第7話
「ねえ、ツムギさん。本当にここに入るつもりなの?」
「だって仕方ないじゃん。ここもだめかもしれないけど」
電車から降りた私たちは、駅から少し歩いた地点で足を止めていた。
初めはビジネスホテルに泊まろうと考えていた。しかし、受付で氏名と電話番号、住所といった個人情報の記入を求められてしまった。
この手の安宿に泊まった事のない私は面食らったが、もし私の行方が分からなくなっている事が警察に伝わっていれば、その事実は近隣の宿泊施設へも共有されているだろう。ここで馬鹿正直に本名を名乗れば、即座に通報されてしまう。
私は適当な偽名と偽住所を記入した。しかし、その後身分証の提示を求められ、私は凍り付く。
その場は財布を落としたと誤魔化して、ビジネスホテルを後にする。次に向かったのはネットカフェだった。
しかしここでも結果は同じだった。利用には会員登録が必要で、身分証の提示は必須との事で断念する。
そして最後の頼みの綱はここ、ラブホテルだけだった。十八才未満の利用は禁止されてはいるが、その利用目的ゆえに匿名性が求められるこの場所ならば、身分証が無くとも宿泊できるかもしれない。
「ほら、ラブホ女子会って言葉もあるし、大丈夫だよ」
私は自分に言い聞かせるように言う。私だって、こんなところ入りたくはない。例え同性でも、相手がトウコでもだ。
それでも、女子二人で野宿よりはずっとマシだ。
トウコは怖がっているのか、私の腕をぎゅっと握っている。その事に勇気付けられ、私は足を踏み出した。
「ほら、行くよ」
「うん」
出入口を隠すように立てられたら、石壁をモチーフにしたパーティションの裏に回り、自動ドアを通って中に入る。
店内には人の姿が無い。これは私にとって、野宿を逃れる希望であった。
「ええっと、どうすれば……」
「このパネルで部屋を選ぶみたいよ。ここに説明が書いてある」
トウコは部屋の画像が貼り付けられた蛍光色のパネルを指差す。
「どこがいいのかしら?」
「どこでも良いんじゃない?」
それでも優柔不断なトウコが思案している様子だったので、私が無難そうな部屋を適当に選んでボタンを押す。すると蛍光色の光が消え、押したボタンが赤く光る。
「……次はどうするの?」
「あ、あそこじゃない?」
ブラインドで隠されているものの、受付自体は存在していた。恐る恐る近づくと、テーマパークのチケット売り場のような小さな隙間から滑らすように鍵が渡される。この先に居る人物の人相は伺い知ることが出来ない。若者か老人か、男性か女性か。もしかすると、人間でない可能性もある。
鍵には四〇二の印字がされていた。私とトウコはエレベーターに乗り込み、四階へと移動する。
幸い途中で誰かに出会う事は無かった。気まずいという事もあるが、女性二人でこの手の施設に出入りしていると、どうしても目立つ。逃亡中の私は、できるだけ他人の印象に残らないようにしなければならない。
部屋に辿り着くと、どっと疲れが襲ってきた。スクールバックを部屋の隅に置いてベッドに腰掛ける。トウコはきょろきょろと部屋を見渡している。
「どうかした?」
「なんというか……想像していたより普通だと思って」
確かに室内はほのかに光の灯る薄暗い空間だったが、それを除けばダブルベッドのビジネスホテルと遜色が無かった。
「まあ、普通そうな部屋を選んだからね。トウコはもうちょっと色っぽい方が良かった?」
「……そういう訳ではないのだけれど」
「ふぅん。それより、トウコが先にシャワー浴びてきてよ。歩き回って疲れたでしょ」
「……それじゃあ、遠慮なく」
トウコがバスルームに移動して、私は一人になった。寂しさを紛らわそうとポケットを探り、携帯を探す。
ああ、そうだ。制服や日常と共に携帯は捨ててしまったんだ。逃げ切るためには必要な事だったけれど、本当に良かったのだろうか。
携帯があれば、ネットを使えた。ネットが使えれば、逃亡に必要な情報を調べられたかもしれない。SNSで情報を募る事もできる。急募、人を殺した時にお勧めの逃走経路。なんつって。
過去を悔やんでも仕方がない。トウコのシャワーが終るまで、部屋の中を物色して暇を潰す事にする。
けれども、思った以上にここは無難な部屋だった。ラブホテルの部屋にはゲームやスロットマシーンが置いてある話を聞いた事があったが、そんな気の利いた暇つぶしの道具は無かった。
目を引いたものと言えば、冷蔵庫の中身だ。半分は通常の収納スペースだったが、上半分に透明なプラスチックの敷居が作られ、中にはビールや酎ハイといったアルコール類の缶が入っている。上部にボタンと値段が印字されているところを見ると、簡易的な自動販売機といった所だろうか。
「流石に未成年だし、手を出すわけにはいかないわね」
私は冷蔵庫を閉めて、何の気なしにテレビをつける。クラスの男子が見たら喜びそうな映像が流れ、慌ててスイッチを切った。ようやく、ここがそういう場所なのだという実感が沸いた。
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