第6話 置かれた財布

 翌日はよく晴れた朝だった。そろそろ梅雨が始まるはずだが、今朝の天気を見ると、まだまだ晴天が続きそうな気配しかない。

 なごみがいつものように誰よりも早く教室に入ると、しばらくして円香が一人で登校してきた。

「あれ? 今日は美羽は一緒じゃないの?」

 仲良しの美羽と円香は、いつも待ち合わせて一緒に学校に来ていたはず。円香が一人で登校してきたのを見たのは、なごみは初めてだ。

「なんかね、美羽にメッセを入れたんだけど、既読にならなくて」

 円香はポケットからスマホを取り出して画面を見ている。

「電話はしてみた?」

「なんかね、電源が入ってないみたい。充電忘れたのかなあ」

 流石にそんなことはないでしょ、となごみはツッコミを入れたくなるが、まあそこが円香らしいと言えなくもない。


 昨日の喫茶店での別れ際、美羽の様子がおかしかったことをなごみは気になっていた。そして今朝は、親友の円香さえも連絡が取れないという。

 昨日の円香の財布事件から、どうも美羽に何かが起こっているようだった。


「おはよう」

 なごみがそんなことを考えている間に、家頭メイもが静かに教室に入ってきてぼんやりとした眠そうな低い声でそう言った。

 ——きっと家頭さんは低血圧だ

 なごみはクスリと笑いながら挨拶を返した。

 そういえば、家頭メイはなごみのすぐ前の席なのに、あまり会話をした記憶がない。もちろん、毎朝顔を合わせたら、ちょこっと微笑んでぴょこんと頭を下げることぐらいのことはお互いにしている。決して仲が悪いということではないのだが、これまでは親しく話をする間柄ではなかったのだ。だが、昨日のことがあったせいか、今朝は自然と挨拶を交わしている。人が仲良くなるきっかけなんて案外簡単なことなのかもしれない。


 それから、パタパタと走りながら多田愛美が教室に飛び込んできた。愛美はなごみが来ていることを確認すると、そのまま駆け寄ってきて、

「ねえ、昨日の夜にうちの学校にパトカーが来てたって聞いたんだけど、何か知ってる?」

となごみに聞いた。

 愛美には「情報通」というあだ名があり、まだ朝だというのにもうどこからかその情報を手に入れてきたようだ。

「全然」

 なごみは大きくかぶりを振り、円香と家頭メイの様子を伺ったが、二人ともそんなことは知らないようだった。

「うー、気になるう」

 情報通としては気になるのだろう、すぐに他のグループの輪に飛び込んで他の生徒に同じことを尋ねて歩いていた。じっとしてはいられないようだ。

「パトカーって、なんだろね」

 なごみがそう言うと、家頭メイが「さあ」という顔で肩をすくめた。


「美田園はもう来てるか」

 まだ半数ほどしか登校していない教室の廊下側の入り口扉から、担任の上田先生が顔を覗かせた。こんな朝早い時間に先生が教室に来るなんて、珍しいこともあるものだ。

「あっ、はい!」

 名前を呼ばれた円香が慌てて席から立ち上がった。他のクラスメイトも、それまでのお喋りをやめて、何事かという顔で先生を見ている。

「ちょっと」先生が円香に手招きをする。「ええっと、それから委員長は……きてるな。お前もちょっと来てくれ」

 なごみは円香と顔を見合わせて足早に一緒に先生の方へ行くと、先生はクルリと背を向けて「ついて来い」と言わんばかりに黙って廊下を歩き出した。


 なごみと円香が恐る恐る上田先生の後ろをついていくと、先生は校長室の前で立ち止まり、ドアをノックすると部屋の中から何か返事があった。

「上田です。失礼します」

 上田先生はドアノブに手をかけて先に校長室へ入る。そしてドアを大きく開いたまま、振り向いた上田先生に「入れ」と促された。


 校長室に入ると来客用の応接セットがあり、一番立派な1人掛けの椅子に校長先生、その隣には教頭先生が座っていて、その2人と応接テーブルを挟んだ長椅子になごみと円香は促されて座った。そして上田先生が円香のすぐ近くに折りたたみのパイプ椅子を持ってきて座った。


「ええっと、美田園さんは……」

 そこまで校長先生が言うと、上田先生が手のひらを上に向けるようにして円香を指した。円香が明らかに緊張しているのがわかる。

「昨日、財布を盗られたと聞きましたが」

 校長先生は、円香の顔を覗き込んだ。

「あ、いえ、盗られたっていうかあ、私がなくしたっていうかあ」

 しどろもどろになる円香の目の前のテーブルに、上田先生の手がスッと伸びた。見ると小さな財布が置かれていた。

「円香、それ——」

 なごみにも見覚えがあった。隣の席の円香がいつも持っていた、硬貨を入れるための小さな財布だ。その財布が今、なぜかテーブルの上に置かれている。

 昨日教室でなくなったはずの財布がなぜか目の前にあり、円香は驚いた様子で目を見開いたままジッと見つめて黙り込んだ。


「最近、いくつかの高校で連続窃盗事件が続いているのを知ってますか?」

 確か、昨日のニュースで——

 二人は小さく頷いた。

「我が校も被害に遭わないように見張っていた上田先生が、昨日の夜、学校に忍び込んだ犯人を捕まえたところ、その人が持っていたものです。あなたのもので間違いありませんか」

 校長の言葉に、円香は唇を震わせて何も答えなかった。今、頭が混乱しているのかも知れない。

「村都さんは、美田園さんの隣の席ですが、この財布に見覚えはありますか」

 もちろん、知らないことはない。なごみは小さく頷いた。

「では、この財布を原田さんが盗むのを見ませんでしたか?」

 えっ、校長先生は今なんて言った?

「原田って……つまり昨日学校に忍び込んで捕まったのは美羽だったって、先生はそう言ってるんですか」

 今度は先生たちが一瞬黙って顔を見合わせた。


 そんなこと、信じられるわけがない。

 なごみはギュッと唇を噛んだ。隣で円香が虚な目でまだ財布を見つめていた。

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