第10話 交渉
ダークエルフの里に到着してから、半日が経過した真夜中。
寝静まった時間に、予定通りにおねーさんは動き出す。
ハイエルフの御威光はさすがの一言に尽き、交渉は特に何事もなく無事に済んだ。
勇者様御一行により、迷いの森に繋ぎ止めていたレイドボスを含む掃討戦の結果、危険度が格下げされ、とりあえず非戦闘員を含むダークエルフを百数余名ほど拝借するに至った。
ハーフエルフに関しても、精霊と契約し現人神とすることで無害化することに、合意。儀式の手配を任せることになった。
レイドボスの駆逐、人員の手配、ハーフエルフの
ここまでは、メイドさんのシナリオ通りに推移している。
「……(あとは、最後の仕上げをして終わりね)」
おねーさんは、くたびれた様子もなく、きびきびとした所作で、少年とアオイ、そして
三人は、掘っ立て小屋と呼んで差し支えない、簡素な作りの建物に、雑魚寝していた。
まあ、実際には、寝ているのはアオイだけで、少年は先走ったサキュバスに、なんか絡まれていた。
まあ、寝てるには違いない。
「あらあら♪ お楽しみ中かしら?」
おねーさんは、気にした様子もなく、朗らかに薄く笑う。
「あ、ちがいますよ。これもお仕事なんですぅ」
サキュバスは、そう言って、悪びれなく少年に抱き着いたまま、無遠慮に身体を撫でまわす。
擬態語でいうと、にぎにぎ だろうか。まだ、しこしこ ではない。
「少年にしては、珍しく大人しいわねぇ」
「プロがプロの仕事してるのに、邪魔するほど野暮じゃないだけだ」
されるがままの少年は、生物として正しく反応しつつも、呆れ顔で事態が過ぎるのを待っていた。
「そう。……見てていい?」
「失せろ」
少年の険のある言葉に肩をすくめ、もう一人の
よほど疲れているのだろう。起きる気配は欠片もなく、静かに眠りこけている。
他の仲間も各地で同様に深く眠っていることだろう。
ファンタジー世界で無理も無茶も効く、そんなおかしな世界でも、疲労感は休息でしか補えないということだ。
「ま、お邪魔でしょうから、この子は連れてくわ。そんなに時間はかからないから、ほどほどにお願いね?」
「はーい☆」
「はよいけ!」
おねーさんは、手慣れた感じでアオイを抱えると肩に担ぐ。
「この子、全然起きないわねぇ」
「あんまりイジメるなよ」
「はいはい、分かってますよー……と」
おねーさんは、から返事で部屋を出て行くと、まっすぐ目的地を目指す。
回収してから、さほどの時間もたっていない頃。
別に何処でもよかったが、手ごろな空き家があったので、そこにアオイを投げ飛ばす。
「ぶぎゃ――」
あまりな出来事に、悲鳴ともつかない声を上げで、アオイはようやくと目を覚ました。
「え? ……なに???」
正座のような格好で、きょろきょろと視線を泳がせ、理解しないまま、おねーさんを視界に捉える。
「おはよう、ぼうや」
おねーさんは、砕けた口調であいさつする。
もはや演技の必要もない。素のまま続ける。
「こんな遅くに申し訳ないのだけど、とーっても悪いお報せよ。異世界転生のおのぼりさん♡」
にっこり、と。
「……っ!?」
理解より早く、アオイは反応するが、おねーさんは、それより早かった。
「見ての通り、おねーさんは丸腰よ。どっちの意味でも襲う気はないから安心なさいな」
身に着けていた外套を脱ぎ、そのまま床に落とすと、薄衣を纏っているだけの姿で、アオイを見下ろす。
ベビードールと思しきそれは透け感が極めて強く、仄かな明かりに照らされて、彼女の裸身を余すことなく晒していた。
今朝がたまで凛々しく剣を振るっていた貴人の妖艶な姿に、アオイは戸惑い言葉を失う。
「静かになってくれて助かるわ。説明に一時と掛からないから、まあ気楽に聞きなさい」
おねーさんは壁を背に腕を緩く組むと、まるで天気の話でもするかのように自然体で話し始める。
内容を要約するとこうである。
自分は、同郷であること。
その異能の特色を、ある程度把握してること。
異能の危険性を考慮して、著しい制限を掛けること。
ハーレムは一時解散、それぞれ別の任に付いてもらうこと。
望むと望まざるとにかかわらず、地球に帰還させること。
「私から提供できるものは少ないわ。せいぜい、帰還後の経済的支援とハーレムの子たちも地球への帰化を認める、くらいかしらね」
今の生活を捨てろと言うには、あまりに弱い。秤にかけるまでもなく、誰であろうと今の状態を望むだろう。
そもそも、なにひとつ信用できるような話ではないのだから。
「……断る、と言ったら?」
アオイは、主人公なら言うであろう模範解答を口にする。
おねーさんは、やれやれと肩をすくめる。
「そうね。結果は変わらないわね。過程は変わるでしょうけどね」
選択肢として、ハイ イイエ どちらもある。が、その行きつく先は変わらない。
「まず、安心材料として、ぼうやが拒否して抵抗したからと言って、その後の待遇が悪くなることはないわ。福利厚生は可能な限り配慮するし、アットホームな事業内容も寸分違わず履行される」
「ただし」
と、おねーさんは続ける。
「断ってアテはあるのかしら?」
ここは悪名高き【迷いの森】。そして、
森の危険性については、体験済みだ。言うまでもなく生々しく刻まれたばかりだ。
「孤立無援で土地勘もなし、現状、女の子たちとも離れ離れで、リリアンナちゃんに至っては、明日にも精霊と契約して、こっち側になる予定よ」
別にタークエルフと結託しているわけではない。時間があれば打ち合わせもできたろうが、その必要もない。
こんな真夜中に男がひとりでうろついていれば、ダークエルフは勘違いし、敵対的な動きを見せる。
そして、それを見た彼もまた誤解する。というすれ違いコントみたいな展開になるだけだ。
とくに、ハーフエルフなどという、
アレは、自分を孕ませることのできる
エルフにしろダークエルフにしろ、子を成すことに関する知識は、皆無に等しい。
実際には、性交があったとしても、妊娠する可能性は限りなくゼロに近い。
が、なまじゴブリンやオークなどの
おかげで、労せず、一人の
「まあ、運よく逃げたところで、その先は迷いの森、道案内もなしに、こちらの追跡をかわしながら脱出できるかしらね?」
状況は悪い、ように見えて、実は詰んでいる。
彼がどう足掻いたところで、その道を容易に閉ざすことができる。のだが、それらを突き付けて観念させるつもりはない。
「……(投了されると、おねーさん的には困るのよねえ)」
提示した条件にうま味がなさ過ぎて、まずありえないだろうが、こんなところで折れてしまうようなメンタルでは困る。さらに、渋々従われても、後々面倒なのだ。
彼には、納得の上で協力者になってもらわないといけない。
そのためには追い詰め過ぎてもダメだし、力ずくで何とかなる、などと暴れられてもいけない。
「まあ、あまり時間はないでしょうけど、せいぜい足掻きなさい。これからも主人公で在り続けたいのなら……ね」
おねーさんは、落とした外套を拾い上げると、ひらひらと手を振って空き家を出ていく。
と、すぐ目の前、いつの間にやら待機していた淫魔の少女をしり目に、闇の中に消える。
あとは、プロの仕事の時間だ。
「さて、あとは高みの見物を……って、ぐあぁぁ! ――しまったぁっ!!!」
ハッと珍しく動揺した様子で表情を曇らせる。
「どこで観賞するか全然考えてなかった……」
ここからがおもしろいのに…… と、歯噛みする。
「メイドえも~ん――」
主人公の少年より先に、おねーさんがダークエルフに職質されるでは? と、淫魔は思ったという。
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