話を戻そう
「そうだね。少し吉騎手について語ろうか」
必死に笑いを噛み殺しながら言う。そうだよな、十代からしたら全盛期を過ぎた上手い騎手としか思わない。
「まず、石田君にとって吉騎手はどんな印象かな?」
俺の問いに石田君は顎へ手をやり、うーんと悩む。
「面白い近所のおじさん……? 騎乗スタイルが綺麗なのは知ってますけど」
「んふふ……。それが吉騎手の凄いところだよ」
頭の上に疑問符を浮かべる石田君。俺はそんな彼の額をちょんちょんと突いて続ける。
「今、君は競馬のことを考えて、少しでも悪いイメージが湧いたかい?」
「……? 競馬は博打ですけどスポーツでもありますから、別にマイナスなイメージはそこまで」
「それだよ。新人の頃から頭角を現した吉騎手は積極的にマスメディアに露出して、当時の競馬に纏わりついていたアングラな暗い雰囲気を変えたんだ。実際、彼のおかげで女性ファンがかなり増えた」
もっとも、みんなのアイドルである葦毛の怪物ブームとの相乗効果も大いにあるんだけどね。それでも彼のマスメディアの前に出て競馬をライト層に広める活動は誰にも真似できない行動だ。
「ようは吉騎手は今の競馬の健全なスポーツ観の土台を作った第一人者ってことだね」
「牛丼の注文の仕方がわからないおじさんじゃなかったんだ」
やめてあげなさい。
「戦績も中央でぶっちぎりだしね。アンタッチャブルレコードも多いんだよ」
「でもこのまえ凱旋門笑してましたよ?」
「え、なに? もしかして石田君って吉騎手のこと嫌いなの?」
あたり強すぎない?
「いつもシミュレータールームで泣かされてるので恨み言が滲みでるのかもしれません」
「本来は光栄なことなんだけどなぁ」
「鈴鹿さんは満面の笑みで大差勝ちする吉さんを見ないからそんなことが言えるんですよ」
「あの人の大人げのなさは知ってるよ」
俺は吉騎手から閑散期の暇なときにゴルフへ誘われたことがある。あの人も上手いんだけど、俺はぶっ飛んだ膂力があるんでワンラウンド回ると絶対に打数差がついちゃうもんだから相当悔しがられ、それから毎週のようにリベンジされたからなぁ。
「まぁ、あれだけ勝敗にこだわるからこそ強いんだろうね」
「そこは見習いますけど……ってそんなことはどうでもいいんです。海外競馬と日本競馬の違いを訊かせてください」
吉騎手が面白おじさんからそんなことおじさんになっちゃった。酒の席のつまみにしてやろうか。
「話は大分それたけど……競馬のシーズンについてだったね」
「そうです。海外はシーズンオフがあるんですね?」
俺はこくりと頷く。
「イギリスなどのヨーロッパ主要国は三月から十一月が平地のシーズン。それ以外は障害重賞が行われるよ。もっとも、イギリスのグランドナショナルなんかは四月開催だから平地にシーズンオフがあると考えたほうがいいかも知れないね」
「グランドナショナル、ですか?」
「簡単に言うと、世界最高峰の障害レース。中山大障害のモデルになったレースだね」
それを言い出すと日本競馬のレースモデルはだいたいイギリス競馬が元だが。
「へぇー……日本馬がグランドナショナルを勝ったことがあるんですか?」
「ないよ。というより挑戦したのが一頭だけだしね」
「……一頭だけですか?」
「うん。二百回近い歴史の中で一頭だけ」
苦労の割に賞金も安く、完走率も決して高くない障害走を走らせるのはよっぽどの物好きだ。普通の馬主なら素直に中山グランドジャンプや大障害を狙う。一着賞金は五十万ポンドだが、日本円に直すと九千八百万円。遠征費で三千万は飛ぶのでどう考えても割に合わないのだ。
「なんで凱旋門賞みたいに積極的に狙いに行かないんですか?」
「あー……障害馬って騙馬にすることが多いんだよね。暴れると危ないからさ。だから勝利で箔付けしたところで種牡馬にはなれないんだ。だから積極的なる人が少ないってところかな」
なんせ、牡馬が勝ったのは八十年以上も前のことだ。それ以後は騙馬しか勝っていない。
「また話がそれたね。結局のところ、日本みたいに通年平地競走があるのは珍しい、これだけは理解しておくべきだよ」
「はい」
「遠回りしたけど、本来の質問である集中開催を何故やるか。その疑問に答えようか」
ニシシと笑って、俺はデデンとクイズ番組でよく流れる出題時の効果音を口にする。
「主に八月中旬ごろに行われる四十九代表四十八試合制の全国の高校生たちがしのぎを削る野球大会とはなんでしょう?」
「夏の甲子園!」
勢いよく答えた石田君に拍手を送る。そして、それが答えだと伝えた。
「甲子園が答え……?」
「甲子園でなくとも、例えばワールドカップ、スーパーボウルに置き換えてもいい。一つのスポーツの試合が同日に集中する、それはとても経済効果を生むものなんだよ」
「……なるほど。掛け金が集まらないと事業としては失敗だから、ですか」
「その通り。ブリーダーズカップの生み出し集中開催、フェスティバル開催ともいうんだけど、これは競馬界にとって一種のブレイクスルーとなってね。今では各国がこぞって真似しているよ」
「日本もですか?」
「地方はやってるね。中央はそんなことしなくても売り上げが上がる仕組みが出来上がってるからやってないし、やるつもりもないみたいだよ」
紙コップに注がれた白湯を飲みつつ、ノートを取る石田君を待つ。
書きたいことがまとまったのか、ある程度のところで石田君は筆を止めた。
「集中開催って世界にどれだけあるんですか?」
「……長くなるからちょっとホワイトボードに書きだそうかな」
俺はそういってホワイトボードを裏返し、別の面を出してフェスティバル開催のイベントを注釈付きで書き込んでいく。
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