急転直下
さて、今回のブリーダーズカップは日本馬が多く参戦する。
初日である二歳馬のG1にはいないが、二日目のターフスプリントには天王寺厩舎のマカミダイアモンド、ディスタフには大森厩舎のワールドネイルが出走し、当然ながらクラシックには桜花クラブのオウカサードが出る。二〇二一年のBCフィリー&メアターフ勝利の歴史的快挙に続く二頭目になれるかどうか、力強い馬が日本を代表して出走するので注目されている。
まぁ、それはさておき。石田君への授業を行った翌日、俺は幸永調教師を連れて牧場の放牧エリアにやってきた。そこでは、ディアと双子がまるでトムとジェリーのように仲良く喧嘩していた。
孤独に草を食むディアの周りを子犬のようにグルグルと双子が回る。ディアは無視するが、やがて我慢できなくなって舌を使って威嚇しながら彼らを追いかけまわす。桜花牧場では見慣れた光景だ。
「順調に育ってますね」
「ディアは平均通りの馬体重二五〇キロ推移で成長し、双子は軽めの二〇〇キロを少し超えたぐらいです。双子も今のところハンディキャップの兆候は見られませんので、来年は三頭ともおまかせすると思います」
「わかりました。厩舎は確保しておきます」
手元のメモ帳に馬体重などの情報を控える幸永調教師。雑談がてら聞き及んだ話題を彼に振る。
「そういえば、勇退される先生の厩舎を丸々引き受けるそうですね?」
「ええ、西野先生の厩舎と人員をそのまま引き継がせていただくことになりました。予定通り二月末からは幸永厩舎が立ち上がります」
「馬房の数も据え置きで?」
「はい。新米には過分の三十二房を頂きました。すごいプレッシャーですよ、もう」
「北海道のクラブからも管理を頼まれてるんでしょう? 有名税は高くついてますね」
「まったく、ありがたいことです」
二人ではははと渇いた笑いを発する。俺も過分な期待を寄せられることがあるから幸永調教師の気持ちはよくわかる。
「そういえば、お聞きになりましたか?」
「なにがです?」
「来日予定だった女王陛下、随分体調が優れないそうですよ。このままでは年末の予定はキャンセルになるかもしれないと聞きました」
「ほう……それは心配ですね」
当初の予定では俺をドナドナして中山大障害と有馬を観覧される手筈だったが、なにぶん陛下もご高齢だ、このまま流れるかもしれないな。
俺にとっては嬉しくもあるのだが、病だと聞いて喜べるほど人として終わってはいない。なにより馬が大好きなご婦人であるのだ、同志として心配である。
「噂によれば、絶対に桜花クラブ馬の引退式には出席すると息巻いてはいるそうですが……」
「さすがに大人しくしてほしいですね……」
無理して落馬とかされると国際問題で済まねぇんだけど。
まぁ、本人は通せる我儘とそうでないものをちゃんと理解している御方だから大丈夫だろう。
――そうだ。
「幸永さん。写真を撮ってもらえませんか?」
「かまいませんが、鈴鹿さんを撮ればよろしいんですか」
「いえ、愛すべき三馬鹿を写真に収めてウィルさんを通して女王陛下へお渡し願おうかと」
「さらっととんでもないこと言いますね……」
俺の無茶振りに慣れてきた幸永調教師が引きつった笑みを浮かべ、俺から渡されたスマートフォンのカメラ機能で写真を撮ろうとしてくれる。
俺はディアと双子を抱き寄せて、指をくるくる回してカメラへ視線を向けるように誘導する。
「いきますよー。チーズ!」
フラッシュもなく、パシャッと鳴ったスマートフォンを幸永調教師から受け取る。なにをしているのか気になるのか、三頭も鼻先を俺に近づけて覗き込む。とても邪魔である。
俺は彼らをいなしながらウィルさんに撮ったばかりの写真を添付してメールを送る。隙を見て陛下にお渡しくださいと一言だけ付け加えておくことも忘れない。
「……いやぁ、サラッと国家元首に写メするあたりとんでもない人ですよね鈴鹿さんは」
「話してみると気がいいご婦人だよ?」
「立場の話をしてるんですけどね!?」
俺が写メを送った二日後、ブリーダーズカップが幕を閉じた日曜日の夕暮れ。夕食をなににしようか悩んでいた俺の元に知らせが届く。
――イギリス国家元首、女王陛下崩御。
奇しくも次週に女王杯を控えた日の知らせであった。
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