自分で休みの余暇を潰せないタイプの鈴鹿

 五月に入り新人スタッフが入社してきて、俺たちの地獄は終わりを迎えた。

 新人スタッフと言っても同職から転職してきた人ばかりなので安心して仕事を任せられる。なので俺と尾根さんは周りからの勧めもあり、交代で三日間の長期休暇を取ることに。


 しかし、悲しいかな独身男性の休日など知れたもの。しかも俺には趣味がない。家にいてもすることがないのでどこかに出かけることにするか。


 とは言ってもだ。どこに行くかって話にもなる。牧場は毎日見てるし、ホースパークも人が入ってるから知名度のある俺が行くと騒ぎになって静かにキャンプしたい方々に迷惑になったりするだろう。ゴールデンウィークで人も多いしな。うーん。

 あ、電話だ。


「もしもし?」


「こんにちは社長。お時間よろしいですか?」


「もちろん、休みなのにやることなくて暇してたんです」


 電話の相手は食用家畜生産をメインにする第二牧場の牧場長である長頭さん。なにか問題発生か?


「それはちょうどよかったかもしれません。今朝早くに牛と豚を引っ張ってきたんでお手すきなら社長にこれからの意見を聞きたいなと思いまして」


「渡りに船ですね。今からそちらに向かいます」


 電話を切って、その後に気づく。第二牧場は桜花島の最西端にあり、俺の家がある桜花牧場は東よりだ。原付で行くには遠すぎる。ついでに補充用のアプリ産のやばい水とアプリ産のやばい飼い葉を持っていきたい。

 山田君を呼ぶか? いや、牧場関係者は新人研修で忙しいから負担をかけられないな。

 あ、今日は五月六日の月曜日。喫茶スターホースは夕方からの営業のはずだ。いっちょおねだりしてみるか。








ーーーーーーーーーーーーーー





 十数分後。桜花牧場の軽トラに乗ったマスターが俺の家の前に現れた。


「ありがとねマスター」


「いえいえ、店で使っている肉がどのように育てられているかも見ておきたかったので」


 スターホースの鶏肉は第二牧場から卸してるからな、居酒屋にも卸しているので味を知っている島民からは生肉で買わせてくれと要望が届いている。

 家の前に用意しておいた水と飼い葉を軽トラに積み込み、いざ出発。ここから四十分ぐらいかかるし、マスターが持ってきてくれたアイスコーヒーを飲みながら優雅に行こう。

 

「突然ですが、なぜ第二牧場に?」


「牛と豚が今日来たって連絡来たからさ、実験前の状態を見ておきたくてね」


「実験!?」


 あー、そういやマスターは知らんわな。


「今スターホースに卸している鶏肉と卵あるじゃん? あの鶏も実験の成果で美味しくなったんだよ」


「おおよそ牧場ではない、研究機関みたいなことしてらっしゃるんですね」


「内容的には貰った水を飲み水に変えてるだけなんだけどね」


 誇張も何もなくその通りである。


「凄い水があったものですね」


「馬の体調を一晩で治すほどだからねー」


「なるほど、優駿連覇の秘密はそれですか」


「あんまりいいふらかしちゃだめだよ」


 了解です。そういってマスターは少しアクセルを強く踏み、山道に入る。

 この荒れた道の揺れが酷いんだよな…。





「長頭さん、こんにちは」


「ようこそいらっしゃいました社長、それにマスターも」


「お邪魔しますね長頭さん」


「歓迎しますよ」


 はっはっは、と笑いながら畜舎のほうに歩いていく長頭さんの後ろを歩く。

 畜産業独特の匂いが香ってきた。


「まずは牛舎から」


 ガラガラと引き戸を開ける長頭さん。その音につられて牛たちがモーモーと鳴く。

 牛たちを見ると灰褐色の毛を持った、日本ではあまり見かけない品種だ。


「珍しい品種ですね」


「マスター知ってるの?」


「おそらくマリーグレーではないでしょうか。オーストラリアの品種です」


「流石ですな、大正解です。島に持ってくるのは和牛と悩みましたが、福岡にはブランド和牛があるので敢えてマリーグレーにしました。成長も早いですし」


「なるほどね、何頭いるの?」


「まずは二百ですね。豚は百頭です」


 結構いったな。手が足りるのか?


「人手は大丈夫なのですか?」


 お、マスターも同じことを考えたようだ。


「半オートメーション化してますからね。五十人体制で余裕があるほどですよ。社長たちと違って育成にかける手間がないですから」


「はえー…。羨ましい」


 おもわずボソリと本音が出た。マスターも長頭さんも苦笑いだ。


「実は先だって牛と豚を一頭ずつ連れてきてましてな。あの水と飼い葉を食べさせて育てたので後で実食しませんか?」


 重くなった場の雰囲気を変えるために長頭さんが良い提案をしてくれた。


「いいですね。私に腕を振るわせてください」


 マスターの腕なら美味しい食事ができるだろうな。お腹空いてきた。


「ははは…。社長もお腹が空いておられるようですし、さっさと他の畜舎を回って食事にしましょう!」





「うっま」


「これはこれは……」


「想像以上ですね」


 第二牧場の調理場でマスターが調理してくれたステーキは目が飛び出るほど美味しかった。

 マスターも驚きが隠せず、長頭さんも元の素材の上にプロの調理が加わった結果に非常に満足しているようだ。


「長頭さん、この牛に例の水と飼い葉を与えていた期間は?」


「四十八日ですね、それ以前はごく一般的な飼い葉と水を与えていました」


「大体一か月半でA5ランクに匹敵する肉になるとは……」


 マスターが絶句する。


「これは三人だけの秘密です。よろしいですね?」


「当然ですな。お手軽高級肉がポンポンと出荷できると知られるとなると相場を壊してしまいます。頑張っている畜産農家の邪魔はできません」


「同感です」


 秘密は胸の内に秘めておくことが決定したので、お肉に集中する。

 おいしー!


「この肉をホースパークのレストランに卸せるようになるまでにどれくらいかかります?」


「そうですね、もう少し研究してみないとわかりませんが一年はかかるでしょう」


「先は長いねぇ…」


「居酒屋とマスターの店にはなるべく早く卸すようにしますんで」


「うん、期待してるよ」


 気づいたらステーキが無くなっていた。もう一枚ぐらい食べたかったな…。


「はっはっは、社長のお気に召したようですね」


「美味しかったね、まだ食べたいぐらい」


「そう言うと思われましてな。潰した牛の肉を既に切り分けております。今日の夜に桜花牧場でバーベキューなんていかがです?」


 高速でスマホを取り出し事務所に電話!


「もしもし! 大塚さん!」


『社長? どうなされたんです?』


「今日の夜みんなでバーベキューね!」


『はぁ…? わかりました準備しておきます』


 もはや理由さえ聞かれない信用よ。


「OK出たから第二のみんなも来てね!」


「承知しました。遅番には個別に食事を準備しておきます」


「よろしく!」


 はー! 休みっていいもんだな!









 休みを謳歌した俺は尾根さんと入れ替わりで仕事に復帰した。

 そして、その週の日曜日に問題が発生した。



 浅井美香。ヴィクトリアマイルにて落馬、右手橈骨遠位端骨折。



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