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「仕事はショックに対する最良の薬である」と書いたのは、アーサー・C・クラークだっただろうか。まさにその通りだと思う。離婚してからの私は、私のアイデンティティであるピアノ教師の仕事に明け暮れた。
私に最初にピアノを教えたのは母だった。そもそも、ここでピアノ教室を最初に開いたのは母だったのだ。私はそれを引き継いだ二代目、と言えるのかもしれない。
そして父は高校の国語の教師だった。二人の教育者の間に産まれた私は、ピアノのそれはともかく、人に物を教える才能には恵まれていたらしい。自慢じゃないが私の代になってから評判もぐんと上がったし、生徒数も増えた。おかげで自宅を改築し、7型のグランドピアノを一括で購入して置けるくらいにまでになっている。
だけど。
私の代になってからこれまでの十八年間、通算で二百人ほど教えてきたが、世界に通用するような才能を持った生徒に出会うことはなかった。たった一人の例外を除いて。
私は「瑞貴ちゃん」と呼んでいる。三歳の頃から私の教室に通っている、小学六年生の女の子。彼女には早くから非凡な才能の片鱗がうかがえた。
とにかく飲み込みが早い。教えたことはすぐマスターする。そして演奏時は人並外れた集中力を発揮し、ほとんどミスタッチをすることがない。ただ、常に無口で無表情。下手に顔立ちが整っているせいか、余計に冷たい印象を周囲に与える。実際コミュニケーションも不得意で、友達もほとんどいないようだ。昔は彼女にも一人だけ仲の良い女の子がいて、一緒に私の教室に通っていたのだが、その子が指を怪我して教室をやめてからは、彼女の孤独な傾向にさらに拍車がかかったように思える。
それでも。
私は瑞貴ちゃんの才能に惚れ込んでいた。彼女は本物だ。彼女ならば、私が夢見ながらも果たせなかった国際コンクール出場も叶えることが出来るだろう。
だから私は、それまで私が得た技術の全てを彼女に叩き込んだ。それを彼女は、乾いた砂にしみこむ水のように、次から次へと吸収していった。今では全国クラスのコンクールに出場出来るほどの腕前だ。テレビなどのマスコミにも何度か取り上げられている。期せずして、彼女は私の教室の広告塔になった。おかげでここ1~2年は生徒が倍増している。
本当に無愛想な女の子だけど、とにかく私は瑞貴ちゃんが可愛くて仕方なかった。彼女にだって感情がないわけじゃない。ただ、不器用で傷つきたくないだけなのだ。だから仮面を被っている。
瑞貴ちゃんを見ていると、こんな子が欲しかったな、と時々思う。私だって彼女くらいの子供がいてもおかしくない年齢だ。だけど、良祐さんとはついに子供はできなかった。そして
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