凱旋門賞前

 ――フランス、パリロンシャン競馬場厩舎。本日のメインレースである凱旋門賞を控え、日本からの挑戦者である海老原厩舎の面々は色めき立っていた。


「吉、やっぱりレースの時間帯は小雨が降る。気をつけて乗るようにな」

「案の定ですか……わかりました。まぁ、任せてくださいよ」


 海老原が微妙に震える指でスマートフォンを操作しながら天気予報を見て、小雨であることを確認する。それを吉に伝えると、吉は困った笑いを浮かべて自信満々に海老原へ後は任せろと言う。


「予定通りショートはお前、エミューズはデニーロの弟が乗ってくれる。エミューズの蹄鉄も打ち換えた、二頭とも洋芝でもそんなに接地面のフィッテングが変わらずに怖がらない……はずだ」

「フィーリングなんですね、そこは」

「うるせぇ! 日本でヘラヘラしてる競馬オバケと入場の腕を信じれば合ってるはずなんだよ!」


 鈴鹿が聞けば「オバケ扱いは酷い」と憤慨しそうな会話であるが、二人は一瞬間をおいてどちらともなく笑い出す。


「……思えば遠くへ来たもんだ」

「アナタは去年も遠征したでしょうに」

「……去年は本当に来ただけだったんだよ。競技者として初めての凱旋門賞に怯えて、テンパって、アホみたいなミスをしてショートを敗けに導いた」


 海老原はそういうとへっ、と鼻を鳴らし、スッと吉を見つめて。


「だが、今年違う」

「ホントにでござるか~?」

「お前なんか鈴鹿のアンちゃんに煽りが似てきたぞ」

「うそでしょ!?」


 最悪だよ、とブツクサ言いながら吉は頭を抱える。その光景に溜飲が下がったのか、海老原はゲラゲラと大きな口を開けて笑う。その声に反応し、ヒョコッと馬房から首を出したオウカショートの首を海老原は撫でつつ、


「ショート、ここがお前の正念場だ……勝ってこい」


 そういって、顔をショートの首に擦りつけた。





「深夜に食べるポテトは最高だぜ」

「ちょっと、アタシも食べたくなるから離れなさいよ」


 尾根さんの言葉に、俺は無言で彼女にポテトの入った籠を近づける。


「やめなさいって」

「ジョージィ……夜遅い時間に食事をとると、食事からとったエネルギーが消費されにくいので、余分なエネルギーは体脂肪として蓄積されやすくなるぞぉ…… 最近の遺伝子レベルの研究からも夜遅く食べると太りやすいことが実証されているんだぁ……」

「ジョージって誰よ」

「排水溝で待機してるピエロに色々オススメされて沼に沈められる黄色いカッパ着た男の子」

「え、本当にわかんないんだけど。こわ」


 古の映画ゆえ致し方なし。そんなわけで、俺と尾根さんは二十三時過ぎから始まる凱旋門賞に備えて、牧場の巨大スクリーンの前で待機しているのである。大塚さんは飼い犬の三頭を散歩に連れがてら来るので遅れるし、柴田さんはスターホースのマスターに用意してもらっているコーヒーを取りに行ってもらっているのでまだここに来ていない。他の厩務員たちも馬の監視で詰めていたりしてほぼ不参加である。ぶっちゃけ各々の家にあるテレビでよくねって感じだが、まぁ、年一の最強決定戦だしとりあえず集まることになっているのだ。


「で、今回はショート勝てそうなの?」

「もちろん、勝ち負けを狙えるポテンシャルはありますよ。吉騎手もシミュレーターで競馬場の感覚を何度も確認してたので地元騎手と比べても遜色ないはずですしね」

「……本音は?」

「マジで雨降ってるからガン有利で笑う」


 海老原のおっさん、蹄鉄を決め打って専用のものにして過不足なく凱旋門賞狙いにしてるからな。蹄鉄って二週間から三週間は打ち換えないのが普通だし。


「去年は勝負に負けたから今年は勝利の女神を連れてきたっていうのが海老原さんらしいですな。競馬はひとりでするもんじゃないって分かってる」

「結局運任せじゃないの……」

「エミューズですよ? 雨が降るに決まってるじゃないですか」

「本馬に聞かれたら噛みつかれそうね」


 エミューズって雨降ってるときは機嫌悪いからなぁ。


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