出産ラッシュで人手不足

「だぁー! 人手が足りねぇ!」


「社長! リリカルエースが産気づきました!」


「すぐ行く!」


 ナツヒヨリの感動的勝利から一か月後の四月末。桜花牧場は戦場だった。

 新たにやってくるスタッフは五月一日から、その前に繁殖牝馬たちが全頭産気づいてしまい少数精鋭の我々は休む暇なくその対応に追われた。


 そもそも繁殖牝馬九頭、現役馬のレジェンがおり、38世代39世代がトータル十二頭の合計で二十二頭の世話がある状態で手のかかる仔馬の出産ラッシュだ。全頭の出産完了で管理馬は三十頭だ。牧場の管理能力のキャパシティを大きく超えている。現に俺は一か月間事務所で寝泊まりしているしな。

 こんな状態になったのには理由がある。どうにも気象の影響で四月にしては少々暑いらしく、五月中旬ぐらいになるだろうと尾根さんと見立てた出産予測は哀れにも前倒しになったのだ。

 クソ忙しいせいで家に帰る暇もない俺と尾根さんで一つしかない仮眠室のベッドを分け合って寝る羽目になるとは思わんかったわ。

 

「はいはーい! 花蓮ちゃんがお手伝いに来ましたよー」


「おぁああ! 牧島大明神、マジ神! 39世代の仔馬を見ているスタッフと交代して出産の補助に来るように伝えてくれ!」


「花蓮って呼んでくださいってば!」


 そういいつつダッシュで放牧地に駆け出してくれる牧島。天の助けだ、ありがてぇ!

 彼女を雇っているマスターの心遣いで、スタッフ補強までの間はバイトを休んでこちらの援護をしてくれるのは本当にありがたい。

 牧島とマスターにはとびっきりの礼をしないといかんな。


「社長! リリカルエースの子供は逆子よ! 最悪の場合は引っ張り出すから人手集めて!」


 分娩用の繁殖馬房から尾根さんが飛び出してきて俺に告げる。 マズいな、最悪死産だ。


「クソ! わかった! かき集めてくるから母子ともに死なすなよ!」


「アタシを誰だと思ってんのよ! 当たり前でしょうが!」


 ダッとその場を走りだす。本当に大変だよ!







ーーーーーーーーーーーーーーー





「死ぬ」


「ホントそれ…」


 厩務員休憩用のプレハブ小屋で背もたれのないスツールに座り、尾根さんと背中を合わせてぐったりする。

 リリカルエースは母子ともに健康で今のところ異常はない。マジ大変だったわ。


「とりあえず出産は後二頭だからさ、それ終わったら尾根さんは休み取ってくれよ」


「アンタもしっかり休みなさいよね…。死ぬわよ」


「今回ばかりはそうしようかな」


 もう体はボロボロだよ。


「社長いらっしゃいますか…。ボロボロですね」


 柴田さんが休憩室に入室してきた。


「柴田さん? 何かあった?」


「いえ、明日の新規スタッフの入社式の話をしようと思ったんですが…」


「ごめんね。大塚さんとイイ感じに進めといてくれる? 今は無理だわ」


「わかりました。我々が他のことを片づけとくのでゆっくりなさってください」


 苦笑いと共に柴田さんはプレハブ小屋から出ていった。


「柴田さんはタフだねぇ」


「流石に出産の補助やった後にケロっと別の仕事するのは体力馬鹿よ」


 それはそう。


「あー、唐揚げくいてぇ」


「いいわね、アタシも久しぶりに酒が飲みたいわ」


「人手不足で我慢を強いて悪いね」


 尾根さんは島唯一の獣医のためこの島に来てから酒を飲んでいない。


「いいわよ別に。自分で選んだ仕事だもの」


 背中を離し、向かい合って笑い合う俺と尾根さん。うちのスタッフは本当に優しいよ。


「さて、仔馬の健診に戻るわ。鈴鹿ももうちょっと頑張んなさい」


 グッグッと肩を回しながら退室する尾根さん。俺ももう一頑張りするかぁ。







ーーーーーーーーーーーーー





 カランカランと喫茶スターホースの入り口の鐘が鳴る。


「おいーっす…。マスター、コーヒーと生姜焼き定食お願い」


「はい、少々お待ちを」


 マスターは見るからに精魂尽き果てた尾根から今日一日の激闘を察し、素早くレモン水を提供して調理に入った。


「彼女はお役に立っていますか?」


「もちろんよ、元気に牧場走り回ってくれて助かるわ」


 牧島は足りないところに駆けつけて補助をしてくれるので、牧場関係者は彼女に大変感謝していた。


「それはよかったです」


 嬉しそうにコーヒーを注ぐマスターを眺めながら、尾根は心が豊かになった。忙しい中での癒しは擦れた心を人に戻してくれる。


「どうぞ」


「ありがとう」


 フーフーと冷ましながらゴクリと一口飲む。流石の味だと尾根は満足した。

 それを見届けてマスターは生姜焼きの調理の準備に入った。


「あー、そういえば五月末にマスターの出張料理を頼みたいんだけど」


「おや、私は構いませんが一体なぜです?」


「うちの牧場のVR装置があるじゃない? あれを使ってジョッキー集めてデモンストレーションやるって話なのよ。結構長尺取るからお昼ご飯を牧場で作ってほしいって鈴鹿が言ってたわ」


「ほうほう、わかりました。詳しいことが決まったらお教えください、微力ながらお手伝いさせていただきます」


「ありがと。ふぁぁああ…」


 約束も取り付けたことで安心したのか、カフェインを摂取しても拭えない強力な眠気に尾根は突然襲われる。


「お疲れのようですね」


「あー、ホント眠いわ…」


「少しお休みください。起きられたときに改めてお作りしますので」


「ごめんね…」


 マスターはカウンターに突っ伏し眠りについた尾根にそっとタオルケットをかけた。


「いやはや、部下と上司は似るものですねぇ」


 以前、鈴鹿も同じような事になってスターホースで眠っていたなと思い出すマスターであった。


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