正座

「正座」

「はい……」


 明くる月曜。中央競馬において休みとされるその日の朝、足立騎手は両手いっぱいのお土産を引っ提げて桜花牧場の事務所を訪れた。

 体面上、彼が口を滑らせた件に関して、しょうがないねと笑って流すことはできないので尾根さんを召喚し、俺と尾根さんの二人で足立騎手と応接室でお話をしようと思っていたら、激おこ尾根さんが有無を言わさずに足立騎手に正座を言い渡した。足立騎手も反抗せず静かにフローリングの上で正座をする。


「アンタの発言で桜花牧場がどんだけ迷惑かかってるかわかってる?」

「はい……大変申し訳ないです」

「仕事じゃなくて問い合わせで回線パンクしたから電話線引っこ抜いたのよ」

「はい……」

「で、どうしてあんなこと言っちゃったの」

「嬉しすぎて、何も考えてなくて……」

「ふーん。アンタ、嬉しくなりすぎると喋っちゃいけない秘密まで口滑らすのね」

「いや、そんなことは」

「あるのよね?」

「……はい」


 こわっ。コンコンと詰めていくじゃん尾根さん。いつもの冗談半分みたいな雰囲気じゃなくて本気で怒っているからなぁ、俺はしょうがないかで許すつもりだったんだけど尾根さんがなあなあで済ますのは示しがつかないって譲らないんだ。確かに、面倒ごとは増えたが目くじらを立てて殺す勢いで怒るほどでもないだろうに。


「まぁまぁ、尾根さんも少し落ち着いて。足立騎手も反省しているようですし」

「うるさい! あまあまちょろちょろ鈴鹿静時は黙ってなさい!」


 ひでぇ言いぐさである。


「わかってないから言っておくけどね、これは信用問題なの。夢を諦めきれない足立を憐れんでアンタが秘匿しとくべき技術を用いて治療を施した。秘密を条件にしてね。その信頼をコイツは破ったの! それも不特定多数が見ている前で! 本来なら出禁の上で絶縁されても致し方ない暴挙よ。アンタも理解できているでしょう?」

「そうですねぇ」

「軽いっての!」


 地団駄を踏んで憤慨する尾根さんを俺はじっと見つめる。尾根さんは様子が違う俺を不審に思ったのか、憤りを隠すことなく一言、なによと呟く。


「尾根さん、もういいでしょうや。足立騎手も反省している、俺も思うところがないわけではないですが、代わりに尾根さんが怒ってくださったのでね」

「でも!」

「尾根静香!」


 なおも反論しようとする尾根さんに一喝。俺の腹からの発声に空間はビリビリと震えて、部屋の中は静寂で満たされる。


「もうやめにしましょう」

「……」

「尾根さんが俺のために真剣に怒ってくれていることは理解しています。ですが過ぎたる怒りは溝を作ります」

「……」

「もう、やめにしましょう」

「……っち、しょうがないわね」


 尾根さんは前髪をさぁっと掻き上げ、一つ舌打ちをして足立騎手にデコピンをして退室した。自分の城に帰るのだろう。

 二人で残された俺は酷く後悔をした表情をしている足立騎手に、ふっと笑いかける。


「足立騎手、足も痺れたでしょう。楽にしてください」

「……鈴鹿さん、この度はどのようにお詫びすればいいか」


 俺の言葉を聞き入れず、足立騎手は正座から頭を深く下げて土下座をする。その姿に俺はふぅと軽く息を吐き。


「アナタのしたことは信頼関係を裏切ることです。これはご承知ですね」

「はい」

「なので、失った信頼をこれから取り戻してください。先だっては、ウチの若いジョッキー候補生に稽古でもつけてもらいましょうか」

「……はい! ありがとうございます!」


 涙ながらに感謝を述べる足立騎手。きっとここまで来るのに申し訳なさと不甲斐なさで胸中が一杯だったに違いない。故意にやったわけでもなし、もうこれ以上攻めるのは無しだ。


「ところで」

「どうしました?」

「治療の相談をしたいという連絡が鬼のようにかかってくるのですが、私はどうしたらよいのでしょうか」

「それは自分でどうにかしてください……」


 俺だってどうしようかと悩んでいるのだ。


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