられないほどよく動いた。ダッシュのキレもいい。こんなのいつぶりだろう、と嬉しくなって、ついつい無駄に飛び跳ねそうになるのを抑えるのが大変だった。

 エンジンがかかるのが早すぎて、果たしてこの調子が本番まで保つのかどうかだけが心配だったけれども、びしょ濡れで帰宅した私は羽が生えたような気分だった。その日は高ぶってなかなか眠れなかった。


 ◇


 そして、遂に総体が開幕する。

 曇り空の下、小学生の頃から県大会でお馴染みの競技場。朝露に濡れる芝生、制限付きでの応援が解禁され、久し振りに人の入ったスタンド、白線の眩しい朱色のタータン。普段、部活で使っていた練習場のタータンは青だったから、ここに来ると、ああ、大会だなあ、って気分になる。否が応でも闘志を煽られる。

 今日もここで、たくさんのドラマが生まれる。明日も。明後日も。最終日も。

 笑顔も涙も溢れる4日間になる。いつだって、人のいる競技場には輝きが満ちる。

 私だって輝けるかもしれない、そんな思いを抱かせてしまう魔法が掛かっている。

 相変わらずハイテンションの私は、今にも爆発しそうだった。特大花火になれたら、いいんだけどな。


 蒸し暑い中、朝7時から夕方5時まで、ずっと外に居続けるのは結構疲れる。応援やら補助員やらで走り回ったり、かと思えばすることがなくなってベンチに釘付けになったり。ベンチといっても、スタンド下にブルーシートを敷いただけの陣地。地面はコンクリートだし狭い。

 出番が3、4日目なのが恨まれた。こんな調子では1、2日目で消耗してしまいそうだし、調子のいい状態がいつまで続くか分からないし。

 身体が固まらないように、溜まった疲労を抜くために、補助競技場に走りに行った。

 陸上部員にとって、総体はメインの大会だ。皆、この大会に調子を合わせてくる。ウォーミングアップをする選手たちで埋まっているサブグラウンドは、いつもよりもピリピリした空気が満ちている。

 私と同じように、明日明後日の本番に備えて走りに来ている友人がいた。折角なので、並んでジョグした。

「青葉は大学決めた?」

「これと言って行きたいところはないんだよね。でも、とりあえず文学部かな。そっちは?」

「うちも細かくは決めてないけど、教師になりたいから教育学部かなー」

「だよね、まだ決められないよね。部活忙しすぎて……いいじゃん、先生。似合うよ」

 そんな風に会話しながらトラックをぐるぐる回る。マスク越し、走りながらの会話にももう慣れた。何しろ、「外部活もマスク外さないで部活してください」とか言われた時期もあって、マスクありで100mダッシュを何往復もさせられてきたわけで。

「というか、もう最後だね」

「だね」

 幾度、このやり取りをしただろうか。同級の部活仲間と話していれば、必ずのように「もう最後だね、終わっちゃうね」という言葉が出た。もう、こうやって一緒に走ることはないだろうし、クラスも違う人とはほとんど話さなくなってしまうかもしれないのだ。高校に入ってから友達らしい友達はできなかったけれど、陸上部の皆だけははっきり友達と言えた。言いたかった。

 同級生だけじゃない。先輩も、後輩もそうだ。これだけでも部活に入った価値はある。

 忍び寄る寂しさの影が目立つようになっていたけれど、皆との残り少ない時間は、精一杯楽しんでやろうと思った。ネガティブ人間の私がそう思えるのも、この仲間たちのおかげなのだから。


 そうして1、2日目を終えた。大会新記録で優勝した友人もいれば、決勝に進めず泣いたリレーメンバーたちもいた。心配を他所に、私の闘志は鎮火するどころか、どんどん燃え盛っていった。次は私の番だと、全身が熱い叫びを上げていた。


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