希望とは
『久しぶりね、セイジ!』
車から降りたオリビアが俺に抱きつき、頬にキスをしてきた。情熱的だ。
オリビアは福岡空港からここまで山田君の運転する車に乗ってきたのだが、時差による体調不良か、もしくはイギリス競馬について山田君に根掘り葉掘り聞かれたのか分からないがちょっとグロッキーな状態である。
ぶっちゃけ抱き着いてきたというより、もたれかかってきたの方が近いかもしれない。
『おひさ。ウィルさんは忙しいのかい?』
『ええ、誰かさんのおかげで調子を取り戻したおかげで管理馬の成績は鰻登りでね。家に帰ってきても仕事の山でいつか倒れるんじゃないかって心配よ』
誰のせいなんだろうなー、セイジくんわかんなーい。いたた、オリビア頬っぺた抓んないでくれ。
『セイジは顔に出やすいから楽でいいわね。あっちだとウィークポイントを探ろうとしてくる誤魔化しの媚び売ってへつらう奴しかいないから』
『先頭を走るってのは大変だねぇ』
二人でケラケラ笑って柴田さんが運転する船に乗り込む。山田君はこの後、高知に出張で行ってもらう。ナツヒヨリの現状と厩舎の調教等を事前に調べてもらい報告して貰うためだ。
「それでは僕はここで失礼しますね」
「うん、よろしくお願いするよ。評価に遠慮はいらないからね。もし陣営が舐めた調教でまともに走れていないとかなら…」
「わかってます。僕にお任せください!」
フンスフンスと意気込んで再び車に乗り込む山田君。うーん、不安だ。
『何を話してるの?』
『ん? あー、とりあえず船に乗ろう。そこで教えるよ』
ーーーーーーーーーーーーーー
『百十四連敗の馬を勝たせる!? 正気?』
『もちろんさ、真剣に戦う陣営がいて彼らが俺に手助けを求めるなら、俺は喜んで手を差し伸べる。そして勝たせる』
『ハー…、真面目に言っちゃってるんだもんなぁ。スタッフもアナタに振り回されて大変ね』
「柴田さん、オリビアが俺に振り回されて大変ね、だって」
「あっはっは、よくご存じで」
そこはお世辞でも否定してよ。
『それにしても観光しなくてよかったのかい?』
『最近忙しいって言ったでしょ? 結構スケジュールを無理して来てるの。一泊したら帰るから桜花島を回るだけで時間いっぱいよ』
『あー、いいことなんだか悪いことなんだか』
『セイジとゆっくりしたかった私からすれば悪いことね』
うふっ、とウインクをしてくるオリビアにドキッとしないわけでもないが、妹みたいな関係なので興奮なんかはしない。
『桜花島で楽しめばいいさ。景色のいいキャンプコテージもあるし、美味しいお酒もあるぞ』
『あら、酔わせてどうするつもり?』
『はっはー、久しぶりに会ったら偉く色気づいてんなオメー』
マジで誘いに来てると勘違いする頻度やぞ。
『あ、バレた? お父さんと陛下から隙があったらセイジ持って帰って来いって言われてるの』
『あのバ…! あの人たちは!』
やべぇ、普通にイギリスの最高権力者を罵倒する言葉を吐くところだった。
「社長どうしました? 大きな声出して」
「オリビアが俺の事をイギリスに持って帰ろうとしてるって」
「あはははは! あっちの娘は積極的ですね!」
社長が引き抜かれそうになってるんだが? 笑い事じゃないんだが?
ーーーーーーーーーーーー
「おかえりなさい」
「うん、ただいま。大塚さん、彼女がオリビア・アムス。ウィルさんの娘だ」
「コンニチワ、オーツカサン」
『英語で大丈夫ですよ』
『あら、助かるわ』
英語がわかると知った瞬間に始まる女子二人の高速世間話。うーん、どの国でも女の子は雑談が好きなのね。
とりあえず、取引予定の二頭を柴田さんにターフへ誘導するように頼んでいるので大塚さんとオリビアをそちらへ連れていきたいのだが…。
『うんうん、セイジはそういうとこあるわよね』
『ですよね! 味方が増えてうれしいです』
盛り上がってるし、俺の話題が出てるし触らないほうがよさそうだ。うん、なんか説教されそうだし。
事務所の机に「ターフで待つ」と書置きしてそろりそろりと外に出る。
「おや、社長。忍び足でどうしたんです?」
「妻橋さん、女って怖いですね」
「どうしました急に」
「大塚さんとオリビアが出会った瞬間に意気投合しまして」
「両方とも身内にトンデモな人がいますからね、息も合うんでしょう」
しれっと毒吐くよね。いや褒めてんのか?
「妻橋さんはなんで事務所に?」
「ターフに出すと聞いたんで彼女たちの好物をと思って。明日、旅立つでしょう? 今日ぐらいは甘やかそうと」
「いいですねそれ。ロドピスはサツマイモで、ウェスの38は林檎でしたね」
「ええ、両方とも厩務員室にあります」
思えば、うちの産駒で初めての輸送か…。しかも国外だからなかなか会えない。
……。
「しゃ、社長!? 何故お泣きに!?」
目元を拭うと確かに湿っている。おかしいな、涙が止まらない。
「ああ、いや。なんででしょうね。彼女たちのことを考えるとなんか泣けてきちゃって」
「……そうですか。少し、厩務員室で休んでいきましょう」
「はい、熱いのでお気を付けを」
妻橋さんがアツアツのお茶を出してくれる。
「どもども、あー。落ち着きますわ」
「寒い日には熱いお茶ですよ」
静かな空間で、お茶を啜る音だけが響く。
「社長は明日には旅立つ彼女たちのことを思って泣いたんでしょう?」
「はは、わかりますか」
「伊達に長くこの業界に居ませんから」
妻橋さんはアルカイックスマイルで俺を見る。
「寂しいですよね。しかし、我々は彼ら、彼女らを産ませ、育成し送り出すのが仕事です。仮にもそのトップである社長が感情的になると部下に伝染します。あまりよろしくはないですね」
「わかってます。いやぁ、面目ない」
「ですが」
言葉を一度切り、妻橋さんは続ける。
「私は安心しました」
「安心?」
「社長は自覚がないかと思われますが、凄い方です。予後不良の馬を救う手立てを見つけ、誰にも到達できないような記録を打ち立て、競馬業界を盛り上げようと奔走しておられます。正直、遠く感じることもあります」
そんなこと妻橋さんは思っていたのか。
目を丸くしていると、妻橋さんは苦笑し自らの顎下をポリポリと掻いた。
「照れくさいですがね、尊敬しているんですよ私は社長を。きっとそれは大塚さん、柴田さん、山田君、尾根さん、それに他のスタッフもそうです。
社長は間違えない、間違えても何とかしてくれる、まるで物語のヒーローのような尊敬です。だから、先程の涙を見て同じく悩んだりされるんだなと安心したんです」
「そんな風に思ってたんですね」
「ええ、ですから弱さを出すのは結構、むしろ嬉しいぐらいです。しかし、決してブレないでください。貴方は今、従業員だけでなく繁殖牝馬や仔馬の命も握っています。泣くのも後悔するのも構いません、けれど強い馬を生み出し育てることは辞めないでください。貴方は競馬界の希望なんですから」
……希望ね。
パンパンっと頬を叩き、気合を入れる。
「そこまで言われちゃあ、頑張るしかありませんね」
「ええ、ええ。その意気です。老い先短いですが社長の創る競馬界の未来を私に見せてくださいな」
ここまで身内に期待されちゃあな! よし! いっちょやったるで!
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