鈴鹿の授業・後
「必要のない人間ねぇ……。何故君がその質問をしたか聞いても?」
石田君はこくりと頷いて、ぽつぽつと話始める。
「俺、野球部なんです。でも滅茶苦茶野球が下手で、バットを振っても打率一割、何処守っても一試合に一回はエラーするし。野球は好きなんですけど、高校野球って年功序列みたいなところあるじゃないですか? 俺より上手い一年がゴロゴロいるのに、俺が試合に出て出場枠一つ潰して、この高校の野球部のことを考えたら俺は必要のない人間どころか、邪魔な人間なんじゃないかなって……」
……重いって。激重じゃん。え、なに? 駆け込み小屋だと思われてるの俺?
とはいっても、彼は真剣に悩んで打ち明けてくれたみたいだし、どう諭したもんか……。
あぁ、彼の話をしようか。
「ねぇ、石田君。君は競馬の騎手で知っている人いるかな」
「え? はい、吉騎手は知ってます。あと雄田騎手とか沼付とか」
ツケさんだけ呼び捨ては笑っちゃうって。
不意打ちに笑いそうになるが、それを誤魔化し咳払いをする。
「うんうん、それじゃあ富士澤晴友って騎手を知っているかな」
教室全体を見渡すと、石田君と生徒たち、後ろで見守っている先生に広報助手君までが首を振って知らないとジェスチャーをした。いや、助手君は知っときなよ。
「富士澤騎手は現在四十五歳、主な勝鞍はアルターズアルシーの福島記念、関屋記念。通算勝利数は三百回。去年の勝利数は四回だった。年間に三四五六回のレースがある日本競馬においてだ。
どうだい、とてもいい成績だとは言えないね?」
「……富士澤さんが必要のない人間って言いたいんですか?」
「とんでもない。この中で彼について知っている人は私だけだった、つまり君たちの印象は彼のことを知らないで数字だけの印象になる。
でも、現実は全然そんなことはないんだよ。彼はジョッキーとして得難い資質を持っている」
ごほんと再び咳払いをして、石田君の目をじっと見つめながら俺は語り始める。
「まず、馬は生き物です。大人しい馬もいれば暴れ馬もいる。石田君は大人しいし強い馬、暴れるし言うこと聞かない馬、騎手だったらどっちに乗りたい?」
「……大人しいほうです」
「だよね、普通の人は九割九分九厘そう答えると思う。でも、そうやっていくと暴れ馬は騎手に選ばれないよね。その結果どうなると思うかな?
いや、これを答えてもらうのは意地悪かな。そう、レースに乗れない馬は登録抹消、引退になります。暴れ馬なら、芦毛なら去勢して誘導馬にしてもらえたらいいほうかな。」
それ以外の大体は……、あまり口にしたくないね。
「悲しいけど、彼らはレースをするために生産された馬たちです。レースをできないならば、石田君の言う『必要のない』馬になってしまいます。
だけど、一部を除いてそうなることはほとんどないんです。富士澤さんのおかげでね」
石田君が怪訝そうな表情をする。ただのジョッキーなのにって思ってんだろうなぁ。
「前述したように、上手いジョッキーには暴れ馬、業界用語では癖馬と言うのですが、は受けがよくありません。勝負根性があって気性が荒いのと単純に言うことを聞かない馬はまた別ですからね。
そして、上手いジョッキーたちには多くの騎乗依頼が舞い込んできます。良血馬、評価のいい馬、調教師のオススメ、そんな馬ばかりです。ただの暴れ馬なんて見向きもしません。
ですが、彼らがレースに出る権利がある以上、調教師は乗り手を探さないといけません。でも、暴れ馬と知れ渡っていて誰も乗ってくれない。困りますよね、調教師だってお仕事ですからどうにかして出走まではこぎつけなければいけない。
そんなときに調教師さんが依頼するのが富士澤さんなんです」
「どうしてですか?」
なんで助手君が聞いてくるんだよ。ほら、生徒たちがみんな君の方を見ているじゃないか。
「ごほん。富士澤さんは基本的に騎乗を断りません。彼が乗るから出走できる馬がいる。
まともに走れないような気性の馬をデビューさせるには富士澤さんのような騎手も不可欠なんです。
癖馬を嫌がらずに調教から乗り、馬主や調教師から誘われたゴルフに付き合っても乗せて貰える馬は人気薄の馬ばかり。本当に良い人ですよね。
はい、ここまでで彼の情報はあらかた出そろいました。
石田君、彼は競馬界において『必要のない人間』だと思いますか?」
ちなみに彼の出遅れ率は五割近い、それほどまでによくない馬に乗っているのだ。
「……いいえ。絶対にそんなことはないです。
富士澤さんは凄い人だと思います!」
「それじゃあ、これが質問の答えでいいかな?」
「はい、ありがとうございました!」
彼の生気の宿った表情を見て、俺はゆっくりと頷く。
競馬も野球もチーム競技。いらない人材なんて存在しないんだよね。
≪キーンコーンカーンコーン……≫
おっと、時間か。
「時間みたいだね。思ったより質問に答えられなくてごめんね」
「いえいえ、生徒たちにとって良い刺激となりました。起立! 鈴鹿先生に礼!」
担任の先生の号令で生徒たちが起立し、俺の向かって頭を下げる。
『ありがとうございました!』
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