羅田ライジング
リドルの三冠を賭けた菊花賞。2歳新馬、札幌2歳ステークス、ホープフルステークス、共同通信杯、皐月賞、東京優駿、主戦は足立騎手で六戦全勝。菊花賞でなく秋の天皇賞に出走すれば一番人気が貰えるのは確実であろうほどに、リドルは今年を代表する馬になった。
たらればはともかく、海老原のオッサンが過程はアレでも凱旋門賞を獲ったという事実に羅田さんは燃えている。詳しく言うなら絶対に三冠は逃さないと奮起しているのだ。まぁ、彼が頑張るのは結構なことだが、無理が来るのは実際に出走するリドルなわけで……足立さんと厩務員の韮澤さんからSOSがとんできた。内容は羅田先生が気負いすぎているので落ち着かせてほしい。正直、俺の仕事じゃなくないかと思ったが、海老原のオッサンに言われるのは逆効果になりかねないし、一度彼を叱った実績のある俺に頼むのが丸いと二人は判断したのだろう。
そんなわけで、栗東のトレーニングセンターまでやってきたのだが。
「鈴鹿社長、サインよろしいですか? あ、あと写真も是非」
「ここへはリドルの最終調整を見守りに?」
「中山大障害では女王陛下のロドピスが出走されるようですが、その日は陛下のお傍にずっと居られるのでしょうか?」
普段取材をする機会が少ないせいか、調教を取材していた様々な記者たちから来るわ来るわ質問の山。時間もあるし割と丁寧に答えていたが、記者が減るどころか増える始末。流石に疲れてきたなと言ったところで異変を感じたトレセンの職員が俺を逃がしてくれ、トレセンの事務室でお茶をご馳走になることに。
「お疲れさまでした鈴鹿オーナー、粗茶ですが」
「どうも……いやぁ、酷い目に遭いました」
「無敗の三冠目前に凱旋門賞馬、その馬を生産した牧場のオーナーが目の前にいたら取材しますよ、そりゃ」
「ふう……次からは広報助手君を連れてきて盾にしよう」
「ひっどいなぁオーナーは。羅田厩舎には連絡したんで、落ち着いたら裏口からどうぞ。表はまだ数人張ってると思うんで」
「心遣い痛み入ります」
職員さんの手引きで記者たちから逃走した俺は、事務所から少し離れた場所にある羅田厩舎の事務室に滑り込む。そこでは休憩する足立騎手と調教助手の方がお茶を飲んでいた。時刻は午後二時、調教が終わり騎手の仕事がなくなったので一服していたのであろう。
「どもども」
「お疲れ様です鈴鹿さん。羅田先生はリドルのところですよ」
「あいあい、じゃあちょっとお邪魔してこようかな」
「よろしくお願いします。見て頂ければ、感じ取ってもらえると思います」
二人はわざわざ起立して俺に頭を下げる。なんだか想像以上に不味いことになっているようだ。
◇
羅田厩舎の中に入ると、割と見つけやすいところに韮澤さんと羅田さんがいて、スケジュール確認だろうか、バインダーを片手になにやら打ち合わせをしていた。せっかくだし驚かせてやるかとコッソリ羅田さんの背後に立ち、
「羅田先生」
と、耳打ちをする。その言葉に羅田さんはまるでギャグマンガのように垂直にぴょんと飛び上がる。そして、その姿を見た俺も同様に飛び上がりそうになった。
ないのだ。羅田さんの溜めに溜めた腹に溜まった中性脂肪が!
「ど、どっどどどどうどどどうどどどう」
「鈴鹿さん落ち着いてください! 風の又三郎みたいになってます!」
あまりの衝撃的な映像に脳が理解を拒否したため、深刻なエラーが口から漏れ出てしまった。バグってしまった俺を韮澤さんのツッコミが正気に戻してくれた。
「こりゃまた、足立騎手が心配するわけですよ」
少なくとも俺は心から納得した。
「あぁ、やはり彼が連絡したのですね……大丈夫ですよ鈴鹿さん。別に気負ってなんかはいません、むしろ負けが九割だと腹に据えると心にゆとりができまして。ちょっとした願掛けでもしてみようかと思ったら思いのほか上手くいってしまって」
「……あー、いいたいことはわかりますよ。できないことをやったからリドルも不可能を可能にできるってことですね?」
「はい、もともとメタボで医者からも怒られていましたので。ダイエットに挑戦してみたら四十日で十五キロも瘦せてしまいました」
すっごい健康に悪そうなダイエットだ。だが、不思議と顔色は悪くない。
「その願掛けの成果はどうですか?」
「勝ちますよ」
彼は以前の羅田さんからは絶対に聞けない言葉を口にした。目の奥には絶対的な自信が見て取れる。
「リドルは三冠の器です。足立君の三冠も、厩舎のクラシックコンプリートも、彼がもぎとってきてくれます」
確かに、身内から見れば危うい勢いに感じるかもしれない。だが、勝負師としての俺の勘が、信用していいと告げている。
……なんだか、ほっとした。崩れそうな砂上の楼閣のような精神状態かと思えば、なかなかどうして、であったころとは全く別の勝負をかけられる調教師になられたもんだ。
「……打ち上げ会場は『伝説』を押さえておきます。お腹、空かせて来てくださいね」
背を向けて厩舎から退出する俺の背中に、羅田さんがずっと頭を下げている気配を感じながら、俺はトレセンをあとにしたのだった。
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