第52話 カルト教団
カルト教団という言葉を僕は久し振りに聞いた気がする。カルト教団という言葉の正式な定義は知らない。安倍元首相殺害に関して出てきたんだろう。
ただ難しいなあと思うのは、宗教って信じなきゃ宗教にならないという所にあるということだ。
僕は毎日坐禅し続けない限り仏教は絶対に理解することはできないし、坐禅し続けている限り真実・真理に従って生きることができると信じている。何故ならば道元禅師が正法眼蔵ほかの著作でそう書いておられるからだ。そして坐禅し正法眼蔵を読んで40年近く生きてきて間違っていないという確信は強まるばかりだ。
しかし異なる立場の人間から見れば僕のような態度は「間違っている」いや「狂ってる」ということになるんだろう。
仏教の各宗派やキリスト教、イスラム教など学んだこともないし学ぶ気もない。今現在の僕自身の生き方が真実・真理だと思っているからだ。
ただ知らないしわからないから他の人たちを批判することもない。学んでないんだからできない。うっかり批判なんかしたら大変な騒動に巻き込まれ、不毛な議論に人生の貴重な時間を潰すことになる。そんなことをしている暇はない。
不毛な議論にしかならない。だってそれぞれが「自分たちが正しい」と信じているからだ。冒頭に書いたように信じなければ宗教ではないからだ。
自分たちが正しいと思っている人たちに「あんたたちは駄目だよ。カルトだからやめなさい」なんて言っても何にもならない。過激な一派は恐ろしい攻撃をするだろうし、ほとんどの団体はなんやかやうまく立ち回って外見は変わったように見えても本質は全く変わらずに生き延びるだろう。
宗教に限らず団体って「何かを信じている人たち」の集団だ。集団というのはひとつ変な方向に踏み出すと危ないことになる。
さて今の世の中はなんか危なっかしいけど、どこに向かっているのやら。
僕は坐禅し正法眼蔵を読んで自分の信ずる生き方をします。
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