穏やかな三月末
牧場では種付けシーズンを前に穏やかな時間が流れている。
事前に海老原のオッサンには言っておいたが、クラブ馬は全頭クラシック戦線に挑むらしい。市古さんの判断に任せているが別に海外挑戦に行ってもいいと思うんだがなぁ。
そして、レジェンも種付けのためにアメリカに旅立ったので本格的に俺は暇になり、時間を持て余すようになった。
なので桜花牧場の名声を高めるための活動で、中央競馬の協会にある提案を携えてやってきたのだ。
「シミュレーターの配備ですか?」
「ええ、日本騎手の騎乗技術を底上げするためにリースという形での提案なんですが」
そう、以前より熱望されていたシミュレーターの貸出だ。栗東と美浦に九台ずつ、それぞれ配備するようにした。第二回レジェンドジョッキーレース開催したときにアプリがくれた報酬で余っているのを貸し出す形だ。
高価なものだし桜花島と違い窃盗の恐れがあるので、セキュリティの面を相談してからの決定となるが、協会の幹部も目の色を変えたのでおそらく契約は締結になるだろうな。
「リース代はこちらの大塚さんと相談してください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。早速ですが…」
革張りのソファでくつろぎながら交渉を眺めていると、別の幹部の人が俺と話したいことがあるとので大塚さんに一言言って退出して別の部屋へ。
一つ隣の部屋で安いパイプ椅子に座って、長机から身を乗り出して尋ねる。
「なにか悪いことでも」
「と、とんでもないですよ! まだ未確定なので人に聞かれたくなかっただけです!」
なんだぁ。八百長の相談してきたら腕挫十字固を決めてやろうと思ってたのに。
「実は中央競馬協会の育成馬の件で少しお願いしたいことがございまして」
「? またこれはレアな話ですね」
中央競馬育成馬とは、中央競馬の直属の牧場で育てられた競走馬のことで、多くが四月末に中山競馬場で行われるブリーズアップセールのセリにかけられる。
育成牧場は北海道と宮崎の二か所のはずだったが、それが急になぜ俺たちに?
「宮崎の育成牧場でも二十頭ほど育成してますが、ええ、今年のクラシック戦線が問題でして…」
「ああ…」
うちの馬が撫で切りしてるからな、中央としては来年以降もこうなると困るわけか。
「桜花牧場さんと契約させていただいて、中央傘下の牧場で生産した馬を育成していただきたいと思いまして。今回の相談に至ります。
無論お断りしていただいても一向に構いませんので、是非ともご一考をお願いします」
中央と契約すれば、俺たちが育成したその馬は中央育成馬扱いとなるので中央競馬協会としても面目が立つってことか。
子会社を立てて、別の枠組みとして運用するのもいいかもしれないな。
それに顔を立てておいた方が恩も売れるし、妻橋さんと大塚さんと尾根さんと相談するか。受け入れ五頭ほどなら尾根さんたち獣医師組の負担もそんなに増えないだろうしね。
「わかりました、牧場に戻って会議にかけます。おそらくOKになるでしょうが」
「おお! ありがとうございます!」
俺の両手を握ってぶんぶんと振る幹部の人を見て、部下ってのは大変だなと思うわ。
俺に挨拶をして幹部の人は退出したので、隣の部屋に戻る。大塚さんがお茶を飲んで見知らぬ女性の人と談笑をしていた。
「こんにちは。大塚さん交渉は終わった?」
「あ、おかえりなさい。交渉成立しました。こちらは調教師の餅原さんです」
「どうもどうも、お噂はかねがね。美浦の餅原です。所用でつまんない中央の本部に来たら面白い顔見つけちゃってつい話しかけちゃった。ごめんね社長さん」
うわ、海老原のオッサンと同じ匂いがする。
ゲームで言ったら、お茶らけてるけどクソ強い師匠タイプのおばさんだ!
「うふふ、実は桜花牧場と関りがあるのよ私」
「はぁ、それは一体どういう…」
「私ってノンバイプレイヤーの調教師なの」
なにィ? 確かノンの調教師は大槻調教師だったはず。少なくとも初戦はそうだったぞ。
「不思議でしょ? 実は三月末でノンバイプレイヤーを担当している大槻さんが勇退なさるので厩舎丸ごと私が吸収する形になるのよ。
まだ引退に関して記者発表してないから知らなかったでしょう?」
なるほど、螺子山さんも大槻さんの腰が悪いって言ってたな。
つーか、レアの仔馬を見に来た時に教えてくれよ螺子山さん! 君は知ってたでしょ!
「明日スポーツ紙に情報流すって言ってたから確かめてみるといいわよ。それじゃお邪魔したわね」
鼻歌を歌いながら退室する餅原さんに何も言えない俺。
大塚さんはこほんと咳払いをすると一言。
「社長と気が合いそうな方ですね。サプライズ好きで」
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