曳き運動の重要性
「はい、こちら桜花島専属獣医さんの尾根さんです」
「よろしく。最近無理やり誘われた婚活パーティーで油顔のクソ親父にセクハラされて反射的にリストを外した尾根静香です」
それを笑ってドロップキックくらった鈴鹿静時です。
フィードマンルームから移動した俺たちは桜花牧場最重要拠点の医務室にやってきていた。本物の獣医さんを前にして鈴木さんのやる気が天元突破している。なんならメモ帳を既に準備している。
「牧場の獣医師の仕事についてお聞きしたいのですが!」
「うわ、テンション高いわねアンタ。今は暇だからそう齧りついてこなくても答えてあげるわよ」
おお、鈴木さんの目がとても輝いている。
「鈴やんがこんなにハキハキしてるの初めて見た」
「いっつもネットリと参考書読んでるのにね」
学友の評価散々だよ鈴木さん。あ、全然聞いてないわ。細かい質問をめっちゃ尾根さんにしてる。グループでの校外学習のはずなんだけど周り置いてけぼりだわ。
「あの、すみません鈴鹿さん」
「なんだい石田君」
「牧場での獣医師さんって動物病院の獣医師さんと仕事内容って違うんですか?」
あー、尾根さんと鈴木さんが獣医学に関しての専門的な話をレスバトルしてるから、生徒たちが困って俺に質問してきたじゃないか。
仕方がない、俺が答えるしかないよな、これ。
「動物の治療をするって点は一緒だけど、違う部分も多いね。例えば、診る動物の範囲が違う」
「え? 牧場の獣医さんって猫とか犬とか診てくれないんですか?」
JK三人組の一人、名前は割場さんだったかな。彼女が極めて純粋な疑問をぶつけてきた。他の生徒たちもそうなのって顔してるな。
「診ることもあるんだけどね。基本的には大動物、つまり経済動物・産業動物のことだね。彼を優先的に診察するのが牧場の獣医さんの大きな仕事さ。
それに加えて動物保健衛生、畜産業発展、公衆衛生向上に努めることが獣医師の義務ってところかな。まぁ、これは牧場経営者にも言えることだけどね」
「一気に難しいこと言われてもわかりません……」
「大和、鈴鹿さんの言ってることの難易度そうでもないぞ……」
石田君、ほむらちゃんにもっと言ってやって。
「あとは牧場の利益向上に貢献することも職務だったりするけど、これはウチには関係ないかな」
「そんなことまで獣医師さんが?」
「小さな牧場だと結構重要視されるよ。母牛一頭の生死一つで利益が随分変わるから、廃牛にするしないで悩む牧場も多いんだ」
牛の屠殺に踏み切れない牧場主に処分を勧めるのも仕事だったりする。これが、鈴木さんにも教えた、医者として殺す勇気。
「治すだけが仕事じゃないんだぁ」
「人間のお医者さんよりも仕事幅は広いかもしれないね。動物の問題も人間の問題も解決しないといけないから」
尾根さんと鈴木さんを除いた全員でうんうんと頷く。働くって大変だ。
「IPS細胞の培養が――――」
「でもそれは現実的な――――」
……二人とも戻ってこーい。場末の牧場でする議論じゃないぞそれ。
◇
時間も押してきたので、医務室を辞して厩務員業務見学に移る。鈴木さんが抵抗したが最終的にJKたちにハイホーハイホーされた。最近のJKって強いね。
頭絡に引綱をつけて曳き運動をする競走馬たちを柵の外から見学する俺たち。ありがたいことに、最近は有名オーナーからも馬を預けたいとお話をいただいている。おかげさまで牧場単体の経営は余裕の黒字だ。
「あの曳き運動って必要なんですか?」
石田君が俺に尋ねてくる。曳き運動は見ただけじゃ必要性はわからんよな。
「あれは体育の前のラジオ体操だよ」
「あぁ、馬にもそういうのあるんですね。こう、馬ってゼロからスプリントする感じのイメージでした」
「野生ならそれでいいんだけどね。曳き運動は歩様や調子を見るための意味もあるから、これから行う訓練に向けて必ずしないといけないんだよ。馬は喋ることができないから、俺たちが気づかないと重大な故障に繋がる可能性だってないとはいえない。重要さでいうなら本調教より曳き運動の方が重要だよ」
音花ちゃんとほむらちゃん以外の全員がへぇ、と感嘆の吐息をもらす。
競走馬育成って結構大変なんですのよ奥さん。
「社長!」
「呼ばれたからちょっと失礼するね」
柵を飛び越えて見学していた馬の奥で曳き運動をしていた競走馬に近づく。担当している厩務員に話を聞くと、歩様のリズムが崩れているとのことだ。
「挫跖かな」
「蹄に熱は持ってないですが、ちょっと痛がっているみたいですね」
「歩けそう?」
「ちと不安ですね」
「わかった」
胸にかけたストラップに繋がっている業務用スマホで尾根さんに発信。ワンコールで出た尾根さんに出動要請をする。
秒で行くと吐き捨てて電話を即切った尾根さんを頼もしく思いつつ、柵外で待っている生徒たちにおいでおいでと手招きして、一言。
「曳き運動の重要性、わかったかな?」
今度は生徒全員でコクリと頷いた。
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