第19話 運命の分岐点


 彼は走って行ってしまった。

 私は笑顔で送り出せていたのだろうか。


 会話の中で彼に好きな人がいるか質問した時彼は『分からない』と言った。

 その時、彼は誰かを思い浮かべていた。

 そしてそれが私では無いことが分かってしまった。だから...


「なるほど...ね。ごめんちょっと席外す 」


 私は逃げた。

 逃げてしまった。

 認めたくなかったのかもしれない。


 そして逃げ込んだトイレの鏡に写る自分の姿を見る。


「ひどい顔...」


 そこには今にも泣き出しそうな少女の顔があった。


「こんな顔見せられないよ」


 分かっている。本当は分かっていた。

 彼が最近変わった事を。


 少しずつ殻を破り、外の世界に足を踏み出そうとする姿勢。

 それは喜ばしい事だった。


 私は笑顔を取り繕い彼の元に戻る。


「本当にごめん。友達に何かあったかもしれないんだ。だから俺行かなくちゃ」


 もしかしたら自分が彼を変えるきっかけになったのかもしれない。そんな事を考えてしまうくらいに私はバカだった。


 彼は誰かを助けようと行動をしている。


 私は彼を助けようと守ろうと思って行動してきた。しかし、彼はもう守られる存在じゃなかった。


 きっと誰かが彼を変えてくれたんだ。


 私の目的だった彼を一人にしないこと。

 それは叶った。


 誰かの為に足を1歩踏み出せるような存在。

 私が知っている本当の彼だ。


「ありがとう。心」


 だから喜ばないといけない。私が泣くなんて、きっと可笑しい。

 なのに彼が離れて行ってしまうようで酷く切なかった。胸がズキズキと痛かった。


 私はきっと酷い顔をしているのだろう。


 彼の背中が遠くなるほど、私の視界は揺らいでいく。

 そんな彼の姿が見えなくなってしまう前にふと、言葉が出た。


「好きよ。あなたが好きなの...」


 その言葉は誰にも届く事はなく、風と共に消えていった。


 ****


 俺は家に向かい走っていた。

 ショッピングモールから家まではそんなに離れてはいない。

 走れば10分ほどで着くはずだ。


 猛烈な日差しの中汗を拭い走る。

 赤を示す信号機に一度足を止めた。


「くそっ!こんな時に限って赤信号かよ!」


 家まで後数100メートル。

 あと少しの所で足止めをくらってしまった。


 巡井さんに一刻も早く会わなければいけない。

 そんな気持ちが焦りを助長する。


 信号を見ていると、反対の道を走る少女の姿を発見した。

 黒い長髪に見覚えのあるシルエット。

 それは、自分が探していた少女だった。


「巡井さーん!!」


 俺は叫んだ。

 巡井さんは俺に気づき、こちら体を向けた。


 巡井さんは肩で息をしながらこちらを見ていた。

 その表情はどこか安心したように見えた。

 俺も思っていたよりも早く彼女と会えた事で安心する。

 あとはこの信号が青になるのを待つだけ。


 その時、巡井さんがこちらに向かって何か言っているのが分かった。


「...ら...くん......て...」


 何を言っているのだろう?

 車の雑音のせいでうまく聞き取れない。


「......ぎくん......げて......ろ」


 彼女が焦っているのがわかる。

 何やら逃げてと言っているように聞こえた。


 彼女は赤信号など関係無いように叫びながらこちらに近づこうとしていた。


「巡井さん!?危ないよ!」


 俺は巡井さんにこちらに来るなと腕でジェスチャーをした。

 しかし、彼女は止まることなくこちらへ走り出した。

 その時、彼女がなんと言っていたのか初めて聞き取れる。


「大来帰君!逃げて!後ろ!」


「え?」


 俺はふと後ろを振り返る。

 すると黒いマスクで顔を隠した何者かがこちらに手を伸ばしていた。

 そして─


「は?」


 俺は道路へと押し出された。

 思考が追い付かない。

 こちらに手を伸ばす巡井さんの姿。

 鳴り響くクラクション。


 ─瞬間訪れる衝撃


 突如として身体を吹き飛ばされる浮遊感。


 耳を刺す悲鳴。


 腕がぐにゃりと曲がっているのが分かった。

 身体を回転させながら地面に叩きつけられる。


 痛みはない。

 身体は動かない。

 呼吸も拙かった。


 途切れつつある思考の中こちらを叫ぶ少女の声。


「......ぎくん!...ら...くん!」


 誰だろう。

 聞き覚えのある声だった。

 とても大切な人だったような気がするが思い出せない。


 視界は真っ黒だった。俺は目を閉じているのだろうか。


 酷い眠気に襲われる。

 身体は心地良かった。


 何か大事な事があった気がする。


 しかし、眠気に逆らえない。

 俺は遠のいていく少女の声を子守唄に暗闇へと落ちていった。





 








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