髪(日常)

 ジャキン、と体の一部が切り取られていく感触は今でも覚えている。それがとても心地よくて、体が軽くなった気がして、私は髪を切るのを止められなくなってしまった。

 幼い頃、私はお姫様に憧れて髪を長く伸ばしていた。父も母も私の髪をくのを楽しみにしていて、私も毎日両親に髪を触ってもらえるのが楽しみだった。ある夏の日、私は扇風機の近くで涼んでいて髪を巻き込んでしまった。幸いすぐに気付いたので怪我はしなかったけれど、絡まった髪を取るのは厳しかった。呆然としている私に、父はごめんね、と何度も繰り返しながら私の髪を切ったのだ。その時私は悲しい気持ちになったがそれ以上に、私は私と切り離される気持ちよさを感じたのだった。それ以来髪を伸ばすのはやめた。両親は私がトラウマになったせいだと悔やんでいたようだが実際には違う。本当のことを言うのも躊躇われて、短いのが楽で好きになったと嘘を吐き続けている。


咲織さおり、たまには伸ばせばいいのに。絶対可愛いよ」

 そうかな。クラスの大して仲良くもない友達に、私は適当に返事をした。運動部みたいな髪型だねとかは言われ慣れている。男子のようなベリーショートはいつも、クラスメイトの興味を引くらしい。さっきとは別の子が隣で相槌を打っている。

「だよねー。折角可愛いのに男みたいな髪型もったいないよぉ」

 はいはい。心で言った。貴方が可愛いと思っているのは自分でしょう。私のことなんか何とも思って無いくせに。女に対して可愛いって言っておけばいいと思ってる。他に話題無いの? 二日に一度は同じ話をする。咲織、髪伸ばせば? 可愛いよ? 録画したドラマを見ている気分だ。

 私も何も短くしたいわけではない。ただ切りたいのだ。切って、切って、自分の要らない部分を切り離したいだけだ。

「好きな子とかいないの?」

「出来たら変わるよ女は」

「そういうもんだって」

「私も髪切ろっかな~」

「咲織みたいに短くしてもいいかも」

「暑い時だとさ、咲織の髪型羨ましいんだよね」

「てか咲織みたいに可愛くないと、この髪型似合わないんじゃん?」

「あんたじゃ絶対無理でしょ」

「は? ブスに言われたくねー」

「誰がブスだ。お前がブスだよ!」

「こいつうるせー」

 私は頷きながら、そんなことないよーと否定しながら会話に混じり続けた。その間も、彼女らの長い髪を盗み見ている。嫉妬した。私に分けてくれないかな。そしたらすぐにでも切り落とすのに。どうしてあの長いものを頭にぶら下げていられるのかが分からない。理解出来ない。気持ち悪くないのだろうか。手足みたいに動かせない、何の役にも立たない毛を、感覚が無くて、外気に触れて汚れていく毛を、どうしてそんなに放っておけるのだろう。

 段々苛ついてくる。顔に纏わりつく髪の感触を思い出して気分が悪くなってきた。

「おい咲織? どうした?」

「さっきから無言で元気ないぞ。調子悪い? 生理?」

 かもしれない。なんて適当に返事をしてから、トイレに行くと言い教室を出た。トイレでは、別のクラスの女子生徒が何人もいて、皆同じような話をしている。

「前髪切り過ぎてさー」

「ねーハサミある? 毛先痛んでる」

「っつかさ、ありえんくない? 何でうちらがやんなきゃいけないわけ?」

「いやいや、サボったからじゃん?」

 用を足すふりをして水を流し個室を出る。彼女らの隙間を縫って手を洗った。あちこちに長い毛が落ちている。要らないもの、もう誰のものでもないもの。不潔だ。

 トイレから出ると、中の話し声が嫌でも聞こえてきた。

「今の子、髪、超短かったね」

「あれ楽そうでいいな」

「でもなー。あれ男ウケしないでしょ」

「うわ出たよ。あんたそればっか」

 男になりたいわけじゃない。女が嫌なわけじゃない。髪を伸ばしたい気持ちはあって、それ以上に切りたい気持ちがあるだけだ。誰にも理解してもらえない私だけの秘密。

 私は小学生の頃の私を思い出す。今ではとても信じられないほど長く伸ばした髪、それを切り落としたあの感触を思い出す。

 切るために、伸ばしたい。

 好きな男のためになら私も髪を伸ばせるのだろうか。クラスメイトの悟った顔、そしてさっきの彼女らの会話を思い出す。『出来たら変わるよ』。髪の長い女が好きだと言われたら、私も髪を切らずにいられるのか。

「好きな人、作りたいな」

 私が何気なく呟くと、クラスの友達は目を丸くして驚いていた。




お題『誰かと育毛』

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