居酒屋での一席
桜花島の高校生三羽ガラスの第一次試験も通ったので、今後のスケジュールを大塚さんと確認する。居酒屋で。
「今年残ってる大きなイベントは凱旋門に菊花賞、マイルチャンピオンシップと有馬にブリーダーズカップかぁ」
「中山大障害と引退セレモニーを忘れないでください」
「忘れてないよ、口にしたくないだけ」
「なお悪いです」
大塚さんはカシスオレンジをゴキュゴキュと景気のいい音を立てて嚥下し、できたての山芋鉄板を木匙で小皿に取り分けて口に運ぶ。ちなみにお会計は既に万を超えている、相変わらず見事なまでの健啖家だぜ。
「あと、競馬学校の二次試験もありますよ。一次通ってみんな合格みたいな雰囲気出してるんですから、もう……」
「あぁ、既に合格したつもりだった……実際、もう合格したもんだと思うけどね」
なにせ二次試験に勉学は関係ない。体重測定、健康診断、運動機能検査、騎乗適性検査、性格適性検査、本人面接、そして保護者面接だ。面接以外は現役騎手たちお墨付きだし、面接も大塚面接官の鬼指導で見られるようにはなっている。変な悪意でも働かない限り大丈夫だろう。
「ほい、お待ち。からすみと塩イクラ揚げ出し豆腐と魚のあら煮ね。頑張ってる沙也加ちゃんには刺身の盛り合わせをサービスだ」
「わぁ、ありがとうございます」
「気をつけなよ大塚さん、下心ありありだ」
「ひでぇぜ静ちゃん」
『伝説』のおやじさんと顔を見合わせてがははと笑う。平日の夜だからかお客は少ないのでおやじさんと馬鹿話をする余裕があるのだ。テーブルに料理皿を置いて、おやじさんはついでとばかりに上がり座敷の縁に腰掛けて語りかけてくる。
「聞いたぜ、あの子たち合格したんだってな。水くせぇぜ、今度は連れてきなよ。いい魚仕入れて祝っちゃるぜ」
「いいですねぇ。凱旋門賞やらなにやらが終わったら盛大にパーッとここでお祝いしますか」
「そんときゃ貸し切り……いや、公民館使って島のみんなで宴会だな!」
「そこまで大きくするなら経費から費用出しますよ。な・ぜ・か、その手の予算が余っているので」
「誰のせいやろなぁ」
俺なんだけどね。やめて大塚さん、刺すような視線が辛い。領収書めんどくさいからって手出しにしてるのは悪いってわかってるから!
と、そんな風に大塚さんの視線をお盆で遮っていると、店の入り口がガラガラと音を立てて開き、尾根さんが店の中に入ってくる。尾根さんはお盆ガードをしている俺と身を乗り出してそれを見つめ続ける大塚さんを見つけると心底あほくさそうな表情で、
「アンタら何してんの」
といって、大塚さんの隣に着席した。
「静ちゃんの金癖が悪いって沙也加ちゃんが怒ってるとこだよ」
「あぁ……おやじさん生ひとつね」
あいよーっと威勢のいい声をあげておやじさんは厨房へ戻っていき、尾根さんは俺からお盆をヒョイと取り上げる。
「真面目な話よ」
「うぃ」
どこか濁った眼の尾根さんが俺の手をつけていない水を飲み、滑るように言葉を紡ぎだす。
「あの子、妊娠したみたいなのよ」
「どの子ですか」
条件的に尾根さんの相方の獣医師だろうけど。それ以外の妊娠できる女性の中で尾根さんがあの子呼びするのは音花ちゃんとほむらちゃんしかいないからアウトだし。
「うちの経済動物担当よ、結婚して休みの度にいちゃわちゃしてたらできちゃったみたいでねぇ。産休育休を取りたいみたいなのよ。そもそもリスクが高すぎで妊娠してるのに動物の面倒なんて見させられないし」
動物から人に感染する病もあるから産休は必須だわね。となると……
「尾根さんがワンマンに逆戻りですか、ご愁傷様です」
「殺すわよ」
やめて、フォークをこちらに向けないで。大塚さん助けて……寝とるやんけ!
「で、つまるところ俺に代役の獣医師をスカウトして来いと」
「当たり前よね、このままだとアタシが過労で死んじゃうわ。あと四か月ぐらいは大丈夫だろうけど、さっさと行動しないとあっという間に日にちなんて過ぎるわよ」
「アイ、マム」
とはいえ、俺も伝手がないんだよなぁ……どうしたもんかね。
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