ジンクスさえ利用する

「いやはや、酷い雨ですねぇ」


「ここまでくると呪いだ。頼むから桜花賞の日は晴れてくれよぉ~……」


 滝のように降る豪雨はまるでサンブルエミューズに勝たせまいと立ちはだかる水の壁であった。

 海老原はその光景を眺めているだけで憂鬱になると、大きくかぶりを振って今回から乗り替わりの吉に向きなおる。


「吉、このまま大雨が降り続けば間違いなく重馬場だ。そうなるとサンブルの差し運用はかなり厳しい。花山に降りてもらったのもお前なら状況を読んで前に出られると判断したってのが大きい。

 責任重大だぞ、吉。このままチューリップから桜花は問題ないが、両方とも掲示板から落としちまうと最悪オークスはチケットさえ手に入らないことになるやもしれん」


「海老原先生ったら圧を掛けますねぇ。

 任せておいてくださいよ、チューリップの花束をエミューズにプレゼントして見せますから」


 相変わらずのビックマウスだ、と不敵に笑う吉に頭痛がしつつも、裏打ちされた実績に何も言えない海老原は腕を組んでしかめっ面をするしかない。伊達に現役唯一の五十代ダービージョッキーではないのだ。


「桜花牧場にとって大事な三連戦の緒戦だ。初っ端でコケるなんてのは恥だぜ」


「今日のチューリップ、日が変わるごろにサンタアニタで、明日は弥生賞ですからね。僕は桜花牧場が生産牧場のリーディングトップじゃないのがイマイチ納得いってませんよ、まったく」


「それだけは大手が絶対に譲れないんだろうよ。それ以外は味噌つけまくられてんだからよ。

 今年もショートが凱旋門に挑むかも知れないってんで確実に敵視してるからな……」


「僕は最近あっちから干されてるんであんまり関係ないんですけどね。露骨なアウト行為してくるような人たちじゃないから大丈夫でしょう。それに……」


 手を出してきても護り切るとんでも牧場主がいますし、そう続けて言おうとした言葉を飲み込む吉。吉の飲み込んだ言葉を理解したのか海老原も苦笑した。


「そういやお前に鞍上予約しといてくれって頼まれてたわ」


「誰からです?」


「市古のアンちゃんだ。エミューズが勝ち進めば凱旋門に登録するからよろしくだとよ。

 ショートに装蹄した去年の蹄鉄を使えばロンシャンの重馬場にも有利でいけるからな」


「はっはっはっ! 雨女を利用しようってんですか!? 面白い冗談ですね!」


 笑い飛ばす吉だったが、真顔の海老原に大バカ者を見る表情を浮かべた。


「正気ですか?」


「エミューズには良場の蹄鉄を装着する。エミューズなら洋芝と言えど軽い馬場なら勝てる可能性はある。

 遊びじゃねぇぞ、俺も市古のアンちゃんも凱旋門に勝つことを視野に入れてんだ。そのためなら雨女の力だって借りるさ」


 真剣なまなざしで自身を見つめて狂った発言をする海老原に、吉は狂気を感じた。

 競馬マンとはこれなのだ。勝つためなら、勝たせるためなら、名誉を勝ち取るためなら、なんだってする。最近感じていなかった背中に走る冷たい感覚を心地よく感じながら厩舎の外の天気を見やる。


 雨はまだまだ上がりそうにはなかった。



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