クラブ馬初戦・函館
八月の二週目の日曜日。俺たちは牧場の会議室、ぶっちゃけ会議小屋なんだが。そこに集まって新馬戦の様子をネット放送で見ていた。
新潟の第5レースにオウカファーストが、その後の第6レースにオウカセカンドが出走。函館の第5レースにオウカサードとオウカショートが出走する。
「こう、ドタバタと競馬場のチャンネルを切り替えているとうちの牧場も大きくなったなって感じますねぇ」
腕を組んでウンウン頷く山田君。確かにレジェン一頭しかいない牧場で芝を貼っていた頃が懐かしい。
「こんな大きな牧場にもそんな時代があったんですね」
「それはそうさ。どんな会社でもいきなり大きいなんてことはないよ」
炭酸水をストローで吸う音花ちゃんが不思議そうに言ってくる。
結構牧場が大きくなるの早かったからなー、外から見たらその手の感想になるよなとは思うが。
「そんなに小さな会社だったんならその頃の資金繰り大変そうですね」
「あー、うん。そうだね」
ほむらちゃんの言葉に思わず生返事。尾根さんゲラゲラ笑うな。
「資金はね、社長が馬券で補填するから困ったことはないのよ…」
大塚さんは死ぬほど嫌そうに言った後に頭抱えないで。
「資金源が不健全でしたよねー」
なにわろてんねん山田。お前の給料もそこからでとんのやぞ? 最初にアプリから貰った五十億は割とすぐ溶けたからな! 第二牧場とか酒造所の建設とかでよ!
「本当に真っ当な資金源が出来てよかったです…」
なんか大塚さん、犬たちをモフモフして顔埋めて吸ってるけど泣いてない? ねぇ。
「あ、発走しますよ」
冷静だね音花ちゃん。ローカル二場開催なので先に発走する函館を見てから新潟に切り替えっぱなしでいいな。
「落ち着いてますね」
ほむらちゃんが手元のオレンジジュースを飲みながら、つぶさに観察する。
確かにサードもショートも落ち着いて見える。海老原のオッサンも一流だから元の気性がいいとバッチリ仕上げてくれるなぁ。
「ゲートが開いた! オウカサードが絶好のスタートを切って距離を離していく! ショートは我関せずとばかりに落ち着いたペースで歩を進めて二番手に! 三番手以降は大きく離されています! 山田さんこれは!?」
「これが新馬戦の怖いところなんですよ」
お前が新馬戦のなにしってんねん。
ほむらちゃんもなんかキャラ違うよ?
「第二コーナーを回って逃げに走ったオウカサードは後続へ七馬身程度! 最後方とはもう判断がつかない程度には離れているぞ!」
「こりゃタイムオーバーかね」
「タイムオーバーですか?」
大塚さんと抱えた犬三頭が揃って首をかしげる。あら、かわいい。
「先頭の馬が決勝線へ到達したときに時間以内に入線できないと出走停止を食らうんだよ。新馬戦の2000メートルは六秒、つまり大体三十馬身くらいかな?」
「最後の馬はそれぐらいになりそうですね」
音花ちゃんがじっとモニターを見つめながら言う。
「悲しいかな2000メートルに出すには実力不足だね。勝ち上がりたいからマイルを避けたんだろうけど同じことを考える陣営もいるんだからあの陣営も運がないよ」
ふっとニヒルに笑いながらペットボトルの水の封を切る。
「ゴール! 一着はオウカショート!」
いかん、思わず噴き出しかけた。どうなったんだ?
「最終直線に入った瞬間にオウカショートが加速して一気にオウカサードを追い抜いたんです。クラシックディスタンス向きかも知れませんね」
音花ちゃんの方が俺よりもよう見とるわ。
「うーん、素晴らしいですねぇ」
「あのジョッキー鞭入れすぎじゃないです?」
山田君は自分の世界に入ってるし、ほむらちゃんは勝利騎手にめっちゃ文句言ってるし。
「とりあえず一勝したね」
「よかったです」
あの二人を相手にしたくないので音花ちゃんと頷き合っておく。
「社長」
「なんだい?」
険しい顔をして尾根さんが俺を呼ぶ。
「多分、オウカサードが跛行(歩きに支障が出ている状態)してるわ。電話確認して」
「あい分かった。ちょっと待っててくれ」
会議室から飛び出して市古さんに電話をかける。
『もしもし市古です、まずは一勝できましたね』
「うん、それよりもサードが跛行してるみたいだ。確認してくれるかい?」
『!? 承知しました! 確認して折り返します!』
「よろしくね」
電話を切り、会議室に戻る。
「市古さんに確認してもらってる」
「社長が直接確認するんじゃないの?」
「引退の選択権は彼に委ねているからね、俺が確認すると二度手間になる」
軽そうには見えたが屈腱炎や繋靭帯炎の可能性もある。もしもが起こるのが競馬だ。
「そんな、初戦なのに…」
「800メートルのレースでも事故が起こるのが競馬だよ、音花ちゃん」
さて、残りの二頭は怪我せずに走ってくれよな…。
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