ナツヒヨリの激闘
運命の三月三十日金曜日。
事前の調整が功を奏したのか俺は予定通りに高知競馬場にやってくることができた。
「社長、買ってきましたよ」
「ありがとう妻橋さん」
今回の付き添いは妻橋さん。スタンド脇にある個人商店でヤキソバとおでんを買ってくるようにお願いし、その間に俺はヒヨリのライバルをもう一度確認していた。
まだ寒さが残る三月末に食べるあったかいおでんは美味いなぁ。
「やはり、注意すべきはナモトデリラですか」
「ですね。それ以外は今のヒヨリならどうとでもなるでしょう」
G1馬の馬主である名本さんの所有馬であるナモトデリラは中央でオープン戦に名前が載っていたほどの馬だ。骨折で多少衰えたとはいえ、こういう言い方はあまり好きではないが地方の馬では手も足も出ないほどの実力馬でもある。
「対策はおありで?」
妻橋さんがおでんの竹輪を食べながら聞いてくる。
「無論です、ナツヒヨリは逃げを打たせて吉騎手には先頭からレースをコントロールしてもらいます。それこそ桜花賞の再現ですね」
「できるので?」
「してもらいます。事前にレース展開を予想してお渡ししているので」
あんぐりしている妻橋さんを尻目に辛子を付けた牛筋串をモグモグ頬張る。
「詳しくお聞きしたいですね」
一万四千人もの客が入っているため座る場所がなく、壁の花となっていた我々に話しかけてきたのは久しぶりの再会となる成田記者だった。
「お久しぶりです、申し訳ありません盗み聞きしちゃいました」
「別に聞かせて困るもんじゃないですしいいですよ」
「一人でナツヒヨリの応援に来てしまって寂しかったもので。ご一緒しても?」
「男所帯でよければ」
笑い合いながら競馬新聞と赤鉛筆を握った成田記者が俺に聞いてくる。
「ズバリ、勝算は?」
「え? インタビューなの? まぁ、勝てるでしょうね」
「その自信とは、なにか作戦が?」
「そりゃありますよ、真っ向勝負を仕掛けても勝てる相手じゃないですからねナモトデリラは」
ふむふむ、そう呟きながら競馬新聞に文字を書き込んでいく成田記者。後で見にくくないかそれは。
「それが先程おっしゃっていた桜花賞ですか」
「そうですね。成田さんならピンとくるでしょ?」
「ええ、海外でニンジャって言われてたやつですね」
そんなこと言われてたのか。
「逃げでペースを握って吉マジックで差しもしくは追いで来るナモトデリラの追いを潰す…、ってことですかね」
「おおむね合ってます。まー、秘密の必殺技もあるんで楽しみにしといてください」
「必殺技…?」
俺はヤキソバをズルズル啜りながら、頭の上にクエスチョンマークを掲げる成田記者を眺めるのだった。
ーーーーーーーーーーーー
『いいですか、この紙に書かれた通りにレース展開は進みます。確認しておいてください』
鈴鹿から吉が受け取ったA4用紙にはナツヒヨリの走る10レースのレース展望がびっしりと記載されていた。
『これは…?』
『不思議に思われるでしょうが10レースで実際に起こることを推測して記号化しています。悲しいかな、このままだとヒヨリが負けます』
『それ言っちゃうんですか』
『対策とは現実を認識するところから始めるものです』
いつもの柔和な笑みを浮かべる鈴鹿ではなく、眼を鋭くして真剣な表情で告げる様を見て吉は冗談で言っているのではないと確信した。
思えば馬券を毎回的中させているような人間である、吉はファンタジーに片足突っ込んだ特技を披露されたところで今更疑う理由にはならないことに気づいた。
『私は何をすれば?』
『桜花賞』
その一言に吉はピンときた。あれをやれというのか。
『難しいこと言ってくれますね』
『不可能と困難は別物ですよ』
至極真剣な目で吉を見据える鈴鹿を見て、吉はひとつ息を吸い覚悟を決めた。
『やりましょう』
『その言葉が聞きたかった』
手を差し出す鈴鹿に、吉はがっちりと握り返す。
『勝ちましょう』
『ええ、必ず』
(つったのはいいんだけどね! 想像以上にキツイ!)
懸命にナツヒヨリを鞭で追いながら先頭をひた走る。
高知競馬場は一周1100メートルのレース場で右回り、どの距離でも最終のゴール直線は200メートル。コーナーを回る回数が多いために桜花賞で見せた馬群を広げる技術は通りやすい。
走っているレースは1400メートルのマイルにも満たない距離だがそれも有利に働いている。ナモトデリラは1800以上の距離が得意な馬だ、最後の直線は警戒すべきだが末脚が出る前に距離を取ればいい。1400メートルの逃げならそれができる! 吉はそう確信した。
(作戦は決まってるか…。思ったよりは広がってないが、追い込みを選択したナモトデリラはかなり厳しい大外回りしかない! イケる!)
吉は第四コーナーに入る400メートル付近で後ろを見やりナモトデリラの位置を確認する。
ナツヒヨリから目測九馬身、集団から後方から二番目で馬群を抜けていない。
(よし! このまま!)
スタンドの歓声と共に最終直線に侵入するナツヒヨリと吉。残り200メートルで小細工はもうない。
(イケる!)
思わずほころぶ顔を嘲笑うように大きな蹄がダートを叩く音が聞こえてきた。
奇しくもそれは何度も戦ってきたグリゼルダレジェンと錯覚するような蹄の音。
「マズい!」
思わず口から漏れる不安の声。音の大きさ的に距離は四馬身ほどはあるだろうが吉は油断しない、油断できない。その程度の馬身数ならひっくり返すモンスターホースを知っているから!
(残り100! やはりこれに頼るしかないか!)
「ヒヨリ! 行くぞ!」
手綱を一瞬だけ離し、パンっと柏手を打つ。それと同時にナツヒヨリはグッと身体を前に反らし、一気に加速した。鈴鹿から聞いていたヒヨリだけの必殺技、無酸素運動でのダッシュだ。100メートルも持たないが末脚が乏しいヒヨリ唯一の終盤での切り札と言ってもいい。
だが、後ろから迫る音は離れるどころか近づいてくる。
(ヤバい! 50もないが差し切られる!)
しかし、もはや手札はなく。非常にも残り20メートルの地点で一頭、吉たちの横に並んだ。ナモトデリラだ。
(負ける…!)
いや、鈴鹿は勝てると言った! あの人が言ったんだ、勝機はあるはず! 吉はそう考えるが土壇場でそんなものは思いつかない。
「ヒヨリぃ! 根性見せろ! 最後だ!」
吉が選んだのは単純な声かけ。
一瞬、ナモトデリラよりナツヒヨリが前に出る。抜き返される! 抜く! 抜き返される! 数度それを繰り返し、二頭並んでゴールを駆け抜けた!
「はぁ…、はぁ……。どっちだ」
「わかりませんね、写真です」
電光掲示板には三着以下は早々に決まっている。払い戻し確定はナツヒヨリとナモトデリラの写真判定待ちだ。
「いや、まさかナツヒヨリがここまでやるだなんて御見それしました」
鞍上でナモトデリラに乗っている浜騎手に拳を突き出される。吉はそれを笑いながら拳でタッチした。
「こちらこそ、あそこまでやって並ばれるのは想定外だったよ」
「めちゃくちゃしてくれましたね。隙間を縫って出てこれなかったら埋もれるところでしたよ」
お互いに称え合い、しかし両者ともに掲示板から目を反らさない二人。
ちなみにナモトデリラはケロっとしているがナツヒヨリはバテバテである。
「いやに遅いな」
「俺たちがわかってないぐらいですからね」
それもそうかと吉が発言しようとした瞬間に電光掲示板から写の文字が消え、結果が反映される。
一着になったのは…。
「よし!」
思わずガッツポーズを取る吉に、拍手を送る浜。
一着は8番。ナツヒヨリであった。
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