恋愛観(日常)

 恋をしている。という建前で私は生きている。恋愛というものが何なのか多分、私はきちんと理解出来ていないはずだ。

 一応、言葉の意味としては理解して、私は誰かに恋をしているのだと思い込んでいる。その誰かは存在しない。私が恋する相手として想像で作り上げた人物だ。彼は私の理想という建前で、大勢の人間が思い描くであろう理想の男性像を形作っている。

 背が高くて、顔がかっこよくて、スタイルが良くて、優しくて、お金をたくさん持っている人。

野木のぎさん、また好きな人のこと考えてるんですか?」

「まあね」

「恋する乙女ですね、いいですね」

 同じ事務員の後輩であるおかが社交辞令的に言った。興味がないなら放っておいてくれと私は言いたい。彼女は仕事一筋で生きると決めているらしく、彼氏を作る気はさらさら無いらしい。学生時代、友達に彼氏を取られたせいだ。男なんて、というのが岡のよく使う枕詞。

 営業の人間は皆外に出てしまい、事務所は静かだった。電話も来客も無い。昼中に突然訪れる生ぬるい静寂の時だ。小さな部品工場の狭い事務所には私と岡しか事務員が居ない。当然話し相手も彼女だけだ。やることも無く、私は文房具類の整理を始めた。

「野木さんの好きな人って、何歳ですか?」

 欠伸混じりに岡が問う。興味ない癖に、と思いつつ私は答えた。

「私の二つ上だよ」

 もちろん嘘だ。存在しないのだから。多分それくらいの年齢が理想的だろう。岡は退屈そうに背もたれに寄りかかり、コピー用紙の封を開けている。包装紙の耳ざわりな摩擦音に負けないよう岡は声高に言った。

「へー。本当女の理想みたいな人なんですね」

「そうなの。好きになっちゃうよね~」

「普通はそうなんでしょうね」

 岡は素っ気ない。やはり内心では私を馬鹿にしているのだろうと思う。私はそれでよかった。なんせ私も私が馬鹿みたいだと思っている。ただの話題の一つとして、普通の人間として、女性の仲間として、空虚な恋愛お伽話をしているだけなのだ。

 岡は、用紙の包装紙を床に投げ捨て、コピー機に紙の補充を始めた。機械の動くガチャンガチャンという音が事務室に響く。私は岡が投げ捨てた包装紙を自分のゴミ箱に入れる。

「あ、すみません野木さん」

「いいよいいよ。ついで」

 私から見て、岡は雑な性格をしている。でも小まめにネイルサロンに行ったり、美容院に行ったりしている点からすると、何というか、仕事に対してだけ雑なのかもしれない。

「岡は、やっぱり好きな人出来ない?」

 私は始めの頃彼女を、岡ちゃん、と呼んでいたが彼女に拒否されて呼び捨てになった。敬称を付けられると“お母ちゃん”とか“お母さん”を連想するので嫌なのだと。私はそんなこと考えもしなったが、言われてみるとそうとしか聞こえなくなってしまった。今や社内の人間は皆彼女を呼び捨てか下の名前、もしくはフルネームで呼ぶ。

 岡は真面目に、きっぱり断言した。

「有り得ません。男なんて」

「ふーん。じゃあずっと独身?」

「そうですね。でも、野木さんに心配される筋合いないです」

「まあ。そうだね」

 可愛くねー。私はうんざりしかかったがここは年上として、感情を出さないように気を使った。

「大体、野木さんだって結婚するか分かんないじゃないですか」

 私の発言のどこかが引っ掛かったのか虫の居所が悪かったのか、岡は会話を打ち切らずに続けた。私はもう終わったつもりでいたので反応に遅れてしまう。

「……や、いやーまあ、でもさ、私は結婚したいと思ってるし」

 建前上、だ。世間一般的には女は結婚したいものだから。岡のように『男? 要りませんよ。あんなの余計なものが付いてるだけじゃないですか』と言って現場作業の中年男性たちに苦い顔をさせたりはしないのだ、私は。

「でも野木さんその人にアプローチも何もしてないみたいじゃないですか。それ、ただ恋に恋してるだけですよ」

「だって、振られたら怖いじゃない」

 彼女の強い言葉をやんわりと受け止める。こうして中身の無いことを言っていれば彼女は延々と空ぶって、一人で自己嫌悪に陥って終わる。私は何も傷付かない。岡は予想通りまだ食い下がった。

「じゃあ何もしないんですか。それ、恋愛じゃないですよ。ただの自己満足」

 なら恋愛って何なの? 問い詰めたかった。しかしやめた。岡は何故か苛立っている。本人は気付いていないだろう。ここは私が冷静になるしかない。

「岡から見たら可笑しいかもしれないけど、これが私の恋愛だし」

「そうですか。わた……いえ、何でもないです」

 私は、と続けたかったのか、しかし言葉を切った。一瞬の無言の隙間、そこで空気を察してか「トイレに行ってきます」と言い残して彼女は事務所を出て行った。

 私はボールペンの整頓を再開し、彼女の恋愛観について考えた。実のところ、岡は恋愛が怖いのかもしれない。彼女は好きになった相手に対して色々知りたかったり、話し掛けたりしたい。でも最後は失敗して、友も失った。何もしなければ良かったと、付き合わなければ良かったと後悔したのかも、分からない。

 何もしない出来ない私が、憎くて羨ましかったのか。

 出来るわけがないだろう。相手は存在しないのだから。私の恋愛だし、なんて馬鹿みたいだ。恋愛も何も分かって無いのに。

 あの岡がムキになるようなもの、そう考えると興味は湧くけれど。




お題『苦しみの恋愛』

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