続々契約38世代

「お疲れ様」


「お疲れ様です社長!」


「渡辺さんも山田君もお疲れ様です」


 全ての39世代の仔馬を内藤さんたちに紹介し終え、一晩真剣に宿で町下さんと考えると内藤さんは桜花島唯一の旅館に戻っていった。

 それを見送った俺は事務所に帰り、商談を終えて応接室で雑談をしていた山田君と渡辺さんに迎えられた。


「どうでした?」


「大塚さんに搾り取られたよ」


 ニッコリと笑顔で煎餅を齧る渡辺さん。食べている煎餅は桜花島商店街の桜花煎餅だ。職人のおじさんが焼いた塩せんべいで緑茶に合うんだよねぇ。


「どれどれ契約書見せてくださいなっと」


 山田君から渡された黒塗りの薄いハードカバー冊子に綴じられた契約書を見る。


「なるほど、五千万円で契約。随分と奮発していただけましたね?」


「祝儀みたいなものさ。私と螺子山さんが桜花牧場の初買いだからね」


「それはそれは…。ありがとうございます。そのお気持ちが嬉しいです。

 その螺子山さんは?」


「柴田さんと一緒にレアシンジュの所に行ってますよ。種付けの相談もありますし」


「山田君は行かなかったんだ」


「柴田さんに邪魔だから来るなって蟀谷≪こめかみ≫に青筋立てながら言われました」


「言われてたねぇ。山田さん、君なにやったの?」


 なにやったって言うか。やらかしてしかないと言うか。


「種付けの相談中にちょっとヒートアップしたぐらいですよ」


 ちょっと? ぐらい? お主日本語ができぬのか?


「鈴鹿さんが凄い顔しているけども」


「? お腹痛いんですか?」


 痛いのは頭だよ。


「あー、うん。よくわかったよ鈴鹿さん」


 人の上に立つ仕事をしているだけあって渡辺さんは察しがいいな。

 苦笑する渡辺さんが腕時計を見て、応接室のソファから腰を上げる。


「もう十七時半か。そろそろ失礼するよ」


「そうですか? もう少しゆっくりなさっても…」


「いやいや、桜花旅館は最高だからね。久しぶりに動き回って疲れたし、美味しい料理と温泉を楽しませてもらうよ」


「それは引き留めるわけにはいきませんね」


 ニッコリと笑い、山田君に旅館までの送迎をお願いする。了解しました、と山田君は小走りで車を取りに向かった。


「内藤君はどの子にするか決めたかな?」


「悩んでますね。町下さんと旅館で相談しているんじゃないですかね」


「安い買い物ではないからねぇ」


 クククッと笑いを嚙み殺す渡辺さん。どうやらツボに入るなにかがあったらしい。

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると。


「いや、すまんね。少し懐かしくなってね…」


「馬主になられた時のことですか?」


「ああ、親父が馬主でね。急に病で逝っちまったもんだから親父の物がいきなり全部私の物になったんだ。母も早くに亡くなって一人息子だったからさ。

 会社は小さかったけど馬主の交流を通じて契約取ったりしてたって、役員に聞いたもんだから引き継ぎ馬主として他の馬主さんと顔合わせしたりして大変だったよ」


「そうなんですね」


「当初は全く馬に興味がなくてね。ある程度の引き継ぎが終わったら馬主としては一頭だけ所持して付き合い程度にしようと思っていたんだ。

 思っていたんだけどねぇ…」


「思いのほか熱中してしまったと」


「その通り。全力で走る馬を見ていると息子や娘のように思えてきてね、引き継ぎの未勝利馬が初勝利をあげたときは飛び上がって喜んだもんだ」


「分かりますよ、私もレジェンが勝った時も喜びましたし。大声で喜べる状況ではなかったですが」


「足立騎手の手前ではね。ふふっ、君との付き合いもその時からか」


「気づけば二年です、早いものですね」


「歳をとるってのはそういうことさ」


 外からクラクション音が聞こえた。山田君が戻ってきたのだろう。


「私も」


 事務所の入り口で革靴を履く渡辺さんがピタリと止まり、言葉を紡ぐ。


「彼に話してみよう。初めての馬が、どれだけ心に残るか、をね」


 ニヒルな笑みを浮かべて颯爽と玄関をくぐる渡辺さん。いやぁ、渋いオッサンはカッコいいなぁ。

 車の発進音を聞きながら事務室に入る。


「ぐえっ!」


 ドアを開けた瞬間、ダーレーが俺の腹に悪質タックルをかましてくる。お昼ご飯出ちゃう!

 そのまま捕まえて、こちょこちょの刑を実行していると大塚さんがいないことに気づいた。 


「ダーレー? お母さんどこだ?」


 つぶらな瞳で、きゃう? と返事をして首をかしげるダーレー。かわいい。ではなく、他の二匹も見当たらないので不思議に思っていると事務所の玄関ドアが開く。


「社長! いらっしゃいますか!?」


 大塚さんの声だ。


「いるよ? どうしたの?」


 尋常じゃない焦り声で俺を呼ぶ大塚さんに何かあったのか聞く。


「螺子山さんがレアシンジュに気絶させられたので運ぶの手伝ってください!」


 どういう状況だよ…。

 




ーーーーーーーーーー





 繁殖牝馬用の放牧地でノビてる螺子山さんを回収して事務所に戻ってきた。螺子山さんは今、仮眠室のベッドに横になってもらっている。


「で? なんであんなことになっちゃったの?」


 気まずそうに人差し指で蟀谷を掻く柴田さんに問う。


「レアシンジュの前で何を付けるか相談していたんですが、候補を上げてレアシンジュに誰がいいか螺子山さんが聞いたら…」


「聞いたら?」


「凄い勢いでもって鼻先で螺子山さんのアゴを攻撃しちゃって…」


「え? 大丈夫なのかい?」


「顎が揺れて気絶しただけみたいです」


「いや、レアシンジュが」


「鬼ですかアンタ。普通心配するのはやられた側でしょう」


「螺子山さんはスキンシップ程度で死にはしないさ。むしろ喜んでそうだ」


 レアシンジュ関係者は狂信者みたいな奴しかいないし。


「ぐ、それは…そうですけども!」


 君は否定してあげるべきなのでは?


「ダーレー? お父さんの服をカミカミしちゃダメよ」


 ナチュラルに俺の事をお父さん呼びはやめて。ダーレーも俺の作業着の裾を噛まないで。

 なんだか収拾つかなくなってきたぞ。


「あー、社長…。落ち着いたら、これを読んでおいてください」


 スッと現れた妻橋さんがいつものエアメールを俺の机に置いて、凄い速度で外に消えた。

 年の功か面倒ごとには聡いな妻橋さん。


「あ、じゃあ俺も」


「逃がさぬ」


 ガッチリと逃げ出そうとした柴田さんの肩を掴む。お前も道連れだ。

 

「いつものウィルさんからのエアメールですね。なんで毎度手紙なんですかね?」


「電話は時差で気を遣うのが面倒なのとメールを打つのが苦手だかららしいよ」


 どうしても必要な時はオリビアが対応するらしい。

 ペーパーカッターで封を切ると大体思った通りのことが書いてあった。

 

「なんて書いてるんです?」


「ん? ああ、約束通りウェスコッティの38とロドピスを引き取りに来るってさ」


「そういえば、そろそろって言ってましたね」


 二頭とも馬体も順調に育って重賞は取れそうな風格があるからな。いつあちらに移っても問題ない状態だ。


「来月頭に来るって。宿の手配とかよろしく」


「はい。諸々やっておきます」


「柴田さんも彼女たちの最終調整お願いします」


「了解です。十二時間かかる輸送ですから万全を期します」


「よろしくー」


 さて、38世代はあと四頭。どうすっかな。


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