第21話 愛しさの影を追って


 奇妙な出会いをした翌日。


 俺は今日も屋上へ来ていた。

 澄み渡る青空とは裏腹に気分はどんよりと重い。

 昨日の少女はどうやらいないらしい。


 酷く虚ろな表情の彼女を思い出す。

 本当に飛び降りてしまいそうだった。


 何かを失ってしまった抜け殻のような姿。

 それを少し前の自分と重ねてしまう。


 全てどうでも良くて、自分自信でさえも軽んじてしまうような振る舞い。

 彼女も何かを失ってしまったのではないか。


 彼女の事が気にならないと言われれば嘘になる。

 何となくほっといてはいけないとさえ感じる。

 一人にしておけば何を仕出かすか分からない危うさがあったからかもしれない。


 考えれば考えるほど気分は沈み、落ち着かない。

 このスッキリとしない気分の一端はやはり彼女が関係しているだろう。


 そんな中ガチャという扉を開ける音がした。


 入口に視線を向ければ昨日の少女の姿があった。


「あっ...」


 彼女はこちらに顔を向ける事なく歩き始める。

 まるで俺が見えていないようだ。


 彼女の足取りは拙かった。

 黒髪は風に吹かれ、たなびいている。

 その長髪は日光が反射し、キラキラと輝いて見えた。

 しかし影の差す表情に光はなく、何とも対照的だ。


 昨日の事もある為、俺は彼女から視線を離さない。

 目の前で飛び降りなんてされたら気分が悪いどころの話ではない。


 彼女はフェンスを前に足を止めた。


 瞬間強い風が吹く。

 俺は反射的に瞳を閉じる。

 目にゴミが入らないようにと半目で少しずつ瞳を開いた。


 すると彼女の姿が見当たらない。


 心臓が縮み上がるのが分かった。


 眼を見開き彼女を探すとフェンスの向こうに人影を発見する。


「まじかよ!」


 全速力で彼女の元へ走る。

 間に合え間に合えと心の中で復唱。


 彼女は少しずつ歩を進めていく。

 まるで青空に吸い込まれるように。


 俺は走った勢いのままフェンスを飛び越えた。

 ずしんとした衝撃が両足を穿つ。


 彼女の足は止まらない。あと少しでも動けば地上へ落ちてしまいそうな距離だ。


 彼女は両手を広げる。

 そして死へ一歩を踏み出した。


「お姉ちゃん...」


 か細い呟きだった。

 その愛しさと悲しみを帯びた色の声は空に溶け込んでいく。


 目を瞑り風に身を任せようとする彼女。


 俺は全力で手を伸ばす。


「あっ」


 左腕を掴まれ声を漏らす彼女。

 ギリギリの所で彼女の腕を掴む事に成功する。


 彼女はそこで初めて俺に気がついたような素振りを見せた。


 不釣り合いな天秤のように傾く少女。

 手を離せばどこまでも落ちていってしまうだろう。

 かくいう俺も左手でフェンスを掴み、右手で彼女を支えている体勢。

 一歩間違えれば自分も道連れに成りかねない状況だった。


 俺は力一杯に彼女を引き上げる。


 フェンス際まで引っ張られた彼女は地面に崩れ落ちた。


「何やってんだよ!」


 自分でも想像しなかったほど大きな声が出た。

 彼女を掴むその腕が、地を踏み立つその足が異常に震えている。

 心音も異様に早い。

 耳や顔は焼けるほど熱かった。


「...ましないでください」


 吐き出すような声だった。

 肩を震わせ歯を噛み締める彼女。

 噴火前の活火山のように感情のマグマを煮やしていた。

 そして─


「邪魔しないでよ!」


 彼女が叫ぶ。

 静寂とした屋上に少女の言葉が反響した。

 今まで色褪せていた感情が一気に溢れかれる。


「あと少しだったのに!あと少しで楽になれたのに!!」


 その潤んだ瞳は、くしゃくしゃになった顔がこちらを捉えたいた。


「何で邪魔するの?何で!何で!私にはもう何もないの!お母さんもお姉ちゃんも!だから逝かせてよ!」


 彼女の悲痛な言葉が胸に刺さる。

 激情に当てられ言葉が詰まる。

 何を言えば良いのか分からない。

 きっと正解なんてなくて、だけど失敗は存在する。


 泣き崩れ今にも潰れて消えてしまいそうな彼女を見る。


「もう何もないの...」


 魂が抜け落ちたようなその姿は赤子のようにとても小さく脆く写ったのであった。































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