第6話


 橋を越えた先にある隣駅は、思っていた以上に閑散としていた。


 決して終電間際という訳ではないが、この時間に出歩くことが稀であった為、今まで知らなかった地元の顔を垣間見たような気になる。


 私はポケットから無造作に取り出したお札を券売機に入れ、切符を二枚購入する。ICカードの乗車券は持っていたが、先ほど川に財布ごと流して来てしまった。


「どこまで行くの?」


 トウコの質問に、購入できる最高金額の切符を手渡して答える。


「行けるところまで」


 できるだけ遠くへ。誰も私たちの事を知らない場所まで行けば、きっと捕まる可能性は低くなる。例え永遠に逃げ続けることは不可能でも、その瞬間をいくらか先送りにすることは出来るはずだ。


 私たちは改札に切符を通して駅のホームに入る。静かな駅のホームは物寂しく、電車を待つ人々は他人に無関心で、携帯をいじったり本を読んだり。一人だけ、儚げな雰囲気を漂わせたOL風の女性が、空を眺めながら物思いにふけっている。


「ツムギさん、何を見ているの?」


「いや、何でもない」


 そんな会話の直後に、電車の到着を告げる放送が流れる。やがてホームにけたたましいブレーキ音を響かせながら、車両がやって来た。


 扉が開くと数名が車両を降り、入れ替わりでホームに居た人々が入る。車両の窓越しにホームを見ると、先ほどの女性は相変わら夜空を仰いでいる。どうやら電車に乗らなかったらしい。


「あの人が気になるの?」


 トウコに指摘され、思わず赤面する。じろじろと他人を観察する変な人だと思われた気がして。


「ちょっとね」


「なんで?」


「さあ」


 それから私たちは、空いている席に二人並んで座り押し黙ったまま、発車した列車の子気味良い揺れに身を任せていた。


 私はスクールバックを膝の上に置いて、抱きかかえるように持つ。この恰好とこのバックは少しアンバランスだっただろうか。下手に人の目を引いても困るし、これも何とかしないと。


 けれど問題は中身だ。血の付いた体操服や上履きなどの衣類と、凶器のサバイバルナイフがこの中に仕舞われている。先ほどの川に捨てられなかった理由がこれだ。あの衣類と共にこれらの品が見つかれば、私が前田さんの殺害に関わっている事は誰だって分かる。だからといって、鞄だけ捨てて中身を抜き身で持ち歩けば、私が殺人犯だと標榜しているようなものだ。


 結局のところ多少は目立ってしまっても、このバックは持ち歩かなければならない。それが警察の目から少しでも逃れる為に必要な事だ。


 しかし、そんな事を考えていると急に周囲の目が気になりだす。格好に不釣り合いなスクールバックを持った私は目立っていないだろうか。


 同じ車両の人間を見渡す。乗っている人間の属性は、先ほどの駅のホームとほとんど同じだった。会社帰りのサラリーマンや、いかにも遊んでいそうな若者。皆は私よりも手元の携帯端末の方が気になっている様子だ。


 とりあえずは大丈夫だろうか。私は安堵のため息を漏らす。案外、私が思っている以上に人々は他人に興味が無いのかもしれない。


 窓の外では風景がパノラマのように移り変わる。やがてその移り変わりが緩やかになり、電車は駅に止る。車両の中の顔ぶれが僅かに変わり、すぐに電車は発車する。


 その工程を繰り返す度、私は犯行現場から遠ざかっている実感を感じる。このまま県外に出られれば、警察の所轄が変わる。捜査系統が変われば、その分時間は稼げるだろう。逃げ切る事はできなくとも、トウコと共に居られる時間が長引く。


 突然、急ブレーキで電車が止まる。重力に引っ張られ、座っているのに倒れそうな勢いだ。すぐさま急停止信号を受けた旨の放送が流れる。


「なんだろう?」


 トウコが呟くように言う。普段なら遅延証明書発行してくれるかを心配する急停車も、このタイミングだからこその不安に駆られる。


 もしかして急停車したのは警察の指示なんじゃないか。この車両に警察が乗り込んでくるんじゃないか。皆さん、落ち着いて聞いてください。犯人はこの中に居ます。そんなドラマみたいな一幕が繰り広げられるのではないかと、心臓が高鳴る。


 けれども停車の理由は別にあった。


「○○駅構内にてお客様と車両が接触した為、ダイヤに乱れが生じております。調整の為、この車両は少々停車致します。お急ぎのところ大変申し訳ございません」


 あ、私たちが乗って来た駅だ。私は思わずトウコと見合う。けれども紡ぐ言葉が見当たらず、そのままお互いに黙り込む。


 車両との接触とぼかしているが、用は人身事故だ。駅のホームという事は、飛び込みではないだろうか。


 心当たりはある。電車が来たというのに乗らず、ただ夜空を見上げていたOL風の女性だ。電車が来たにも関わらず、ホームに留まり続けていたのだから何かあると思っていたが、まさかそんな事を考えていたなんて。


 一体何を思えば自分から死を考えるのだろうか。他人を死に追いやる気持ちは理解できても、そればっかりは私には分からなかった。だって私は、自分の犯した罪を棚に上げて、警察に捕まらりたくなくて必死に知恵を絞るほど、自分本位な人間だから。


 放送が流れる。どうやら次の駅までは進み、そこでしばらく停車するらしい。


「次の駅で降りようか」


 私はトウコに提案する。ちょうど次の停車駅は駅周辺が賑わっている場所だ。ビジネスホテルぐらいはあるだろう。


「そうね。このまま電車で待っていても仕方が無いし」


 やがて電車はゆっくりと動き出した。

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