鈴鹿の授業・前
「どうもどうも、いやぁ結構な生徒さんがいて緊張しちゃうねぇ」
授業本番、本鈴と共に俺に割り振られた二年生の教室に入室する。教室内には既に生徒たちが着席していて、俺が入室すると同時に視線を向けられたからちょっとビクッてなったよね。
教室内にいる生徒の数は三十人、教室の後ろには広報助手君と音花ちゃんとほむらちゃんの担任の先生が待機していてくれているので何か問題があれば止めてくれるだろう。
「さて、私の授業へようこそ皆さん。まずは自己紹介しますね。
私は鈴鹿静時、バラエティとかドラマとかに顔出してますけども、本質は福岡県沖の桜花島で牧場を経営している社長だったりします。
今日は皆さんに馬産について説明でもしようかと思ったんですけど……」
そこで生徒たちを見渡す。明らかに女子が多く、馬産のことなど興味がなさそうな子たちばかりだ。数少ない男子生徒は二人、片方はイガグリ頭で野球部然としたヘアスタイルだ。
「興味のある人は少なそうだし、質問に答えることにしようか。あ、年収とかはやめてね。事務員さんに怒られるから」
俺の小粋なジョークに教室が笑いに包まれる。なお、ジョークではないので俺と助手君だけは笑ってない。怒髪天大塚を見たことないものだけがこの場で笑えるのだ。
「それじゃあ、質問ある人。はい、一番後ろの眼鏡のお嬢さん。お名前からいただけるかな?」
「はい、鈴木です。私は獣医師を目指しているのですが、鈴鹿さんの牧場でも亡くなる馬はいらっしゃいますよね。彼らの死に対して牧場経営者としてどう向き合っていますか?」
……重くなぁい? 俺目当てで来たであろう女子なんて鈴木さんにドン引きしてるよ。
とはいえ、この質問は彼女が獣医師になるために必要な向き合いの心構えを聞きたいんだろうから、真面目に答えてあげるべきだろう。
「まず、私は医者じゃない。だから経営者としての答えしか言えないけどいいかな?」
「お願いします」
「うん、それじゃあ言わせてもらうね。前提として、私にとって命は平等じゃない」
眼鏡のお嬢さんが酷く悲しそうな顔をする。
「桜花牧場には、馬の競馬に関する経済動物と食品としての牛・豚・鶏の経済動物、ペットとしての犬と猫がいる。
ペットの犬猫は愛玩用だから甘やかすことばかりだね、ある種家族の延長線上にいるのが彼らだ。その対極にいるのが牛たちで、彼らに関してはおそらく病で死んだとしても私は数字でしか死をとらえることがないと思う。ここまではいいかな?」
すごく真面目な話をする俺に教室の空気が引き締まっているのを感じる。おかしいな、もうちょっとゆるく授業をするつもりだったんだが。
「そのペットと牛たちの間にいるのが馬たちなんだ。馬っていうのは簡単にお腹を壊すし、長距離輸送すればストレスでガリガリになったりする。とても繊細な生き物だ。
そのくせ、牛や豚みたいに直接的な利益を持ってこない、飼うにしても犬猫みたいにお手軽じゃない。正直言えば馬産なんてやるものじゃないよ。これだけは確実。
でもね、一つだけ言えるのは、彼らにしかできないことがあるってこと。お嬢さん、何かわかるかな」
鈴木さんは数瞬悩んだ後、かぶり振って「いいえ」と答えた。
俺はふぅ、と一つ息を吐いて。
「答えはね。人と人を繋ぐこと。
彼らはペットではないが食料でもない、戦うことで人々に娯楽を与える。娯楽って生存には必要がないけど生きるには必要だよね。
馬が命を賭して戦う、それが競馬。レース中に骨折して旅立つこともある、さっき言った通りに腹痛で急死することもある。でも彼らのそんな生き様がレースを通してエンターテインメントに昇華される。不思議でしょ? 見ず知らずの人たちがサラブレッド一頭の様子一つで何時間も語り合えるんだ。
だから、質問に答えると、ペットが死ぬのはとても悲しい、経済動物が死ぬのは仕方がない、馬たちが死ぬのは生き様を語られることで割り切れる。これが答えだよ。
なにか、参考になったかな?」
鈴木さんに向けて、ニコニコと笑う。そういえば、俺のスタンスについて人に話したのは初めてかも。
「はい、ありがとうございました。最後に一ついいですか?」
「どうぞどうぞ、スッキリして帰ってもらわないとね」
「鈴鹿さんが思う、獣医師の最低条件って何ですか?」
俺は彼女の言葉に目を瞑り、スッと開いて一言。
「患者を殺せるかどうかだよ。助けられない命をキチンと旅立たせてあげられるかどうかが医師であるかどうかのラインだと俺は思ってる」
鈴木さんは震える声でありがとうございましたと言って着席した。
「さぁ、次に質問したい人はいるかな?」
空気に飲まれたのか、誰も挙手をしなかったが、少し経ってイガグリ頭の暫定野球部の男子が恐る恐る手を挙げた。
「はい、お名前と質問どうぞ」
「……石田です。鈴鹿さんは必要のない人間っていると思いますか?」
うーん、また重い質問が来たぞぉ……。
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