第5話
夜の町を往く。
人々は自宅で思い思いに過ごすか、或いは帰路についている頃。ごく少数の人は、仕事や遊びに向けて家を発つ。
そんな住宅街の人々の目に怯えながら、私たちは目的地へと進んでいた。
「ねえ、ツムギさん。隣駅の前に寄らなきゃいけない場所ってどこ?」
「あそこだよ」
私は指を指す。その先は住宅街の道の先で、立ち並ぶ家々が途切れ、開けた空間になっていた。
指を指した先まで歩みを進める。コンクリートで舗装された急な坂道を上り、眼前に広がるのは、幅が二百メートル以上ある川だった。
夜風が草木を撫でる中、河川敷を下ると水音が近くに感じられる。
「それじゃあ、ここに全部捨てていこっか」
「ここに捨てるの? 環境に悪いんじゃ……」
トウコは驚いた小動物のように困惑していた。
「環境破壊より悪いことしてきてるんだから、今更だよ」
「その理屈はおかしい気がするけど、分かったわ。でもどうしてこの場所なの?」
「ここなら車の通る橋に近いでしょ? この場所で私たちの制服が見つかれば、私たちの失踪が前田さんの件とは別の事件と思わせる事ができるんじゃない?」
「……ツムギさんって恐ろしいこと思い付くのね」
人はいつだって分かりやすいストーリーを信じたがるものだ。この場所で衣服が見つかれば、私たちは悪漢に誘拐されたという単純な物語が出来上がる。
私は紙袋から自分の制服を取り出し、暗い水面に向けて放り投げる。トウコが後に続こうとするので、私は腕を掴んでその動作を制止する。
「ちょっと貸して」
私はスカートのホックが閉められているのを確認して、やっぱりなと苦笑しつつ外す。この世のどこに、剥いだスカートのホックを丁寧に閉めてから破棄する悪漢が居るんだか。
やっぱりトウコは抜けている。私がしっかりしないとダメなんだ。
トウコのスカートはあえて河辺に生える草木に引っ掛ける。そしてブレザーとシャツのボタンをいくつか引きちぎり、川にばらまく。
「次は携帯を捨てるよ」
「え? 携帯も捨てちゃうの? それはもったいないわ」
「だめだよ。携帯こそ絶対に捨てないとだめ。居場所とかも分かっちゃうんだから」
「でも……連絡取れないと……」
「私たちはずっと一緒にいればいいでしょ。それとも、家族や他の友達と連絡するつもり?」
「そ、それは……」
トウコは苦い顔をしながら携帯を取り出し、少しの間悩むようにそれを眺めていた。しかし、すぐに意を決した様子で川へ投げ捨てる。
「こ、これでいいのかしら?」
「うん。ありがとう、トウコ」
これでトウコも後戻りできない。日常との決別が済んだのだ。
次は私の番。とはいえ、私はもうとっくに普通の人生から遠いところに来てしまっている。今更これを捨てることに躊躇いはない。
ポケットから端末を取り出す。さあ、今から捨てようという時に、間が悪く着信が入る。
画面を見ると、母親からだった。
ああ、帰りが遅くて心配して電話したのかな。きっと出たら怒られるよね。あんた、どこで何してるの! ごめん、前田さん殺しちゃって警察から逃げてるから、しばらく家には帰りません。
そんな会話を想像しながら、私は躊躇いなく水面に向け携帯を投げ捨てる。周囲に響く着信音が、急激に低音になり、やがて完全に消える。
「……よかったの?」
「今更話す事なんて無いよ」
最後に私たちは財布からお札だけ抜き出して捨てた。中には身分証も入っている。これで警察の人も、衣類を入念に調べなくても、私とトウコの身に何かが起こったと分かるはずだ。
トウコは茫然と暗い水面を眺めている。
「全部捨てちゃったね」
「うん。……それじゃあ、行こっか」
私たちは歩道へと戻るべく、河川敷を上がる。その際、周囲に目撃者がいないか神経を尖らせていたが、そんな事をしたところで意味が無い事に思い至る。
仮に誰かが今の光景を見ていたとしても、もうどうしようもない事なのだ。まさかこの程度の偽装工作を見られた程度で、口留めに殺す事も無いだろう。むしろその方が、後々のリスクが高まる。私にできる事は、誰にも見られていない事を神様に祈るだけ。
「……神様は居ないんだった」
「何か言ったかしら?」
「いや、何でもないよ。それより急ごう。私が電話に出なかったから、お母さんが通報しちゃってるかもしれない」
緩やかな坂道の歩道を上がり、そのまま橋を渡る。等間隔に並んだ街灯に照らされる中、手すりを挟んだ向こう側の車道にはせわしなく車両が行きかう。白や黄色のナンバープレートよりも、緑や黒のナンバープレートの方が多い。こんな時間だというのに、大人は大変だなぁ。
ヒッチハイクでもしてみようか。ふとそんなアイデアが浮かぶ。電車で移動すれば監視カメラを意識する必要があるが、車ならその心配は少ない。ドライバーの行先次第で目的地が変わる分、警察も逃走経路の予測がつかないだろう。
いいや、だめだ。今さっき私たちは、車で連れ去られた可能性を示唆する偽装工作をしたばかりじゃない。だというのに、わざわざ車で移動すれば、警察の捜査線上に自ら足を踏み入れるようなものだ。
それに、若い女性を二人載せたドライバーが悪い気を起こさないとも限らない。私の事はどうなっても構わないが、トウコが危険な目に遭う事だけは避けたい。
そもそもトウコは自分と一緒に来なければ、危険な目に遭うことは無い。その矛盾から目を逸らしつつ、蛍光色の光が闇を引き裂いた道を歩き続ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます