第4話


 金券ショップで現金を手に入れた私たちは、その足でファストファッションの店舗へと向かう。駅を挟んで反対側にある、赤地に白い文字でブランド名が印字された看板のお店だ。


 店内は明るく、授業が終わった大学生や仕事帰りの社会人と思われる人達が疎らに衣類を物色している。


「ねえ、どうして着替える必要があるの? 制服のままじゃだめかしら?」


 トウコは吊るし並べられたスカートを物色しつつ、言葉を漏らす。その言葉とは真逆の動作に思わず苦笑してしまう。


「制服のまま夜に出歩いていたら、目立つし補導されちゃうでしょ。あ、一応トウコは帽子も被って。私は背が高いし、老けて見えるから大丈夫だと思うけど、トウコは童顔だから私服でも警察に目を付けられそうだし」


 私はそう言って、全面に淵のついたベージュ色のキャップを手渡す。


「ツムギさんは老けてないけど、分かったわ。それより、どっちのスカートの色が良いかしら?」


 トウコは二着のスカートを取り出し、私に意見を求める。こんな事に時間を掛けている間にも、警察の手が伸びているかもしれないというのに、何とも悠長なものだ。


「白よりも黒の方が似合うんじゃない?」


 私が適当に答えている最中、傍を通る店員と思わず目が合う。アルバイトだろうか。大学生ぐらいの華奢な店員は、笑顔で「いらっしゃいませ」とあいさつをした。


 傍目には普通の女子高生に見えている事だろう。部活帰りに、服を選びに来た二人組。きっと週末には、ここで買った服を着てどこかに遊びに行くんだろう。そう思われているに違いない。


 すいません、店員さん。私、さっき友達を殺してきちゃったんですけど、警察に捕まりたくないんです。犯罪者が逃げる時にお勧めのコーデって、どんな感じですか?


 そんな質問ができる訳もなく、私は会釈してその場をやり過ごす。さっきの金券ショップの親父は、程度は違えど私と同じ犯罪者だ。わざわざ警察に通報するような真似はしないだろう。


 しかし、ここの店員は善良な市民なのだ。これから警察との鬼ごっこが始まるのだから、できるだけ無難な対応で店員の印象に残らないよう注意しなければならない。もし明日のニュースで容疑者は二人組の女子高生と報道されたら、ここの店員が私たちを思い出し、警察に事情を話すかもしれない。そうなれば、監視カメラの映像やレジに残る購買履歴から服装を割り出されてしまう。その服装の特徴をもとに指名手配されれば、逃げ切る事は不可能だろう。


「ねえ、トウコさ。両方買ってもいいから、早く選んでくれない?」


 私は今すぐにでもこのお店から出ていきたかった。人の多い場所に長時間留まるのは、それだけでリスクなのだ。


「ええ? でも、両方は悪いわ。お金も無限にある訳じゃないのだし。せめて試着してから……」


「試着はいいから。トウコならコレでサイズもピッタリのはずだし。ほら、早くお会計しに行くよ」


 トウコは私に促されるままにレジへと並び、二人で会計をして店を出る。そのまま駅近くの広場の公衆トイレに移動して着替える。


 トウコはプルオーバーのカットソーに黒いロングスカート、そしてベージュのカップ帽子。私はグレーのスウェットの上から黒いベストを羽織り、紺のデニムパンツを履く。トウコはどう足掻いても、高校生らしさを払拭する事はできなさそうだが、私は二十歳ぐらいの大人の女性に見えているだろうか。


「ツムギさん……その恰好、素敵だわ。やっぱりツムギさんはカッコいい服が似合うのね」


「ん、ありがと」


 こんな状況だというのに、トウコのお世辞は素直に喜ぶことが出来た。制服から着替えて、女子高生として周囲から見られる可能性が下がり、少しは心に余裕ができたのだろうか。


「それじゃあ仕上げに、これを捨てに行くよ」


 私はファストファッション店のロゴが入った紙袋を掲げる。中には先ほどまで着ていた制服が入っていた。


「えっ、捨てちゃうの?」


「当然でしょ。こんなもの持っていてもリスクしか無いんだし」


「そうよね……それじゃあ……」


 トウコは名残惜しそうにトイレ脇のゴミ箱へ紙袋をねじ込もうとする。


「ちょっと待って。捨てるのはここじゃなくて、別の場所にしましょう…実は制服を捨てる場所は決めてるの。ちょっと歩くけど、我慢してね」


「歩くのは構わないけれど、どこまでいくの?」


「ちょっと隣駅まで。途中で寄り道もするわ」


 高校の最寄り駅の監視カメラは、真っ先にチェックされそうだから、歩いて隣駅まで行ってそこから電車に乗る事に決めていた。これで数時間ぐらいは私たちの足取りを追うまでの時間を稼げるだろう。


 善は急げ。私たちはさっそく隣駅に向けて歩き始める。いいや、私は人殺しの極悪人だから、悪は急げかな?


 線路に沿って歩けば、最短距離で隣駅へ向かう事ができる。当たり前の話だ。しかし、線路沿いには防犯用の監視カメラが設置されていた。ここの映像がどれほどの時間で警察の目に入るかは分からないが、少しでも私の足取りは隠すに越したことは無い。


 繁華街のルートも避けた方がいいだろう。コンビニや飲食店の入り口にも監視カメラは設置されている。よく路上の事件の映像を店舗の監視カメラが撮影していて、そのままニュースで流れる事も多い。


 私たちは結局、住宅街の中を突っ切るルートで隣駅を目指す。しかし、最近は一般人の自宅前や、子供の通る通学路にも防犯カメラが設置されている場合がある。


 今まで監視カメラなんて意識してみたことは無かったが、こうやって見るとそこら中に監視の目が行き届いている事が分かる。


 なんて酷いんだろう。少しは犯罪者に優しい街づくりを心掛けてほしい。まあ、そんな街に住みたいと思うのは、犯罪者だけなんだろうけど。


 住宅街を歩いていて、予想していなかったことが一つ。道を歩く人達が怖いのだ。すれ違った人が私のことを記憶して、足取りを警察に報告するんじゃないかと考えてしまう。


 そんな善良な市民の報告の積み重ねが、私を絞首台へと送るのだ。こいつらは私を殺そうとしている。まるで殺人鬼の群の中を、どうか私に牙を向けないでと祈りながら歩いている気持ちだ。


「どうしたの? 真っ青だよ?」


「……怖い。死にたくない」


 私は思わず呟く。けれど、この願いを神様はきっと無視する。だって前田さんも私に襲われたとき、同じ事を願ったハズだから。


 前田さんの願いを無視しておいて、私の願いを聞いてくれるほど、アンタはお人好しじゃないでしょう。私はこの願いは叶わない事を知っている。だから私は怖いのだ。


 トウコが私の手を握る。驚いてトウコの顔を見ると、悲痛な表情で瞳に涙を湛えていた。


「大丈夫よ。私が居る」


 トウコはどんな感情で私と一緒にいるのだろう? その内面を読み取ることはできないが、私はトウコの手を握り返す。


「トウコじゃ頼り無いかな」


「なにそれ、酷いわ……」


「あはは、でもありがとう」


 例え神様に見放されても、トウコは私の味方でいてくれる。その真実だけで、私は前へと歩いていけた。

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