第3話 一応のことはやったんじゃないか
現在62歳。
今の世の中ではまだまだ生きることになる可能性が高い。男の健康寿命72歳、平均寿命82歳。あくまでも平均だからいつ死ぬかはわからない。この瞬間に死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。はたまた惚けて何も分からず身体も動かなくなって暫く生き続けるかもしれない。
どうなるか、そんなことわかりはしない。どうなるか考えたってしょうがない。
ただ、死んだときできるだけ周囲の人たちに可能な限り迷惑をかけないようにしたいとは思っている。
とりあえず遺言書、尊厳死宣言証書、任意成年後見人契約すべて公正証書で作成した。
また死後の整理のために必要だと思うことを書面に書き出している。そして折に触れ書き足したり書き直したりしている。
このようなことをしているのは、父親が死んだとき非常に苦労したからだ。
その時のことや、死に向けての準備については改めて書いていこうと思う。
必ず死ぬ。それがいつかわからないだけだ。
死にたいとは思わないが積極的に何が何でも生きていたいとは思わない。死ぬときは死ぬときなだけだ。そんなこと言っててもいざとなると取り乱すかもしれないけど。
やっておきたいこと。うーん、とりあえず死ぬまで何をしていたか書き残したいとは思う。あと正法眼蔵について、40年ほど読んできたので書き残したいと思ってこのカクヨムに「遺書暴論の正法眼蔵」というのを書いてみている。
書き終えれればうれしいけど、中々時間がかかる。書き終えるのは難しいかもしれない。でもそれはそれで仕方ない。
62年間振り返って一応のことはした、そう思う。
世間的には出世もしていないし、資産も僅かだ。質素に暮らせば何とか生きていけるくらいのものしかない。
幸せだったかとか不幸だったとか、そういうふうに考えたことは無い。どうであれ、そのように生きてきたのだから感想など抱いたところで意味が無いと思っている。そういうふうに生きてきました。ただそれだけだ。
僕は勤め人だった。組織には体質が合わなかったけど40年勤めた。心身共に疲弊したけど。
勤めていた間に、新会社の立ち上げを一度、関連会社の解散・清算を二度、どちらも実務の現場責任者として関わった。役員ではない。現場の責任者だ。労働時間は長かったし、何しろハイストレスでしんどかった。最後の解散・清算の途中で軽い脳梗塞で1か月入院した。大きな後遺症はなかったが、退院したら引き続き解散・清算をやれと言われた。それはそれでいい。僕がやるのが一番いいと思っていたから(自惚れ)。
上に書いた以外にも色々あった。どういう訳か僕が関わった仕事は様子がおかしくなってしまうことが多かった。
いろんなことがあった。
その中で一番脳裏に心に刻みつけられたのは、人間のどうしようもない醜さだった。それだけ切羽詰まった状況の仕事が多かったのだろうと思う。
今思う。一応のことはやったんじゃないか。
だから自分と向き合って残りの人生を生きようと思う。この先も色々あるだろうけどね。
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