そこのお前! 鞭一発に込められる威力は鞭一発分だぜ!
――吉騎手の駆るオウカショートがハナ差でパリロンシャンのゴールを駆け抜ける。会場では大きく湧いているが、俺の心境は穏やかでない。
「なぁにこれぇ」
「目を覆いたくなるレースですね……」
「これが世界最高峰のレースか?」
俺と柴田さんは巨大スクリーンの前でパイプ椅子に腰掛けながらたった今終了した凱旋門賞の結果に強く肩を落とす。そんな俺たちのさまを見て、尾根さんと大塚さんは疑問に思ったのか、俺になにが起こったのかを問いただす。
「ちょっと、なにが悪かったのよ」
「ショートが一着だったじゃないですか! もっと喜びましょうよ」
状況が分かっていない彼女たちに、ニヘラと何とも言えない笑みをむけて、
「はい、たったいま凱旋門賞が終了しました。決勝線に一番にたどり着いたのは順にオウカショート、ロマンスブレンダ、スルートゥビィル、マルベクトリディ、そしてサンブルエミューズ。ここまではいいですね?」
「そりゃ見てたんだから分かってるわよ。だから、ショートが凱旋門賞馬ってことでしょ」
「ノンノン。結果から言うと、凱旋門賞馬はサンブルエミューズになりました。はい、ここ笑えるけど笑えないところね」
そう軽口を飛ばす。そんな俺の態度が理解できないのか、尾根さんは腕を組んで指をトントンとしながらイラついた態度で俺に聞く。
「なんでエミューズなのよ。一着はショートでしょうが」
「はい、一着に入線したのはショートですね。ですが、上から四頭は失格なんですわ」
はははと乾いた笑い声を出しながらアイスコーヒーを啜る。スターホースのマスターの水だしコーヒーはいつ飲んでもうまいな。
「失格?」
「尾根さん、フランスでは鞭を九回以上振るうと即失格なんです。上位四頭は最後の叩き合いで鞭振りすぎです、先行策で抜き出たエミューズが回数ギリギリで一着になります」
「はぁ!? なんでそんな回数決まってんのよ!」
「動物愛護の観点からですね」
「馬の肌ならあんな鞭ぺしぺしされたところで痛かないわよ!」
「ほーっすね」
なんちて。やめて、小粋なギャグじゃん。尾根さん人殺せそうな視線はやめて。
「去勢するわよ」
「タマじゃなくて玉を狙って来るのやめません?」
あと大塚さん、去勢したダーレーの股間を見ないの。
「はぁ……つまり、凱旋門賞馬はエミューズってこと?」
「はい、そのとおりです。いやぁ、しまりませんねぇ」
俺がケラケラと笑っていると、スマホに着電。かけてきているのは海老原のオッサンである。
「もしもし」
『……あー、俺だ。海老原だ』
「煮え切らない凱旋門賞勝利を貰った海老原先生こんばんわぁ!」
『お前帰ったら覚えてろよ!?』
ケラケラがゲラゲラになるほどに爆笑する俺に対し、海老原のオッサンは大きく息を吐いて言う。
『それを知ってるってことはそっちで観戦してたんだな』
「もちろん。最終直線で鞭ブンブンしてる上位四頭の騎手もバッチしです」
『……はぁ、明日の朝刊がこえぇよ。まぁ、知ってのとおりだろうが、エミューズが凱旋門賞馬になった。市古のアンちゃんがクラブのサイトに当歳馬の頃から今までの記録映像を編集して載せるから映像用意しておいてほしいってよ』
「はいはーい、クラブのクラウドに置いときますわ……ん? 市古さんもフランスにいるんですよね?」
『過怠金一万ユーロのクソバカやろうを慰めてて手が離せん』
「……あぁー。しゃあなしですね、身から出た錆です」
一万ユーロってことは百七十万ぐらい、吉騎手の財布ならそこまで痛手じゃないかな。凱旋門賞制覇を逃した方が心に来てそうだ。笑える。
『とにかく、これで桜花牧場は凱旋門賞馬を産出した国内唯一の牧場だ。おめでとう!』
「いやはや、どうもどうも。そちらも気をつけて帰国してくださいね」
『おう、じゃあ飲み会の準備頼んだぜ。はははっ』
明らかにカラ元気の笑いを最後に通話が切れる。俺は室内にいる柴田さん、尾根さん、大塚さんを見回して、一言。
「じゃ、解散ってことで」
なんとも喜びきれない凱旋門賞であった。
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